「同じ長時間労働だったら、都会で苦しむほうが絶対まし」 地方市役所勤務(25歳女性)の場合 | キャリコネニュース
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「同じ長時間労働だったら、都会で苦しむほうが絶対まし」 地方市役所勤務(25歳女性)の場合

【シリーズ残業100超】「実は先月半ばから休職しているんです」――。消え入りそうな声で彼女は言う。

「ここのところ、死にたいなあしか考えられない日が続いていたんですけれど、ついに朝起き上がれなくなっちゃって。親になんとか病院まで連れて行ってもらったら、3か月療養に専念しましょうって言われちゃいました」

今回は、東北地方の市役所に勤務する宮森みさきさん(25歳女性・仮名)に取材をお願いした。過労で倒れた宮森さんは、社会人生活3年目を自宅療養で迎えることになった。

「こんなことになるなんてね」と笑う声は、穏やかながらもどこか自嘲気味だ。

夢見て帰った地元でぶつかった過重労働「昼休みなんてあってないようなもの」

公務員だって辛いんです

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地元に帰って働くことを夢に都内の私立大学に進学し、卒業後は念願かなって地元の市役所に就職を決めた。1年目は残業もほぼ無く、落ち着いた生活を送れていたという。

転機は2年目。課内の再編成で人員が減らされ、一人当たりの業務量が急増したことが長時間残業の始まりだった。

宮森さんは、障害を持つ子どもに関わる業務を担当した。療育の相談に訪れた保護者に対し、子どもの成育歴を確認したり、必要であれば申請書類の作成を促したりする。他にも、療育施設の開設を希望する民間事業所との交渉、既存施設から提出された請求書のチェック、特別手当の受給証発行・条件の確認なども業務の範疇だ。

「職務分掌では、私と係長の2人で対応するよう割り当てられていました。でも係長は他の係と兼務で、専任は私一人。ワンオペです。ある事業所と開所審査で揉めた時も、私が対応しました。本当なら、こういう外部との交渉は管理職の人がやるべきなんですけれど……」

さらに、マイナンバー施行に伴う課内システムの変更対応、特別児童扶養手当の受給資格確認のために行われる所得調査の実施や、支所の担当者向けに開く制度の説明会なども、すべて一人でこなしたという。

「課内の電話番もやっていました。電話が1つしかなくて、席が近くて若いからって、自然と電話交換手になりました。お昼休みなんてあってないようなものです。電話の合間にご飯を口に運び、急いで飲み込んではまた電話に出る毎日でした」

増員の約束を反故にされ「死にたいってしか考えられなくなった」

業務を捌くために、普段から50~60時間の残業をしていたものの、繁忙期はついに100時間を超える。当時をこう振り返る。

「お役所は、何かちょっとでもミスがあれば民間以上に激しくマスコミに叩かれるんです。だから『絶対にミスできない』っていう緊張感の下での60時間残業も辛かったですけれど、100時間はそれ以上に苦しかったです。気分転換すらままならなくなりました」

帰宅後も「明日あれやらなきゃ」「あのときこうすれば」と仕事のことばかり考え、「ずーっとオンの状態が続いて、ひどいときは一睡もできませんでした」という。それでも日中に眠気を感じたりすることはなく、車も運転していた。

「不思議と目は冴えたままでした。今振り返れば危険だって分かるんですけれど、車以外に足もありませんし」

ランナーズハイみたいなものですかね、と笑うが、一歩間違えれば交通事故に遭っていた危険性は高い。

「あとびっくりしたのは口角が上がらなくなったことです。不自然な笑い方しかできなくなっちゃって、それが嫌でマスクで隠していました。周りには『風邪ひいちゃって』って嘘をついてました」

しかし、それだけ負担が集中していたなら、上司や周囲に助けを求めなかったのだろうか。もしくは周囲からサポートの声はかからなかったのか。

「みんな自分の仕事で手いっぱいだし、周囲に気を配るって雰囲気は無かったです。係長には、『これ以上1人で回すのは無理だから、臨時職員の方を雇ってでも増員してください』って頼みました。でも、『今は予算が無いから来年度まで我慢して。来年は必ず臨職取るから』と断られてしまって」

年度が変わればよくなる、というかすかな望みを頼みの綱に耐えてきた宮森さんだったが、新年度の予算には臨時職員の雇用分が計上されていなかった。予算が無ければ募集がかけられないため、増員は無理になる。

「それ見て、『ああ、結局口だけだったんだ。いくら私が我慢したところで状況は良くならないんだ』って思ったら、張りつめていた糸が切れてしまったんですよ。それからはずっと、死にたいとしか考えられなくなりました。抱え込みたくなくても抱え込まざるを得ない状況なんです」

同じ長時間労働、同じストレスなら「東京に戻りたい」

残業時間の長さに加え、地方ならではの濃密な人間関係も災いとなった。

「田舎って仲間意識が強いんです。大学で地元にいなかった4年間の出来事が話題になって、一人ぽかんとしていると、その瞬間にすっと仲間から外されるんです」

宮森さんは続ける。

「話がすぐに広まるから、誰かに仕事の愚痴を言いたくても言えません。気分転換しようって外出しても、お店も少ないし、どこに行っても知り合いや仕事関係者に遭遇します。息をつける場所なんてありませんよ。休みの日くらい仕事のことは忘れたいのに」

そんな彼女がぽつりと「東京に戻りたい」とこぼした。地元で働くのが夢だったのでは?

「もう地元にはこだわってません。東京だったら、色んな場所があって人も多いし、知り合いに遭ったら、って怯えずに羽を伸ばせます。昼間に散歩しても怪しまれませんし。東京は、家賃も高いし電車もぎゅうぎゅうだし、大変なこともいっぱいありますけれど、今の私にはとても魅力的です」

最後に、体調が回復して勤務可能になったらどうしたいか聞いた。倒れる前から継続して勉強している資格があるらしく、それを取得し次第、辞める予定だという。

「残業って、仕事量と人員数がつり合っていないから発生すると思うんです。それってマネジメント層が知恵を絞るべき問題ですよね。お役所みたいに年功序列で新しいことが嫌いな組織は、上に立つ人がやる気ないならもう、私みたいな下っ端があがいても何も変わりません。絶対無理。だったら、ここで自分を擦り減らす必要はないっておもい始めました。資格を取ったり英語を身に着けたり、ちょっとでも自分に武器を増やして自信が付いたら、上京して仕事を探します」

地元に帰って働くことが夢だったかつての彼女は、もうそこにはいなかった。

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