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大河ドラマ『麒麟がくる』コロナにもめげず完結! 麒麟は果たしてやってきたのか?

画像は公式サイトをキャプチャ

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去年から今年にかけて、あらゆるものが新型コロナウイルスの影響を受けた。東京オリンピックなんてその最たるものだろう。

せっかくNHK総合の大河ドラマ『いだてん』を放映して、オリンピック熱を高めていたというのに、開催は延期。原因となったコロナは未だに鎮圧できておらず、続く『麒麟がくる』も、話数が削減された全44話での放送を強いられた。

また、『麒麟がくる』は放映期間中に撮影中断の憂き目を見ており、例年通りの放送すらままならない状況の中をひた走ることとなった。そんな本作がついに最終回を迎えた。作中では、タイトルにある麒麟が到来したとき世に平和が訪れる、と言われていた。では実際に麒麟が到来したのか。ちょっと考察してみたい。(文:松本ミゾレ)

良い意味で変わらなかった十兵衛、悪い意味で変わらなかった信長

同作では明智十兵衛(演:長谷川博己)と織田信長(演:染谷将太)が”大きな国”を作るという夢を一緒に追っていった。その大きな国の構想自体は、かつて十兵衛が仕えた美濃の斎藤道三(演:本木雅弘)が、今生の別れの際に話して聞かせたもの。

しかし、大きな国を作るための障害はその時代、大変に多かった。劇中では信長は駿河の今川、甲斐の武田、越前の朝倉などと終始しのぎを削っており、終盤では本願寺と長期戦の末になんとかこれを退けていた。

この間に荒木村重や松永久秀ら有力な部下も離反し、信長と対立してしまった。さらには長年重用してきたはずの佐久間信盛をも放逐し、これもドラマの中で短いながらも印象的なパワハラシーンとして挿入されている。

本作の信長という男はそもそも、若いころから独断専行で討ち取った松平広忠の首を見せて父・信秀の逆鱗に触れるという危うい部分が当初から描写されていたが、この性質はその後も変わらない。十兵衛が丹波を攻略したのち、生かしておいた敵方を信長が成敗。その首を十兵衛に見せて、やはり反感を買っている。

信長を、大きな国を作るために押し上げたのは十兵衛であったが、信長本人は本質的には初登場から変わらない人間であるという印象を持った。父に褒めてもらいたい。十兵衛と帰蝶に褒めてもらいたい。そして帝に褒めてもらいたいなど、基本的な行動原理はこれでブレていない。

一方で十兵衛は、仕える者はたびたび変わっても、義理堅く、頭の固い人物という印象で一貫している。美濃時代も道三が好きではないと公言しつつ、その最期を見届けて慟哭している。足利将軍家の中で幕臣として将軍足利義昭(演:滝藤賢一)の手足となり奮闘をしていた時期もある。

最終的には織田家家臣として最後まで信長に仕えていたが、味方の離反もあるわ、久秀の遺品を値踏みされるわ、帝との会話の内容について問いただされ殴られるわ、散々な扱いとなる。

そうして本能寺を襲撃することとなったわけだけど、信長を大きな国を作るために押し上げたのは十兵衛。その十兵衛としては、信長に対する恨みつらみよりも、押し上げた者としての責任感が勝っての決起だったという解釈の描かれ方をされていたのがこのドラマだった。

最後に駒が見た十兵衛こそが麒麟の化身では?

最終回で十兵衛らによる本能寺攻めは、コロナ禍での撮影とは思えないほどに密であり、緊迫した名シーンである。手負いの信長が槍を取り、弓を取り、刀で明智勢に最後の抵抗を見せる。やがて頃合いを見て奥に引き、そこで自刃して果てる。

火を放たれた本能寺の中で切腹を果たした信長の顔は、うっすらと笑みが浮かんでいて、どういう思いで最期を迎えたのかを、視聴者らに想像させてくれた。そして史実にあるように、十兵衛はその後すぐに豊臣秀吉(演:佐々木蔵之介)の手で討たれたわけだが、本編にはまだ続きがある。ことが終わってほどなく、義昭は駒(演:門脇麦)から、十兵衛生存説を聞かされる。

この駒、オリジナルキャラクターとして本作では色々と批評を受けた存在だが、個人的にはいい狂言回しだったと感じている。さすがに、ちょっと大成し過ぎた感はあるけども(笑)。

その駒が町を歩いていると、十兵衛によく似た人物を見かける。慌てて追いかける駒だが、曲がり角を出たところで、この人物を見失う。本編はその後、十兵衛と思しき人物が馬で駆けていくシーンで幕を閉じる。

これ、目にした瞬間に膝を打った。十兵衛が生きていたから、ではない。僕の勝手な解釈ではあるが、あれは十兵衛ではなく、あれこそが麒麟の化身だったのではないか? と直感したからだ。

本作では麒麟のことを「誰も見たことのない生き物」と表現していたが、であれば麒麟が人の姿に化身して顕現していても、別におかしくない。

『麒麟がくる』では、劇中で度々「仁のある政治をする為政者が現れると麒麟がくる」と説明されていた。仁のある政治をする為政者とは、歴史を俯瞰すれば信長でもなく、秀吉でもなく、最終回で決死の伊賀越えの渦中にあった徳川家康(演:風間俊介)であることは自明だ。

伊賀越えを成功させた後、家康が300年に渡る徳川幕府の礎となるわけだから、『麒麟がくる』における麒麟到来の土壌はここに固まったことになる。条件がそろったので、死んだはずの十兵衛という武将の姿をとって、麒麟が人の世に出た……と、僕なんかはそう感じた次第である。

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