「hikikomori」として英語の辞書に掲載されるまでになった「ひきこもり」という言葉。いまではすっかり定着したが、いつごろから使われるようになった言葉なのだろうか?(文:伊藤 綾)
新聞記事の検索サービスで「ひきこもり」を検索してみると、関連がありそうな最古の記事は、1989年3月5日毎日新聞朝刊の記事「長期無気力・ひきこもり症、長男に多発ーー筑波大グループ調査」だった。
本文にはこうあった。
〈長期にわたって自宅にひきこもる無気力な青少年が増えているといわれるが、筑波大社会医学系の稲村博助教授らのグループは初めて「長期の無気力、ひきこもり状態」の実態調査を行い、4日、東京で開かれた日本社会精神医学会で発表した〉
〈調査は稲村助教授や同大学院生の斎藤環さんらが1987年、88年の2年間に(中略)行った〉
記事に登場する斎藤環さんは、ひきこもり研究の第一人者である筑波大教授。1998年にベストセラーとなった『社会的ひきこもり』(PHP新書)の著者だ。同書などによると「社会的ひきこもり」はアメリカ精神医学会が出したマニュアルに出てくる「Social Withdrawal」という英語の直訳だという。
なお、利用した記事検索サービスでは1980年代中盤までしか遡れない。そこで、雑誌の図書館「大宅壮一文庫」でも調べてみたが、この記事以前のものは見つけられなかった。
■1994年の女性セブンが”ひきこもり症候群”を紹介
見出しで「ひきこもり」という言葉を使ったケースを大宅文庫のデータベースで検索してみると、最古のものは1994年8月11日号の『女性セブン』だった。
記事タイトルは「『ひきこもり症候群』の叫び」。「小学生から大人まで推定10万人ともいわれる深刻リポート」とのうたい文句が躍る。
当時はショッキングな数字だったのだろうが、今となってはひと桁少ない印象だ。内閣府は2015年、15歳~39歳までのひきこもりが全国で約54万人いると推計。さらに2018年には40歳から64歳までで約61万人のひきこもりがいるという推計を発表した。15歳から64歳まで合わせると115万人となる。
次に「ひきこもり」を記事タイトルに取り上げたのは、「宝島」の1997年10月15日号だった。タイトルはズバリ「”ひきこもり”って何だ!?」。ここからも分かるとおり、まだ当時はあまり知られていない言葉だったようだ。
記事ではH・Sくん(当時19歳)とN・Kくん(当時22歳)というひきこもり経験者本人に直接取材し、見開きで紹介していた。リードには「学校や会社に行くことができない」との記述があるが、若年層のイメージが強いからなのか、取材協力者が見つからなかったからなのか、どちらも登校拒否パターンだった。
記事によると、H・Sくんは「父に一度『おまえが学校へ行かないと、家庭が崩壊する』と、こぼされたこともある」そうで、実際に「数年後に両親が離婚し」たと証言していた。
記事には次のような記述もあり、取材時点では、すでにひきこもり状態を脱していたようだ。
〈その後、母が見つけてきた東京の施設で寮生活を始めた。寮といっても「1人部屋が与えられ、朝も起こさずにのんびりできたことがよかった」〉〈浅草のハンバーガー店にバイトで採用され「まず社員、将来は店長を目指して」働き始めた〉
一方、N・Kくんは「小学校時代、成績はほぼトップクラスで、主要科目は「ほぼオール5」」というN・K君は、かわいがってくれた祖母の死がきっかけで登校拒否に。「「何で行かないの!」などと、母から叩かれたり、力ずくで引っ張られたり」して「母の顔が鬼のように見えて…。『鬼!』と言い返したこともあったんです」と語ったそうだ。「中学3年間はほとんど家にこもりっきり」「その後、同じひきこもりの仲間がいることを知り」施設へ。
記事には「コンビニのバイトに採用され」とあるので、N・K君も自立を目指すタイミングでの取材だったようだ。
ブレイクしたのは1998年
90年代後半の他の記事にも目を通していくと、精神科医の香山リカさんが1997年11月号『月刊創』の連載で、「ひきこもり」という言葉の由来について、次のように言及していた。
「厚生省が91年度に始めた『ひきこもり・不登校児童福祉対策モデル事業』ではじめて使われた、という説が一般的だが正確な”命名者”は明らかではない」
そして、この翌年、斎藤氏の著書がベストセラーとなり、「ひきこもり」は一躍注目を浴びる言葉となった。前述の新聞記事検索サービスで、全国紙(朝日・毎日・読売・産経)の記事を対象に「ひきこもり」というワードで検索すると、89年~98年は137件だったのに、99年~2008年だと3830件ヒットした。直近の2011年~2020年ででは4201件。「ひきこもり」の深刻さは、この数字のように、いまもじわじわと増しているのかもしれない。