研究よりSEを選んで良かったという三島の原体験。その裏にはある師の存在があった | キャリコネニュース
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研究よりSEを選んで良かったという三島の原体験。その裏にはある師の存在があった

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大学では研究所で極めて専門性の高い生物学の研究をしていた、理系女子の三島 阿佐子(みしま あさこ)。就職したのは、まったく畑の違うHR業界のシステムエンジニアだった。三島が生物学の研究を押してまで極めようとしたSEの魅力と、理系女子の成長を描く。【talentbookで読む】

システムエンジニアとして技術職に就いた、もと生物学のリケジョ

三島は数年前に京都の有名大学院を卒業した、理系女子のSEだ。大学時代の専門分野は生物学。就職活動を経て、綜合キャリアグループのエンジニア頭脳集団SIPS(※)に配属され、SEとしての仕事に就いた。

大学時代からずっと生物学の研究一筋だった三島が、なぜSEという職種を選んだのか。

三島 「本当は大学に残って研究したかったんです。でも、研究を続けるにはお金がかかるし。 3年で資金を貯めてまた大学の研究室に復帰することを条件に、思い切って就職活動をしようと決めました」

そんな切羽詰まった状況の中、意気込んで就職活動を始めた三島だったが、専門性が非常に高いのにも関わらず限られた範囲にしか適応しない生物学の専攻に対して、企業人事の反応は冷ややかなものだった。

三島 「メディカル業界や医療施設などの研究職をいくつか受けましたが、片っ端から落ちました(笑)。なんで落とされるのかわからなくて、当時は相当悩みましたね」

当時のことを振り返る三島。今は笑って話しているが、就職活動時代はつらい思い出しかなかったと言う。

とにかく仕事が見つからなければ始まらない。研究職に限らずもっと幅広い職種へとシフトチェンジすることにした。そして、さまざまな業界を調べているうちにHR業界に興味を持ち、綜合キャリアオプションが技術職を募集していることを知る。

最終的には、三島のなんとしても内定をもらいたいという熱心さと、人一倍の負けん気の強さで最終選考までのぼりつめ、採用を勝ち取った。

三島 「もう崖っぷちだったし、ここを逃したら後がないと思いました。気迫だけは誰にも負けていなかったと(笑)。本当に内定通知をいただけるまで、生きた心地がしませんでしたね」

晴れて入社した後は、エンジニア頭脳集団SIPS(※)に配属された。そこで三島は人生の転機となる人物に出会うことになる。

※SIPS…… Strategy Information Platform Section(通称:シップス)。SIPSについて詳細はコチラの記事をご覧ください。

「HRテック開発部隊。チームプレーのエンジニア集団「SIPS」とは?」

理系女子が人生の転機に巡り合った一流のSE

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三島が入社し、配属先のSIPSで出会った人物は総責任者の藤井 実である。三島の直属の上司であり、かつて人工衛星のシステム設計に関わっていたという、世界に通用する一流のSEだ。

三島 「世の中のどこを探しても、あんなに良い人はいません。これまでも友人や先生、先輩、後輩にも恵まれていたと思いますが、今まで出会った中で最高です」

三島はPCに明るいわけでもなく、プログラミングの知識などが皆無な状態で入社したが、SIPSのチームに支えられ、エンジニアとして成長し続けている。

三島 「藤井さんは、 SEのことを何も知らない私に対して、諦めずに教えてくれました。私が “わかっていない ”ということをわかってくれて、『わからないことは悪いことじゃないから、正直に言っていいんだよ』と何度も繰り返し教えてくれましたね」

こんなこと聞いてもいいの?ということも、真摯に教えてくれた藤井。

そして、システム設計には“スタートとゴールの考え方”がある。ゴールを設定することの大切さを教えてくれたのも藤井だ。

三島 「なぜそのシステムをつくるのか、まず現地点をスタートとして、 “目的 ”をゴールにします。ゴールに到達するまでの行き方はなん通りもあります。最短距離で行くのがいいのか、安全に行くのがいいのか、ゴールにたどり着く道をつくるためには、どんな道具を使えばいいのか。 “要件定義 ”の中で決めていくんですね。

そこで絶対に見失ってはならないのが、ゴールになります。道をつくっている最中にゴールがぶれてしまうと、本来のシステムの価値はゼロになり、まったく役に立たないものができあがってしまいますから」

そうなると発注者、制作者、協力者、誰にとってもいいことは何もない。藤井は繰り返し、ゴールを設定することの大切さを三島に伝え続けた。師と仰ぐ藤井が自分の近くにいて、正しい仕事の道順を示してくれる。三島に何も怖いものはなかった。

しかし、入社から2年後に社会人として最大の難題が三島に降りかかったのだ。

最大の壁にぶつかり、未熟なエンジニアが味わった苦い経験

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三島 「藤井さんがある大企業の技術コンサルタントとして、半年ほど出張することになったんです。そんなときに、大規模な派遣スタッフ管理システムの開発を依頼されました。こんな大規模な開発は初めてでしたが、せっかく任せてもらったんだから自分ひとりで形にするぞ!と意気込んで取りかかりましたね。でも、次々に壁にぶち当たって、どうやってもうまくいかなくて……」

