「うちの会社はビジョンがない!」と経営者を罵る人たちへ それは絶対に必要なものなのか? | キャリコネニュース - Page 2
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「うちの会社はビジョンがない!」と経営者を罵る人たちへ それは絶対に必要なものなのか?

「ビジョンがない!」というありがちなグチ

「ビジョンがない!」というありがちなグチ

グロービス社の定義では「経営ビジョン」とは、「経営理念のもと、自社の目指す将来の具体的な姿を定め、社員や顧客、社会に対して表すもの」とあります。簡単に言えば「この組織のゴール」ということかもしれません。

こういう定義だとすると、確かにビジョンがない会社はゴールのない会社となり、不安な気持ちになるかもしれないと思います。ゴール(ビジョン)がなければ、そこに到達するために何をするべきか(ミッションという会社が多い)が分からない。何をすべきか分からなければ途方に暮れてしまう。

人は不安になると、その原因を他に求めて攻撃的になるものです。エリッヒ・フロムの「自由からの逃走」(邦訳は東京創元社刊)ではありませんが、人はどうも「自由」であることは怖くて逃げたくなるもののようです。だから、ゴールを示されないと不安になり、会社を攻撃するのかもしれません。

ビジョンがない会社でも、社会の役に立っている

私が申し上げたいのは「ビジョンなど要らない」ということではありません。会社は社会のために何か役立つことをしなければいけません。社員が共感できるような、よいビジョンがあらかじめあれば、あるに越したことはありません。すぐさまその組織はビジョン実現のために進むことができるでしょう。

しかし、それがビジョンという形で事前に規定されていなければ、その会社は社会に役に立つことができないかと言えば、そんなことは絶対にないと思います。冒頭で述べたリクルートでも「ビジョンがない」という批判があったことに対する違和感はそこにあります。

正直に言いますと、そういう先輩などの声を聞いて「リクルートには『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』という立派な行動規範があるではないか? ビジョンがないということは、束縛がないということ。自ら機会を創り出して、勝手にいろいろやってしまえばよいではないか」と思いました。

ビジョン不在が不満なら、自分たちで作ればいい

そもそも「ビジョナリー・カンパニー」の要素の中にも「最初に人を選び、その後に目標を選ぶ」というものがあります。目標を決めてからバスに乗る人を選ぶ企業よりも、人から選ぶ、つまり最初に目標のないフリーな状態の企業の方が永続するというわけです。

どこに行くか分からないバスに、それでも乗ろうとする人は、決められたレールに乗ることが嫌いな人で、そういう人だからこそいろいろ発想が沸いて、創造的な組織を作ることに貢献するのかもしれません。

ビジョンは与えられるものではなく、その組織にいる人が作ればよいものだと思います。むしろワンマン経営者に支配されている企業で働く人は、ビジョンを押し付けられ、自由を制限されているのではないでしょうか。

ただ、フロムの炯眼のように、自由を制限される=何をすればよいのか明確に規定されているという状態が心地よい人が多いので、「ビジョンがない」という不満が出るのでしょう。

「もう自分でやるしかないか!」と覚悟を決める

昔、リクルートの新卒採用のパンフレットのキャッチコピーに「自由になりなさいという脅迫に負けるな」という言葉がありました。私はこれが大好きです。そう、「自由」とは脅迫、つまり怖いものなのです。

本稿でいろいろ書きましたが、「ビジョンがない」=「自分の方向性を規定するものがない」ことに不安を覚えて、つい会社に毒づいてしまう人をさげすんでいるわけではありません。気持ちは分かります。

だから、彼らを否定するつもりはありません。そうではなくて「負けるな」と応援したいだけです。また「ビジョンがない職場」は一概にダメな職場ではなく、もしかすると「何でもやっていい職場」なのかもしれないよ、ともお伝えしたいのです。

不安な気持ちを無益な攻撃に向けるのではなく、覚悟を決めて「もう自分でやるしかないか!」と転換してみてはどうでしょうか。

あわせてよみたい:飲みニケーションは上司の大事な手段

 

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