ボルシチは「ロシア料理」なのか「ウクライナ料理」なのかという問題 | キャリコネニュース
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ボルシチは「ロシア料理」なのか「ウクライナ料理」なのかという問題

ボルシチ画像

どっちの料理?

ボルシチが美味い、美味すぎる!!

いや、ボルシチなんてこれまで、日常的に食べるものではなかった。提供するレストランは少ないし、自分で作るのは面倒くさい……と思っていたのだが、つい先日ロシア食品店「赤の広場」でゲットした「ボルシチの素」によって、その考えが根底から覆された。

素といってもカレールーのようなもので、肉と玉葱人参じゃがいもというカレーとほぼ同じ材料にキャベツを追加してちょいと煮込むだけ、ほとんどカレーと変わらぬ手間で、思わず踊りだす旨さの「ボルシチ」ができてしまうのである。(文:昼間たかし)

ボルシチの起源は……?

さて、そんなボルシチだが『東京新聞』2021年4月3日付夕刊によると、昨年3月、ボルシチを国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産として登録申請したウクライナに対し、ロシアが抗議するという騒動が起きていたそうだ。

つまり両国ともに「ボルシチはうちの料理だ」と主張しているということのようなのだが、実際はどうなのか? 調べてみると、日本の研究者・宮崎武俊氏が「ロシア料理ボルシアの起源と調理法」という、ど真ん中ストレートの論文を書いていることがわかった。

そこには、こう記されていた。

(ボルシチの発祥は)いまではウクライナ説、またはウクライナおよび隣接するロシア南部の説がほぼ固まっている。(「ロシア料理ボルシアの起源と調理法(1)」『釧路公立大学紀要』第28号)

なるほど。ボルシチは現在のウクライナからロシア南部発祥の料理で「ほぼ固まっている」ということか。
「しかしながら」として文章は続く。

1:ボルシチはすでにロシアの国民食として全国に広まり、各地方にはそれぞれ独自の調理法が根付いていること、2:古代ロシア国家としてのキエフ・ルーシが現在のウクライナを中心に存在したこと、3:ウクライナは旧ロシア帝国の領土であり、旧ソ連を構成する15共和国のひとつでもあったこと、4:同じ東スラヴ系の民族として、ロシア人とウクライナ人は近縁の関係にあり、言語的にもウクライナではロシア語が日常的に話されていること、等々の理由により、ボルシチをロシア固有の郷土料理から切り離すことは、もはや不可能と言わざるを得ない。

ではボルシチという料理は、いつどうやって誕生したのか? キーとなるのが、ボルシチに欠かせない食材、スープの赤い色を出すビート(ビーツ)である。

宮崎氏の論文では、こう記している。

ビートはボルシチには欠かせない食材であり、ビートの入っていないものをボルシチと呼ぶことはできない。
ビートはもともとは地中海原産でギリシアからローマに広まったと考えられている。

このビートには様々な種類がある。日本でも知られるのは長野県では「トキシラズ」として栽培されている葉物野菜の「フダンソウ」。北海道で栽培されている「テンサイ」もビートの一種だ。ボルシチの独特の赤い色の素になるビートは「テーブルビート」と呼ばれる。

宮崎氏は論文で、語源の検討などからセリ科のハナウドを用いた汁物(シチーと呼ばれ、現在もキャベツを用いた料理として存在する)が、地中海沿岸から伝わったビートと出会ってボルシチが生まれたという説を支持している。この過程で古代スラヴ語のハナウドを意味する「ボルシチ」が、料理名に変化して残ったというわけだ。

「ボルシチ」が生まれた時期について、宮崎氏の論文はこう記す。

ウクライナ人の書いた料理書には、ボルシチがあたかも太古から存在してたかのような思わせぶりな記述が目つく。(中略)ヨーロッパで赤い根の料理用ビートが普及したのは16~17世紀と考えられ、赤ビートに限ってみれば、ボルシチの出現は早くとも16世紀以降となる。

また、出現当初のボルシチは、今とはだいぶ様子が異なるものだったようだ。

ボルシチの原型がウクライナで生まれた当初は、ハナウドの汁物にビートを付け足す程度だったと考えられる。

ボルシチの誕生と発展を理解するには、歴史を紐解く必要がある。

もともと現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシの地には、9世紀後半から13世紀まで東スラヴ民族などによる「キエフ・ルーシ」という国家が存在したが、モンゴルの西征よって崩壊した。その後、モンゴルが衰退すると東スラブ民族による国家が再興された。その中心となったのがモスクワ大公国、のちのロシア帝国である。

この過程で、地域の中心はキエフからもっと北のモスクワへと移動する。結果、農業が盛んな南部の野菜が北部へ伝わる。一方で、北部で食べられていたハナウドの汁物が南へ伝わり、両者が融合して、ボルシチの原型へと至ったわけである。

ただ、これはあくまで原型。宮崎氏の論文では15世紀頃から、暖炉とオーブンを兼ねた「ペチカ」が普及し、煮込み料理が発展していったことと、現代ボルシチの定番食材であるジャガイモやトマト(どちらアメリカ大陸原産)がだいぶあとになってから導入されたことを説明し、

私たちが今日味わっているボルシチは、約200年前に主要食材が出そろったという意味において、比較的新しい料理とみなしていいだろう。

と述べている。

ざっとまとめると、北部料理のハナウドの汁物と南部野菜のビートが出会ってウクライナ付近で誕生したのがボルシチの原型。さらに、いまでは欠かせない定番具材となっているジャガイモをこのエリアに広めたのはピョートル大帝で、ジャガイモやトマトが根付いたのは19世紀頃に耐寒品種が出てきてから、ということだった。

うーん複雑……。ということで、ボルシチをめぐって争うのが、いかに虚しいか、わかってもらえたのではないだろうか。

もしボルシチを堪能しているときに「知ってる? ボルシチって実は……」などと知識をひけらかそうとする輩が現れたら、ぜひこの記事を見せてあげてほしい。そいつが記事を読んで唸っている間に、あなたはすっかり料理を食べ終わってしまえるはずだから。

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