いつも頼りにしていた藤井がいない。先が見えないことへの不安やいら立ちがしだいに膨れ上がっていった。自分が今どんな苦しい状態なのか、わかってくれる人は周りに誰もいないと思い込んでいたと三島は言う。

三島 「本当は周囲の先輩が、こんな私を助けようと手を差し伸べてくれていました。でも、つらいし苦しいし、私だけがなんでこんな目に合うの?と勝手に耳をふさぎ込んでしまって、先輩たちの救いの手が見えてなかったんです」

ひとりで抱え込みすぎた結果、なぜこのシステムを開発するのか、「目的」は何か。システムを設計するときに最も重要だと言われていた「目的」がぶれ始めていた。

三島 「発注者から言われた通りに動いていたのです。ゴールはどこ?とか考えないで、時間がないからと自分に言い訳して。製造マシーンみたいでした。そしたらシステム全体がどんどんいびつな形になっていって……。気づいたときには、でき上がったものが当初の目的とはかけ離れたものになっていましたね。もうこのプロジェクトは、失敗だと思いましたよ」

発注者から「なんでこんなシステムになったの?」と責められたのも納得できなかったと言う。

三島 「ちゃんと言われた通りにやったのに。自分だけ悪いんじゃないと考え始めてしまって。そのとき、エンジニアになるんじゃなかった……と思ってしまったんです。もういっそのこと辞めてしまおうかな、とやさぐれました。全部投げ出したいくらい苦しかったんです」

そんな一番苦しい状態のとき、藤井から一本の電話が入った。三島がシステム開発に難儀しているということを聞きつけ、心配した藤井が出張先の開発現場から電話をしたのだ。

三島 「辞めてしまうのはひとつの解決策かもしれない。けど、そこで辞めたら負け癖がつく。しんどかったら辞めるのでは、自分のやりたいことも続けられない。自分が努力してやり続けること、やりたいと思い続ける力も大事だよ、と藤井さんは話してくれました」

三島は藤井の温かい心と思いっきりの愛情を受け止めて、ようやく折れそうになる心と向かい合うことができた。

三島 「負けちゃダメだ。最後まで自分でやらなきゃダメだ、素直にそう思うことができました。誰のためでもなく、自分のために。決心したというんでしょうか。何か吹っ切れましたね。

そして藤井さんに、もう一度システム開発を最初からやり直したいと伝えました。そしたら藤井さんは、『責任のことは考えなくていいから、SEとして本物の仕事をしてきなさい』と背中を押してくれたんです」

失意のどん底から立ち上がった負けず嫌いの理系女子

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藤井に勇気づけられた三島は、管理システムの関係者を一人ひとり回り、もう一度最初の目的からやらせてほしいと頼み込んだ。

そしてメンバーに対して、一緒に納得ができるものをつくりたいと熱心に伝えたのだ。メンバーからいら立ちと怒りを向けられることもあったが、それでも、もう一度システム開発をやらせてほしいという熱意はなくさなかった。

三島 「メンバーから『三島さんのしつこさにはかなわないね。もう一度よろしく』と、返事をもらえたときは、泣きそうなくらい嬉しかったです。逃げなくてよかったと思いました」

それから、三島は体制の立て直しを図るように。ひとりですべて背負い込むのではなく、随時メンバーに協力を求めたのだ。もちろんメンバーの言葉にはしっかり耳を傾ける。常に「目的」を見据えて、目的から外れそうな依頼にはむげに却下するのではなく、相手にわかってもらえるように目的を繰り返し説明した。

そうして三島の管理システムの開発は軌道に乗ったのである。これは、三島が初めてSEとして手がけた本当の仕事なのかもしれない。その後、三島には新しい後輩がついた。

三島 「藤井さんがしてくれたことを後輩に返してあげたいです。恩返しならぬ、恩送りという形で。だから、かつて藤井さんが私にしてくれたように、どんなに忙しくても、後輩の育成は決して手を抜かないようにしています」

後輩を持つことで、あらためて原点に立ち戻って勉強し始めたという三島。目的に沿ってシステムを設計する上で、何が必要か必要でないか判断する力を後輩につけようとしている。

三島 「今後は、後輩の育成とプロジェクトに力を入れていきたいですね。プロジェクトでは、 AIでつながる新しいシステムの基盤をつくりたいと思っています。 AIの制御を理解して、グループに利益を還元できるシステムにしたいです」

悩んだ就職活動を経て、研究よりSEを選んだことは間違ってなかったと三島は言う。

三島 「正確には、 SIPSの SEですが。私が成長できたのは、藤井さんの SIPSに配属してもらったおかげだと思っています。 SIPSは頭脳集団と言われていますが、とても温かい心を持っている人たちの集団です。そこで新しく開発する苦労を含め、楽しさやおもしろさを学びました」

尊敬する上司のもとで多くのことを学び、ひとりの社会人として、SEとして成長し続ける。理系女子、三島の挑戦はこれからも続く。

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