高い山こそ登りたくなる。“Work Simple”な世界を目指すエンジニアの挑戦
ITの技術的な知識を用いて営業担当をサポートするプリセールスエンジニア。革新的なソリューションを取り扱うシスコメラキにとって、もっとも重要な役割です。シスコメラキ日本オフィス初のプリセールスエンジニアとして、カルチャーをつくり上げてきた中川雅之の挑戦と、そこに根付く会社のフィロソフィーをご紹介します。【talentbookで読む】
自分を飽きさせない、挑戦できる環境を求めて
中川 「人に使ってもらえなかったり、結局売れなかったりする製品って好きじゃないんですよ。実際に人に使ってもらって、その人の生活や仕事が変わっていくところが見たいんです。だから僕は、プリセールスエンジニア(以下、SE)を続けてきました」
技術そのものではなく、何が変わるのか──。自分の興味は常にそこにあると答える中川は、SEにもっとも必要な素質を備えているのかもしれません。そのキャリアはいつのまにか20年に届こうとしています。
中川 「初めは外資系の SIerに新卒として入社しました。だけど、その会社はまったく外資系っぽくなかったんです。実態は日系企業と言っても過言じゃないくらい、英語もまったく使わない環境でした。悩んだ末に、より成長できる環境に行きたいと数年で転職してしまいました」
“変わり続けること”に興味があるからこそ、中川は、自らが身を置く会社にも「チャレンジできる環境」を求めてきました。そこで、単身でアメリカへ。しかし、2社目に選んだアメリカのSIerも、2年ほどで退職します。
中川 「アメリカでも SIerで働き、パソコンからサーバーまでいろいろな IT機材を取り扱い、ネットワーク関係の機器にも初めて挑戦しました。それはそれで楽しかったんですが、また『もっと難易度の高いことに挑戦したい』と感じるようになって……。この環境は良くないぞと思い、日本に帰ってきました。言葉を選ばずに言えば、飽きてくる。何か新しいことをやり続けたいという想いが昔から強いんです」
そんな中川が、シスコグループに入社してから10年以上が経ちます。中川をつなぎとめたのは、シスコの中で絶え間なく起こるダイナミックな変化でした。
中川 「私が入社したときのシスコは、コンピューターネットワークの開発をしていました。けれど、いつの間にか総合 ITベンダーとして大きくなっていって、扱う製品もどんどん増えていきました。その変化の波に乗り続けているうちに、気づけば 5年、10年が経っていたという感じです」
しかし、会社の規模が大きくなったことで中川にとっては思いがけないことも──。
中川 「分業制がはっきりしてきたんです。もちろん、組織として成熟してきたという証なので、決して悪いことではないことは理解しています。しかし私は、『なんでも自分の手でやりたい!』という性分。分業体制が整っていくことをもどかしく思ってしまったんです」
そんな時、中川の目に留まったのが、当時グループに加わったばかりのシスコメラキでした。
転機となったシスコメラキとの出会い。第1号SEとして道を拓く
メラキは、2006年に設立されたアメリカのスタートアップ企業で、2012年にシスコグループに加わり、シスコメラキとなりました。「ネットワークをクラウドで管理する」というコンセプトのもと、企業向けの無線LAN機器を提供しています。機器の設定をすべてネットワーク経由で一元管理することで、導入や運用管理作業を効率的に、迅速に行えるようにするものです。
中川 「製品ラインナップを拡大してきたシスコと比べても、メラキの製品は、それひとつだけで成り立つという特徴がありました。日本へ進出する直前で、ビジネス的な挑戦の場でもありました。
エンジニアとして、ビジネスパーソンとして、キャリアを考えた時に、もう一度ここで、すべてを自分で手掛けられる仕事に挑みたい!そう思ってメラキを選んだんです」
想いは先走り、中川は独自にアメリカのシスコメラキ本社にレジュメを送り、採用面接を受けました。中川がシスコグループの一員であることに、シスコメラキが気付いたのは最終面接でのことだったと言います。
そんなやる気も買われ、晴れてシスコメラキの一員となった中川は、日本オフィスの第1号SEとして、新しい一歩を踏み出しました。
中川 「最初 SEは、わたしひとりしかいなかったので、大小関係なく日本にある案件はすべて担当していました。大変なことに思われるかもしれませんが、結果さえともなっていればやり方は自由。本社からは数字目標だけ与えられているような状態でしたから、思い付くことを次々チャレンジできる環境は、とにかく楽しかったですね。
もちろん、人手が足りなくてできないこともたくさんありました。つらかったですが、その何倍も新しいチャレンジをできることが嬉しかったです」
