人生を良くする習慣「笑顔が大事」って意味あるの? 誰でも言えるような自己啓発のうさん臭さ
人生を素晴らしいものにするには、どうすればいいか。こういうことを考えたことがあるだろうか。僕はない。そういうのはムダだと思っている。
端的に言って生まれつき裕福な人間であれば、いちいちそういうことを考える必要はない。しかしながら彼らはそれがベーシックな生活水準であるため、その人生がどれほど恵まれているかなんて気が付かない。
反対に、恵まれない家の人間は実際に金銭面、精神面で日々追い詰められて生きているので、その上で人生をいかに良くするべきか、なんてことを考えろとか言われても、「うるせえ」としか返したくないだろう。(文:松本ミゾレ)
「嫌なことはやらない!」ってそりゃ誰だって本当はそうしたいでしょ
先日ガールズちゃんねるに「人生を良くする習慣ってなんでしょうか?」と題されたトピックが登場した。投稿者は自分の人生をより良くするための習慣があれば知りたいという。早速、寄せられたコメントの中から目立った意見を紹介していきたい。
「まずは笑顔!どんなときも笑顔!」
「嫌なことはやらない!やりたいことを積極的にやる!」
「愚痴を言わない。代わりに何でも感謝する」
「価値観の違う人が現れても、否定はせず相手の考えを理解して尊重できるようにする」
「ネガティブな人とは付き合わない」
まとめると、どんなときも笑顔で、嫌なことはせず、愚痴も言わずに感謝し、価値観が違う人とも仲良くし、だけどネガティブな人とは付き合わない、ということになる。これだけやってれば、人生は向上するというわけだ。
しかし、こんなことをいちいち実践している人なんてどれだけいるんだろうか。僕はせいぜい、いつも笑顔でいる人ぐらいしか見たことがないし、その人物だって別に良い人生は歩んでない。一生懸命自己啓発セミナーなんかに通っているけど、実生活は笑えないぐらい困窮している。
ネガティブな人とは付き合わないという意見もあるが、だとするとネガティブな人間は、他者の人生の向上を邪魔する存在ということになる。ではそのネガティブな人が、自分の親兄弟だったらどうすればいいんだろうか。
「いつも笑顔」なんて言っている人が本当に笑顔のことはない
このテーマに限ったことではないんだけど、ネット上で自己啓発系の書き込みを見ると、「うわ、それ絶対今考えた奴やん」と思ってしまうぐらい、崇高過ぎる意見がよく目に付く。
「人生を良くするために~」という考え方やら行動なんて、一体どれだけの人たちが普段から考えているのだろうか。断言するけど、みんな絶対、普段からこんなテーマについて考えちゃいない。
人生を良くする習慣というものが仮にあったとしても、それを提唱者が実践しているケースなんか稀なんじゃないか、と思ってしまうのだ。
「いつもニコニコ笑顔で過ごす」なんてことを言っている人が、本当にいつも笑顔で過ごしているはずがないのだ。「自分の嫌なことはしない」という考えが人生を良質にするという意見だって、僕にしてみればわがままが許される環境の人で、既に良い人生を歩んでいるだけにしか思えない。
「愚痴を封印して何に対しても感謝」とか言われても、信用していた人に金を持ち逃げされたりした経験のある奴がこれを聞いて「なるほど~」なんて思うわけがない。「価値観の違う人とも仲良く!」という言葉は一見すると美しいが、それができないから人間というのは厄介なのだ。まあ、「ネガティブな奴と仲良くするな」は本当に同意するけど。
人生を大きく変えるなんてそう簡単なことじゃない。逆立ちしたって死ぬまで不幸な人もいるし、死ぬまで一切の不自由がない人生もある。
人生をより良くしたいのなら、笑顔やら感謝なんかせずとも、ただ努力してお金を稼ぐなりして生活の安定を目指せばいい。しかしそれが非常に難しい。だから多くの人々の人生というのは、こんなにも不満と涙で溢れているのだ。