残業のない会社は単純に「良い会社」といえるのか?

当のサラリーマン諸氏の中には、残業抑制などやめてくれという人々もいます。なぜなら、現状の時短には業務改善などの効率化策を伴わない場合が多く、単純に「短い時間で同じアウトプットを出せ!」と求めるものだからです。

今まで適正な作業時間をかけて出していたアウトプットを、無理やり短時間で出すだけであれば、それを課せられる社員はものすごい集中力や能率で仕事をしなければなりません。

これを「生産性の向上」と言うのかもしれませんが、無駄な作業をやめさせたり、便利なツールを導入したりして効率化を図るのと、個人をとにかく頑張らせ過集中させることとは違います。過集中で仕事をした社員は、とんでもなく疲れることでしょう。

その上、アウトプットが同じとくれば、成果主義の世の中では報酬は同じ。いや、残業時間が減れば、報酬は減るわけです。社員にしてみれば、頑張ったのに報酬が減るのではたまったものではありません。

ロイターの報道によれば、安倍政権の推進する残業抑制策が実現した場合、日本全体で見た場合、年間雇用者報酬の約2%に当たる5兆円程度の所得減が見込まれるという試算が出ているとのことです。

政府はその分を子育て世代を中心とした3%の賃上げによって還元することを、経済界に要請しているようですが、果たして実現するでしょうか。財務的に余裕のある大企業はできても、同じことが中小企業にできるのかという問題もあります。

副業する理由は「結局はお金」という現実

残業抑制を後押しする理屈としては「労働時間が減れば、自分の有限な人生を他のことにもいろいろ使えるぞ!」という声もあります。素朴に考えれば、確かにそんなこともあるかもしれないと思います。

しかし実際には、そんなポジティブな理由で副業をやっている人は少ないようです。エン・ジャパンの2018年の副業に関する調査では、転職サイトを利用している人(大半はおそらく20代)の半数以上に副業経験があるそうです。

その理由として最も多かったのが「副収入が必要だから」で、およそ7割もの人が回答していました。副業というよりは、生活費のためにアルバイトをしているといったほうが、現実に合っているようです。

次に多かった「空いた時間の活用」は4割程度、その他の理由はもっと割合が少ないという結果でした。お金のために働くことをネガティブというわけではありませんが、「成長のために多様な経験をするため」とか「専門性を他の領域に生かすため」とかいった、意識の高い理由で副業をしているわけではないということだけは言えそうです。

国税庁の調査によれば、サラリーマンの平均年収は、バブル直後の平成9年には約470万円であったのが、現在は420万円程度で、50万円ほど減っています。最近でこそ若干の増加傾向が見えてきていますが、まだまだ低位に留まっているといえましょう。

だから結局、なかなか残業はなくならない。政府が無理に残業をなくそうとすれば、別のところでお金を稼がなくてはならず、副業せざるをえなくなるのです。

本業がおろそかでは「人材育成」もおぼつかない

副業を推進する企業の経営者に本音の話を聞くと「残業代を払えないし、生活費が困るのもわかる。だから副業を解禁することにした」という人がいました。残業と副業は、そういうトレードオフ関係にもあるわけです。

となれば、やはり残業と副業どちらかを選ばなければならないわけですが、その場合、どちらがマシなのでしょうか。今のところ残業が劣勢ですが、私はあえて「残業の方がマシではないか」という考えを提示してみたいと思います。

理由のひとつは効率性です。事前に準備する知識や慣れを考えれば、同じ額を稼ぐなら、本来的には本業をもっと頑張る方が楽に稼げることでしょう。副業で10万円稼ぐためには、新しいスキルを獲得しなければなりません。

人材育成の観点もあります。人があるスキルや能力を身につけるには、一定の期間における実践と反復が必要です。「これくらいは経験しないとこのスキルは身につかない」というポイントがあるわけです。

ところが残業を抑制することで、そのポイントをなかなか通過できず、せっかくの仕事経験が血肉になっていかない可能性も高まります。本業と副業それぞれが中途半端な経験で終わってしまえば、能力向上にはなかなかつながりません。

もちろん、副業で稼ぐための「新しいスキル」は長い目で見て有益かもしれないし、就業時間内で能力が高まらないわけでもありません。男女共同参画の視点からも残業時間削減の要請があります。ただしこれまでは、ある時期に本業のみに長時間専念することで、身につくことがあったことも事実です。そう考えると、一定量の残業にも一分の理があるのではないかと思うのです。

「賃金の補償」と「育成施策の追加」が必要

しかし時代は、もう残業抑制にまっしぐらです。この流れがどこまで行くのか、分かりません。いったん残業が減り、残業代も能力開発機会も減るということを制約条件と考えて、マネジメントを行なっていくしかないと思います。

まずは残業代が減った分、月例賃金や賞与や手当などで、今までの報酬水準を維持する施策を行うことが必要です。せっかくの機会なので単に減少分を補うだけでなく、重要な業務を担う若手から中堅層に再配分した方がよいでしょう。

加えて、経験値を補うための研修等の育成施策を追加投入することです。無駄な作業をやめさせて生産性の高い業務にシフトすることはもちろん、業務効率化に便利なツールに積極的な投資をすることで、業務の負担を軽減することも大事です。

一方、就職や転職で会社を選ぼうとしている人には、「わが社は残業抑制を推進しており、働きやすい職場を作る努力をしております!」という美しい大義名分をそのまま鵜呑みにしないよう、アドバイスをさせていただきます。

これまで述べてきた時短のデメリットをきちんと補償する対策も同時にしているかどうかをチェックしなければ、「なんていい会社なんだ」と入ったのに、結局はがっかりすることにもなりかねません。皆が諸手を挙げて良しとしているものには落とし穴があるものです。ぜひ落ちないように気をつけていただければと思います。

【筆者プロフィール】曽和利光
組織人事コンサルタント。京都大学教育学部教育心理学科卒。リクルート人事部ゼネラルマネジャーを経てライフネット生命、オープンハウスと一貫として人事畑を進み、2011年に株式会社人材研究所を設立。近著に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『コミュ障のための面接戦略』(星海社新書)。

■株式会社人材研究所ウェブサイト
http://jinzai-kenkyusho.co.jp/