SNSはなぜこうも息苦しくなったのか「もはやリアルの延長」「人間関係ができるとその人達に配慮しなきゃならなくなって面倒」
今日はSNSの話をしたい。僕はツイッターとインスタグラムをやっている。前者は嫌味。後者はひたすら動物の画像をアップするだけと、意図的に使い分けをしている。あれもこれも一つのSNSアカウントでやると、とっ散らかってしまいそうだから。
インターネット黎明期から、日本では匿名の掲示板が隆盛を極めていた。代表例は2ちゃんねるだろう。あの雰囲気に慣れ親しんだ人にとって、SNSはさほど肌に合うものでもなかったのかもしれない。(文:松本ミゾレ)
「匿名だから遠慮なく暴言吐けるけど実名じゃやりたくない」
先日、5ちゃんねるに「SNSの息苦しさ何とかならんのか?」なるスレッドが立っていた。スレ主は、「結局ねらーと話してる方が楽なんだ」と書き込んでいる。
スレッドを見ると、同じような人は結構多いようだ。
「匿名なら本音をぶちまけられるからな」
「もはやリアルの延長やろ。リアルの人間関係に馴染めないような奴はネットでも馴染めない。ソースはワイ」
「twitterとか匿名でやっとっても人間関係できあがるとそいつらに配慮せなあかんくなってめんどくさいよな」
「匿名だから遠慮なく暴言吐けるけど実名じゃやりたくないわ」
そもそも、匿名性の高い掲示板と、ある程度個人が特定しやすいSNSとでは水と油みたいなものなので、匿名掲示板が合う人はSNSが苦手でも分かる。そういう意味で僕は、今のように掲示板もSNSもある状況って、割と理想的な棲み分けができているんじゃないかと思ってしまう。
紹介した書き込みにあった、匿名は遠慮なく暴言が吐けるがSNSではやりにくいという意見。SNSが苦手なネットユーザーは、ここがネックになっているんじゃないかと思う。暴言はSNSでも散見されるけど、実名、住所、仕事などが特定された途端に発言を謝罪するユーザーも多い。ああいう状況を見るにつけ「レスバトルでも自分の実在性は隠しておきたいものなんだなぁ」と感じるに至る。
昨年末にツイッターで、東京駅での殺人予告をやらかした女性がいた。こういう、普段自分が使っているアカウントで犯罪予告とかして捕まっちゃう人たちって、ネットリテラシーについて無知なんだよね。そして、無知を”無敵”と勘違いしやすい。5ちゃんねるですら解析されて犯人特定されるレベルなのに、それよりも特定が簡単なSNSでやらかすわけだから、色んな意味で怖い話だ。