相撲の”女人禁制”は明治以降に作られた虚構? 救命中の女性に「土俵から降りて下さい」が波紋
京都府舞鶴市で4月4日に開催された大相撲舞鶴場所で、挨拶に立った多々見良三市長が土俵で倒れるというトラブルがあった。その際、救命のために土俵に上がった女性に対し、「女性の方は土俵から下りてください」という場内アナウンスが数回流れた。共同通信によると、この女性は医療関係者との情報もあるという。
人命救助よりも、”土俵は女人禁制”という伝統を優先するような相撲協会の対応が物議を呼び、ネット上では批判が噴出している。
「明治以降、女性が土俵で”取っ組み合う”様子は、文明国家のものではないと考えられた」
女人禁制の伝統についてはこれまでも度々話題になってきた。1990年には森山眞弓官房長官(当時)が、本場所の優勝力士に土俵上で内閣総理大臣杯を渡したいと申し入れたが、日本相撲協会が拒否している。
2000年にも大阪府の太田房江知事が、春場所の優勝力士を土俵上で自ら表彰しようとし、協会側に拒否されている。
だがそもそも”女人禁制”というのは、必ずしも古代からの伝統とは言えないようだ。吉崎祥司氏と稲野一彦氏の共著論文「相撲における『女人禁制の伝統』について」(北海道教育大学紀要、2008年8月)によると、日本書紀には雄略天皇の前で女性が相撲を取ったという記述があるという。室町時代や江戸時代にも、女性が相撲を取っていたという記録が残っている。
しかし明治に入ると、近代化や家制度の創設に伴って、女性が相撲から排除されていったという。
「女性が土俵上で”取っ組み合う”様子は、文明国家のものではないと考えられた」
「家制度の制定に集約される男尊女卑の土壌が、相撲の女人禁制を浸透させていった」
そして女性の排除を正当化するために用いられたのが、「『神道』との関わりという錦の御旗」だった。「穢れ思想」に基づいて、女性を差別する神道との関わりを利用したのである。
「『相撲は神道との関わりがあるから女性を排除する』というような論理は、明治以降に相撲界の企図によって虚構されたものである」
国際相撲連盟には「女人禁制」のルールなし
多々見市長は、くも膜下出血と診断されたものの、一命を取り留めた。市長が助かったから良かったものの、今回の相撲協会の対応には批判が殺到している。中には、相撲協会の存在や相撲が「国技」であること自体に疑問を抱いた人もいるようだ。
「こんなのを国技と称されるの本当に恥ずかしいから無くなってほしい」
「そろそろ国技の定義をやめて国際的なスポーツにしよう。相撲協会はいったん解体して再編成」
ちなみに相撲協会では土俵を女人禁制としているが、国際相撲連盟にはそのような規定はない。2001年からは世界女子相撲選手権大会も開催されている。