「結婚はいいけど子どもは絶対に作らないで」 保育士業界の闇、プレッシャーで中絶に追い込まれた女性も | キャリコネニュース - Page 2
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「結婚はいいけど子どもは絶対に作らないで」 保育士業界の闇、プレッシャーで中絶に追い込まれた女性も

新聞の当初は、特殊な例ではない様子

新聞の当初は、特殊な例ではない様子

以前、保育士として働いていた福島千鶴さん(仮名/30代)が妊娠に気づいたのは、保育園に勤務して8年目の冬。当時担任をしていた5歳児は0歳から受け持ってきた子どもたちだったこともあり、翌年、子どもたちの卒園を見届けて退職し、自分の子どもを持つ計画をしていた矢先だった。

「うちの園では順番こそなかったものの、結婚の報告時に園長から『妊娠には気をつけて』と言われていました。子ども相手で危険というのが表向きの理由でしたが、実際は人手不足で代わりの人員を用意できないから。『もし子どもを作りたいなら、退職するか、担任を降りるか』と釘を刺されていたので、主人と話し合い、翌年の退職を考えていました」

思いがけない妊娠に悩んだ福島さんだが、すでに来期の契約更新を済ませた後だったこともあり、「担任を降りてもいいから、あの子たちを送り出したい」と、園長に相談に行った。ところが、園長から返ってきたのは思いがけない言葉だった。

「妊娠中だからって特別扱いできるほどの余裕がないのはわかるよね? 何かあっても自己責任。それに今は担任を持っているのだから、3月までは全うしてもらいます」

安定期に入る前の体を気遣いながらも、今まで通り仕事をこなし続けた。しかし、そんな無理がたたったのか、勤務中に出血。早退して病院へ行くと、切迫流産で入院となってしまった。

1か月後復帰すると、園長は開口一番に「なんだ、赤ちゃん無事だったんだ。これから新学期を迎えるし、臨月のころはお遊戯会や遠足の時期だけど、そんな身体で大丈夫なの?」と、暗に退職を促してきた。さらに、「保護者には、1か月姉妹園のヘルプに行ったと言ってあるから。流産しかけたなんて、子どもたちが原因みたいに聞こえるじゃない」と、口裏合わせまで強要されたそうだ。

「その後も何かにつけて妊娠を責めるような言動をとられ、周囲の先生たちにまで迷惑がかかってしまったので、更新を取り消して退職することにしました。せめて卒園式だけでも顔を出したいと思っていたのですが、許しを得ることはできませんでした」

妊娠には、園長の「母親としてふさわしい」という許可が必要

鈴木さやさん(仮名/40代)の場合はもっと悲惨だった。

「内定後の初顔合わせで、『うちには産休も育休もありません。結婚はいいけど、子どもは絶対に作らないで』と園長から言われました。先輩からも、歴代の先生たちはみんな5年以上勤め、園長の許可が下りてから、子づくりのために退職したと聞きました」

妊娠には園長の許可がいる――そんな驚きのルールも、当時20代で社会人1年目だった鈴木さんは真摯に受け止めた。「長年多くの親子を見てきた園長が、母親になるのにふさわしいと判断してくれたら許可が下りる」と言った先輩の言葉に納得してしまったからだ。

翌年、学生時代から交際していた男性と結婚。それから10か月ほど経ったある日、「あなた、妊娠してるんじゃない?」と園長に声をかけられた。

「確かに生理は遅れていましたが、元々不順な上、妊娠しないように気をつけていたので、まさかと思いました」

帰宅後に検査したところ、結果は陽性。本来なら喜ばしい瞬間だが、鈴木さんの胸には動揺が広がった。更に、翌日出勤するとすぐに園長室に呼ばれ、結果を催促されたという。

「妊娠を告げると、大きなため息をつかれました。そして、『まだ先生としても半人前以下のあなたが、身ごもりながら仕事を続けるなんて無理なんじゃない? かといって、途中で先生が変わるのは、子どもも保護者も不安になるし……』と30分近く小言を言い続けられ、産むことも、仕事を休むことも許されないのだと感じました」

精神的に追い詰められた末の涙の決断 失った命は戻らない

夫婦で何度も話し合い、なんとか産める方法を模索した鈴木さんだが、そのあいだも連日園長から執拗な嫌がらせを受け、既婚者の先輩からも辛辣な態度を取られるように。鈴木さんはだんだんと精神的に追い詰められ、泣く泣く新しい命を手放した。術後安静が必要な期間も出勤して仕事をこなしたが、園長から言われたのは、子どもを預かる立場とは思えないようなものだった。

「『初めてじゃないんでしょ。そんなに簡単に堕ろせるんだから』って……。夫婦共に望んでいた命です。そこに勤めてさえいなければ産めた命です。何度相談しても、堕ろすほかに道はないような口ぶりで追い詰めて、なんでそんなことが言えるのだろうと思いました」

これがきっかけとなって退職した鈴木さんだが、失った命は戻らない。長年自分を責め続けたという。

「今でも毎年、供養してもらったお寺に手を合わせに行っています。社会を知らな過ぎた当時の自分が情けなく、子どもにも申し訳ない気持ちでいっぱいです」

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