「うつ病にならないような働き方をすることが大切」 月358時間の長時間労働で夫を亡くした寺西さんが「働き方改革」に反対する理由
人手不足で忙殺されていた彰さんは、1996年の年明けから「眠れない」といった不調を訴えていた。それまでは冗談も良く言い、スポーツも音楽も好きな人だったが、その頃から顔つきに覇気がなくなり、目も虚ろになっていったという。亡くなる4日前には、店内の階段で足を滑らせて転げ落ちた。
「骨折ではなく打撲でしたが、病院からは1週間入院して、退院後も1週間は自宅療養が必要だと言われました。私は、『これでゆっくり休める』と思ったのですが、夫は1日入院しただけで無理やり退院してしまいました。社長がお見舞いに来た直後に、夫が『退院する』と言い出したので、社長に何か言われたのではないかと思っています。社長は否定していますが、もしあのまま入院していたら十分な休養が取れたはずです。夫は死なずに済んだでしょう」
無理をして翌日から出勤した彰さんは、結局その4日後に亡くなってしまう。寺西さんは夫が亡くなったことにショックを受けるだけでなく、「夫の変化に気づきながらなぜ助けられなかったのか」と自責の念に駆られたという。また「死ぬほど辛いなら、なぜ打ち明けてくれなかったのか」という思いも強かった。
「家族に一言もなく、遺書すらないというのがとても辛かったです。死ぬ前に家族のことを思い浮かべなかったのだろうかと情けなかった。しかしその後、精神科医による意見書を読み、”うつ病が悪化すると希死念慮にとりつかれて正常の認識ができなくなり、自殺行為を思いとどまることができなくなる”ということが理解できました」
追い詰められても声を上げられないなら、家族や周囲の人はどうすればいいのだろうか。寺西さんは、「うつ病にならないような働き方をすることが大切」と語る。うつ病に罹患した人の中には、直前まで家族と談笑していたのに、妻が目を離した隙に飛び降りてしまった人もいるという。病気のサインを見逃さないことも重要だが、そもそもうつ病にならないような働き方をする必要があるのだろう。
「電通でも最大で月70時間だった。それなのに月100時間を法律で容認するのか」
現在、「全国過労死を考える家族の会」の代表を務める寺西さん。同会は、各地域にあった「過労死を考える家族の会」を束ねる形で1991年に結成された。
「会には現在200人ほどの会員がいます。ニュースを購読しているだけの人も含めると300人ほどになるでしょうか。全国14か所に家族の会があり、今後さらに16か所に増える予定です。毎年11月には厚生労働省への要請などを行う統一行動も実施しています。去年からは、学校でワークルールの講義もしています」
2014年に過労死等防止対策推進法(過労死防止法)が制定された背後には、家族の会の尽力があったという。
「2011年には過労死弁護団と共に『過労死防止基本法制定実行委員会』を結成し、100万人署名や地方自治体の意見書採択に取り組んできました。また議員への働きかけも続け、13年には『過労死防止基本法の制定を目指す超党派議員連盟』の結成に至りました。そして14年には悲願の過労死防止法制定を達成することができました」
しかし現在、制定が進められている「働き方改革関連法案」では、「過労死ライン」とされる月残業80時間が法律に明記されようとしている。
「長時間労働の上限として、月45時間・年360時間とされています。しかし特例として、届け出があれば、複数月80時間・単月100時間未満が合法になるわけです。過労死として認定される『過労死ライン』が法律に書き込まれることになります。ありえませんね。電通の社員だった高橋まつりさんが亡くなった時、36協定では最大70時間と定めていました。実際には守られていなかったわけですが、それを超える上限を法律で容認してはなりません。1日の上限や1週間の上限がないのも問題です」
罰則付きの労働時間規制や高度プロフェッショナル制度などを盛り込んだ「働き方改革関連法案」は10月に国会で審議されるはずだったが、衆議院の解散総選挙に突入したことで宙づりとなっている。今後、制定される法案がどのようなものになるのか注視していく必要がある。
現在、寺西さんは、厚生労働省での会議や集会に参加するため、自宅のある京都と東京を往復する忙しい日々を送っている。11月に全国で開かれる過労死等防止対策推進シンポジウムの京都会場などでも講演をする予定だ。
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