そんな挑戦の中で、中川が収めた大きな成功があります。大手コンビニエンスストア に、製品が採用されたのです。
中川 「営業に行くと、お客様からは『御社の製品はどこの企業が使っているんですか?』という質問を必ずされます。1年目は、とにかくその質問に対する答えをつくろうと奮闘していました。
ちょうど1年かけて契約できたのが、 この大手コンビニエンスストアです。規模的にもすばらしい成果でしたが、お客様に製品の良いところ、悪いところも、ちゃんと理解していただいた上で契約に結び付いたという経験が、何よりの成果だと思います」
シスコメラキには、“Work Simple”というフィロソフィーがあります。提供するサービスも、それによってつくられる環境も「シンプル」に。しかし、シンプルであるがゆえに、お客様のオーダーに応えられない部分もあります。
中川 「うちの製品の良さをなくしてまで、お客様のオーダーに合わせてしまうと、結果的にお客様に利益が出なくなる。だからこそ、私たちの製品とサービスにかける “Work Simple ”という想いをしっかり理解してもらうことが重要なんです」
初期の大型案件でシスコメラキのフィロソフィーを守れたことは、日本オフィスにもシスコメラキのカルチャーを根付かせることにつながりました。そのカルチャーは、SEの働き方にも現れています。
シスコメラキらしさを形づくる“Work Simple”
中川 「シスコメラキの SEチームは少し変わっているんです。一般的に、SEと営業の関係は、チーム対チーム。一案件に多くのメンバーが関わります。しかし、シスコメラキでは、営業ひとりに対し、SEもひとり。このふたりが運命共同体になって、独自に動くんです。
SE同士で情報共有することもありますが、一緒に仕事をするというよりは、個人事業主が集まっているような雰囲気があります。
“個人事業主”と表現するのは、それぞれが自身の仕事に意志と責任を持っているから。そんな人たちだからこそ、今の体制がうまくいっているんだと思います」
一見、チームとしての連携は弱いようにも思えますが、SEのほとんどは外資系出身で、個人個人で取りためたナレッジを共有し合うコミュニケーションが得意だと言います。
こうした組織は、シスコグループのような大手企業というより、スタートアップ企業に見られる特徴です。
中川 「私の認識では、シスコがメラキを買収するときに、メラキのバリューや文化を尊重することが、今後ビジネスとしての成長につながると考えたのだと思います。シスコという大きな基盤がありながら、メラキのスタートアップ企業としての性格が生かされているこの環境は、ほかにはない特別な環境だと思っています」
まだひとりで奮闘していた中川が “Work Simple”というメラキのフィロソフィーを守り通したことで、日本オフィスにもそうした文化を根付かせることになったのです。
一方で、このフィロソフィーを、独自の文化を築いてきた日本市場のお客様に理解していただくには、大きな努力が必要です。その手助けとなるよう、中川は日本独自の取り組みも行っています。
中川 「メラキクラブといって、3カ月に 1度、お客様や、提案・導入を支援するパートナー様を数十名招いて、製品の説明や、ナレッジの提供を行っています。懇親会も兼ねたフランクな場なのですが、目的はメラキのフィロソフィーを知ってもらうことです。
日本は、アメリカや欧州諸国に比べると、クラウドマネージメントが普及していません。日本でクラウドマネージメントという考えを普及させることから私たちの営業は始まります。お客様のネットワーク機器に対するマインドセットを変えることが、日本市場では不可欠なのです」
常に新しい挑戦の場を求めてきた中川。今彼を楽しませているのは、シスコメラキのSEたちを、いかにチームとして機能させるかという難題です。
中川 「これまでは個人事業主の集まりとして、日本でのシスコメラキの市場を開拓してきました。しかし、今後仲間を増やして、ビジネスをさらに拡大していくという時に、チームとしての動きを増やしていくことも重要だと考えています」
もちろん、自分たちの働き方も“Work Simple”にという考えがベースになっています。
中川 「チームとしての動きを増やすと言っても、分業をしたりミーティングを増やしたりすることではありません。
ひとりじゃできないことを、ほかの人が自然とフォローできる体制や仕組みをつくって、個人の力が、チームにいることで高められるという形を目指したいですね」
“Work Simple”というフィロソフィーは、シスコメラキが社会に根付かせたいビジョンでもあります。その道のりは、決して平坦なものではなく、中川にとっては、登りたくなる山にも思えるのかもしれません。
中川がシスコメラキでの挑戦に飽きることは、まだ先になりそうです。