「高学歴底辺」女性たちの悲哀「東大卒なのに就職浪人」「恥ずかしくて同窓会に行けない」

スレッドには「東大卒なのに就職浪人」「京大卒ですがコミュ力ゼロでデぶすです。そして非正規」などの悲しみコメントが躍った。高学歴を生かせる職に就けていないためか、人生設計を語る人などほぼいない。

「両親かわいそすぎでしょ そんなのに育つとか」といった外野からの批判もあった。当事者たちは、まさにそういった批判に苦しんでいるのだろう、

「地元には帰れないです!」「恥ずかしくて同窓会とか行けないよね」
「学生時代の友人らとは一人も繋がっていないし、偶然でも会いたくない。みんな世界相手に仕事してる」

などと、苦しい胸の内を明かしていた。

「高学歴だったけど、精神病んで仕事やめてから底辺になった。でも、希望やプライドは持ってる。底辺でただ人に使われるだけにはなりたくない」という人も。プライドの高さや自信が悪い方に影響し、身動きが取れなくなっている様子もうかがえる。

氷河期で就活惨敗、スタッフ職で転々とし大手に入ってもリストラに遭う

スレッドには、「選ばなければ高学歴の人はどこでも良い就職先あると思う」という批判もあったが、果たしてそうだろうか。なかには、「早稲田卒(留年、氷河期)就活惨敗組」という人が、ブラックぎみの企業をスタッフ職で転々とし、大手に入ってもリストラに遭うなどの経歴を明かしている。

90年代のバブル崩壊後に学生を襲った「就職氷河期」では、高学歴の人たちが従来は入社しなかった中小企業に泣く泣く職を得るケースが急増した。ブラック企業で酷使され、心身を壊す人が増えたのもこの時期だ。以来働けず、または非正規雇用で不安定なままの人は少なくない。そんな人達を他人から「底辺」などとは言えないが、本人たちは自嘲気味にそう言いたくもなるだろう。

4月10日付の朝日新聞は、優秀な文系女性博士の自殺(享年43歳)を大きく取り上げていた。大学に安定した職を得られず経済的に困窮し、ネットで知り合った男性と結婚するもすぐに離婚。直後に自殺したという。記事は、90年代に国が進めた「大学院重点化」の問題を指摘している。

政策によって急増した大学院生の多くが、博士課程を経ても大学教員の正規ポストがなく、年収200万円台の非常勤講師として働きフリーターになる現実がある(参照:「高学歴ワーキングプア 『フリーター生産工場』としての大学院」(水月昭道著/光文社新書)。生まれたタイミング次第で高学歴が活きなかったとしても、その人たちのせいではないだろう。

かつて『大学は出たけれど』という映画(監督:小津安二郎、1929年)があった。昭和初期の大不況で大卒など却って働き口がなかった時代の話だ。翻って今の日本は、もしかして90年前に逆戻りしているのかもしれない。