鎌倉新書・清水祐孝会長CEOインタビュー(2) 出版事業とネット事業が「取っ組み合いのケンカ」をしていたころ
紙の出版からインターネットビジネスへ、事業を大胆に転換して急成長を果たした鎌倉新書。しかし、その道のりは平坦ではなく、過渡期には社内の事業部が激しく対立し、混乱を収めるのに苦労した時期もあったようです。
そんな中、ネット事業の方向性を決定づけたのは、お客様からかかってきた「ある1本の問い合わせ電話」でした。鎌倉新書・代表取締役会長CEO清水祐孝氏のインタビュー、全3回の2回目です。
「売上1円も上げないくせに!」
セミナーでもコンサルティングでもいい。これからは出版にこだわらず、情報を届ける会社をやろう。そう考えが変わったことについては、前回お話しした通りです。その後、経営者の集まりの会で知ったインターネットも、情報を届ける道具に使えるのではないか、と思っていました。
最初のうちは、出版社のままの感覚で、お葬式のノウハウサイトを作って「お友達なら香典はいくら?」「お焼香は何回やるのが正しい?」といった情報を載せていました。しかし、情報は無料で見られるわけですから、そんなことをしていたってお金にならないわけです。売上は3年くらいゼロでした。
当時、私はまだ自分で日本全国を取材で回っていて、ネット事業は社員2人にまかせていました。その様子を、出版事業の人たちが怪しげに見ていて、給料泥棒に違いないと思い込んでしまったのですね(笑)。自分たちは締め切り前には終電まで一生懸命働いているのに、彼らは定時きっかりに帰っていくと。
それで出版の人たちが、ネットの人たちに「暇だったら倉庫に在庫を取りに行ってこい!」とか「棚卸しを手伝え。売上1円も上げないくせに!」とか文句を言ったらしいのです。それで揉め事になって、取っ組み合いのケンカに発展して、出張先に「大変なことになっています!」と電話が入ってきたことがありました。
ネット事業の方向性を決めた「1本の問い合わせ電話」
そこからどうやっていまの形に変わったかというと、あるユーザーの方からの1本の電話があったのです。ホームページの一番下に会社の電話番号を書いておいたら、都内の病院から「父親が危篤なんだけれど」というお電話をいただきました。
いわく、自分は東京の人間ではないから、もしもお葬式になったときに誰に頼んだらいいのか分からない。インターネットを見ていたら、おたくのサイトを見つけて、もしかしたら葬儀社さんなどを知っているのではないか、と思って掛けてみたと言うわけです。
そこで私は、取引先のリストで地元の葬儀社さんを探し、お問い合わせいただいた方の家に近い葬儀社さんの社長さんに電話してユーザーの方におつなぎし、亡くなった後には滞りなく葬儀を行うことができました。
そうしたらユーザーの方が大変喜んでくださったのですが、それ以上に喜んだのが葬儀社さんでした。それこそ150万円からの葬式が、チラシでもなく看板でもなく、想定もしないところからの紹介で決まったということで「ありがとう、ありがとう」という話になりました。
そのとき、今のビジネスモデルが見えてきました。ユーザーの方は情報が欲しくて私たちのサイトにアクセスしてくださる。それを葬儀社さんに紹介することで、成約が手数料なり広告代なりという形でお金を出していただき、ビジネスになると。そういう双方向のニーズをマッチングする「リボンモデル」ができるのではないか。
24時間365日、当番制で電話の受け付け
お葬式やお墓、仏壇は、買う頻度が高くなく、しかも安い買い物ではない。それなのに、一般の人は相場を知らないし、相談相手もいない。なので「ネットで検索する」ユーザーさん向けに情報を提供する価値がある。いまはそうはっきり言えますが、当時はまだ理解してくれる方はそうたくさんいませんでした。
事業者さんに「御社が売っているお墓の情報を、うちのサイトに載せさせてもらえませんか?」とお願いしたときにも、「うちはチラシ経由なら来るけど、ホームページからお客さんが来たことなんか1回もないわよ」なんて言われたものです。
売れたら手数料を支払いますから、とお願いすると「アイデアは無理だと思うけれども、昔からの付き合いだし、お金を先にくれと言わないのであれば」というような形で協力していただいて、なんとか掲載数を確保することができました。
そこから電話番号をフリーダイヤルにして、有志の社員と私が24時間365日、当番制で携帯電話の受け付けを行うことにしました。新しいビジネスになることを願いつつ、「きょうは鳴らないで欲しいなあ」と思ったこともありましたが(笑)。
ユーザーが増えれば事業者も増える「好循環」に
そのうちユーザーさんが、掲載されている情報に価値を感じて集まってくださる。すると今度は、事業者さんが集まってビジネスに乗ってくる。そして情報が充実してくると、さらにユーザーさんが増え、事業者さんが増えるという好循環が回るようになっていきました。
いまならこういう売り手と買い手をつなぐビジネスはいっぱいあるわけですが、当時はあまりなかったですし、必勝パターンとも思われていませんでした。ひとつひとつ、試行錯誤しながら進んでいったという感じですね。
しかし私としては、インターネットが急速に普及したときに、出版がゼロになるとは思いませんでしたが、情報の取り方がウェブに移ると考えていました。出版事業とネット事業のケンカのときも、お互いを尊重しながらやっていこう、となだめながらも「これからは絶対にインターネットの世の中になる」と言い切っていました。
それを聞いた出版部門の人たちが、私の決意に驚き、一人抜け二人抜けしたこともありました。そこからインターネットの事業が急速にグッと伸びてくるのが、2006年、2007年あたりのことでした。