『ファイナルファンタジー』の最高傑作は? SFCのドット絵時代のタイトルが多く挙がる理由を考える
僕は今年41歳になる。子供の頃はゲームが大好きで、やり過ぎて頭に十円ハゲが複数発生し、それがぷよぷよの連鎖みたいに繋がって一時期凄いことになっていた。
それぐらい、ゲームが大好きだった。
90年代をゲーム漬けで過ごしてきた僕にとって、当時もっとも著名なタイトルは何かと問われれば間違いなく『ファイナルファンタジー(以下FFと表記)』だったと答えてしまうところ。
『ドラゴンクエスト』も人気だったが、どっちかと言えば当時はエニックスよりもスクウェアソフトに勢いがある時代だった気がする。
『FF』は今も連綿と続くコンテンツになっているが、知名度は未だにあるものの往時ほどの勢いは感じられない。なんというか、『FF』で育った人が今もわずかに『FF』をやっている感があるというか、ぶっちゃけ下手にナンバリングであることがわざわいし、新規ユーザーに「今更遊んでもな」と思われている感は否めない。
そのためにスクエニも『7』のリメイクタイトルを発売するなど、ユーザーの若返りに苦闘している印象はあるけれど。そして実際『FF7R』はオリジナルを触ってこなかった人も遊んでいたようだ。僕はなんか嫌いなリメイクだったけど。
現在に至るまで、純粋なナンバリングだけでFFは16作まで出ている。その全てを遊んだという人は、そうそう多くないだろう。しかし、その半数以上に触れたというユーザーならば、これはきっとグンと多くなる。かつては国産RPGの筆頭タイトルだったわけだし。
そこで今回は、どのタイトルが一番面白かったのかについて、実際に遊んできた人たちの声を拾っていきたい。(文:松本ミゾレ)
最高傑作は「実際5か6が一番だと思うけど」
先日5ちゃんねるに「【謎】ファイナルファンタジーの最高傑作は?なんG民『5』『5』『6』」というスレッドが立っていた。スレ主は「結局どれがベストなんや?」と書き込んでいる。5も6もSFC時代のかなり古いタイトルになるが、今でもその評価は高い。
最近はネットでゲームプレイを配信する暇人も多いので、実際にプレイしたことはないけど内容はなんとなく知ってるという層も多いのだろう。僕としても『FF5』や『FF6』は大好きだ。これまで双方、最低5回は全クリしている。
昔はソフトも高かったのでそうそう何本も親に買ってもらえず、何度も繰り返し遊んだものだ。しかもやる気だけは無限にある小学生時代の話だからね。『FF7』で初代PSに移行したときは実に困った。貧乏だからまずプレステを買ってもらえず、やっと手に入れた時にはもうとっくにみんな全クリしてて、ネタバレを食らいまくったものである。が、それでも十分面白かった。
結局ゲームって、感受性が高い若い頃に遊んだものが記憶に残りやすいものだから、人によってFFも「これが最高傑作だ」という意見はバラつきそうだ。ちょっとこのスレッドに寄せられた声を引用させていただきたい。
「逆張りしないなら10」
「なんやかんやでやっぱ7」
「9はロードと戦闘のモッサリがなければもっと評価されたかもな」
「そんなもんガキの頃に最初にやったFFが最高に決まってんだろ」
「実際5か6が一番だと思うけど」
「3か4かで迷うところ」
このように、初期の作品から10まで、という意見が多く目についた。しかし「すまん16が最高傑作や」という最新作を推す声もちゃんと書き込まれている。幅広く支持されているシリーズということなんだろう。有り体に書けば。
ただ全体で見ればやっぱりナンバリングが1ケタ台に人気が集中しているようだ。もっとも、これが5ちゃんねるの利用者の平均的な年齢層が高いってことも大きいだろうけど。
「映像のFFとは言われるが…」ドット絵は想像力を刺激するので印象に残りやすいのかも
そう言えば、僕が中学生になった頃に発売された『FF8』ぐらいから、しばしばFFはグラフィックで一線を画するタイトルだ、みたいな言葉を耳目にするようになった。実際ゲーム誌でも、新作の初報では映像美を前面に押し出す記事が連発されていたし(他に書くことがなかっただけだろうけど)。
そして遊んでみると、確かに映像も美しいのだ。それは今に至るまで、クオリティの高さの根幹として連綿と受け継がれている要素でもある。おにぎり1つにリヴァイアサンと同じポリゴンを使うなどのこだわりがある、みたいな感じでスクエニ側もかなり意識している様子だ。
一方で何もかも丁寧に描写してしまうというのは、遊ぶ側の想像力をかなり侮っているような気もするところ。SFC時代のFFが今もなんだか評価が高いのは、あのドット絵で必ずしもあれもこれもと表現し切れなかった部分を、ユーザーが脳内補完した想像力に由縁がある気がしてならない。
それこそ、素晴らしいゲームってテキストと、最低限のドット絵の動きだけで、実際そのキャラがどんな動きをして、どんな表情なのかを想像させる力があったのだ。
いや、むしろ極端を言えばグラすら不要かもしれない。『ウィザードリィ』を見れば、そう思ってしまう節すらある。綺麗なグラフィックが当たり前になった昨今のFFは、まさに映画だ。
でも綺麗な映像を観るだけではプレイをしている人の想像力が働いて、描写されない部分を補完しようとする力が働かないため、なんだか味気なく感じてしまう部分があるような……一個人の感想だけど。
描写する、しない以前に描写のしようがなかった時代のFFがもっぱら高評価というのは、結局ユーザーが描かれない部分に関しては頭の中で補うことで、それすら思い出の一つとして取り込んだことが影響している気がしてならない。
完璧な映像を出されると、補う余地はなくなり、ただ「きれいだな」と観るばかり。だけど綺麗なだけのものって、作り手はともかく受け手はすぐにその感動を忘れてしまうものだ。
だって今の時代、綺麗な映像はもうFFだけじゃなくあちこちで当たり前に見受けられるものだけど、映画でもドラマでも「あの映像、綺麗だったなぁ」と映像のクオリティだけを純粋に評価する人の声ってあんまり見かけないでしょ?