日本は実力よりコミュ力重視? 会社の飲み会をキャンセルしている間に同期が出世、自分の上司に
先日、5ちゃんねるに「会社の飲み会ずっと断ってたけど俺より業績下の飲み会好きな同期が出世しまくっててワロタww」というスレッドが登場した。スレ主によると、自分より業績が悪い同期に、社長の親族とのお見合い話が来たという。「なんで俺より年下の奴が上司になるんだ」とも書いていることから、その同期は昇進もしたようだ。スレ主はこれらを、同期が飲み会に参加し続け、上層部に気に入られたからだと解釈している。
まあ能力が高ければそういうことはありえるけど、業績が自分より低いということなので、この話が本当なら、確かに納得できないところではある。僕なら「おいおいおいちょっと待ってくれや」つって社長に親族を紹介するように無茶を言うけど、きっとこのスレ主、そういうタイプじゃない。
しかし常々思うんだけど、せっかく業績が良いのにまともに査定されないって、これはもう必ずしも本人のせいじゃないと思う。飲み会に出ないぐらいで真っ当な評価をしない職場は、はっきり言って30年後に自分の会社を残すという意志を放棄しているように見受けられる。
その時々で調子の良いおべっか社員を厚遇したせいで傾いた会社が世間にどれだけあるか、見えてないのだ。
社交性って社外で発揮して仕事に役立ててこそ価値があるんじゃないの?
今回のスレッドの内容が本当にスレ主の言い分そっくりそのまま事実だとしたら、こりゃあもう僕なんかはスレ主の味方をせざるを得ない。実績があるのにまともに評価されないって、本人は「ワロタ」とか書いているけど、相当な屈辱だと思う。
でもスレッドに寄せられた意見は様々だ。
「業績だけがすべてではない。社交性も重要」
「会社てマジで飲み会がすべてだぞ。特に伝統ある会社とか銀行とかは」
「出世の理由は飲み会だけなのか?自身の業績は悪くても周囲の人間の業績がよくなるよう情報や資料を提供してたのかも知れないし、非効率的な作業手順を合理化したのかも知れない」
「昇進の上司推薦とか仕事を与えるか干すかなんてのは結局上司の感情なんだよね。そして上司の感情を害して干されると業績も出せなくなってくる」
「90点とれる嫌いなやつと70点だけど一緒にやってて楽しいやつ。どっちと一緒に仕事したいかって話だよな。バイトでもしてればわかると思うが」
と、こんな感じで、ほとんどの声がスレ主に対して手厳しい。
でも、これらの意見全てが的を射ているとは、正直僕は思わない。業績よりも社交性が重要という意見なんかには、「その社交性の向け方が日本の企業のおかしさの所以じゃん」と思ってしまう。
社交性は大事だ。しかし社交性って、対外的な部分で発揮してこそではないだろうか。顧客なり、取引先なり、社交性を存分に発揮して、それで業績を高める。これが本来仕事で用いる「社交性」の意味するところだろう。
ところが日本の多くの企業は、自分の上司に媚びへつらうことを社交性と呼んでいる節がある。直属の上司には擦り寄りつつ、取引先への社交性は人並み以下で仕事のできない奴、そこら中にいるじゃん。
内に目を向けてばかりの身内運営と、外に目を向ける本来の意味での社交性の発揮を、一緒くたにすべきではない。業績が一番評価されるべき対象なのだ。