内気な学生が横浜FCのCOOになるまで──上尾 和大の道のり | キャリコネニュース
おかげさまで10周年 メルマガ読者数
65万人以上!

内気な学生が横浜FCのCOOになるまで──上尾 和大の道のり

▲上尾 和大

▲上尾 和大

日本サッカー界のレジェンド・三浦 知良選手を擁し、昨年13年ぶりのJ1リーグ昇格を勝ち取った横浜FC。その躍進を支えたのが、弱冠34歳の代表取締役社長COO・上尾 和大です。 12年前までは「ただの内気な学生」だった上尾。チャレンジの連続だった彼の道のりを振り返ります。【talentbookで読む】

内気な自分を変えたくて……

もとは内気で控えめだったと言う上尾。大学時代は、限られた友達とサッカーの話をするのが好きだったと言います。しかし、いざ就職活動を迎えたとき、彼は最初のチャレンジに踏み出しました。

上尾 「内気な自分を本気で変えたいと思ったんです。それで思いついたのが、『自分を売り込む』営業の仕事だろうと。そこから、営業職を募集している会社を中心に受けていましたね」

その中で彼が出会ったのがLEOCでした。当時LEOCが横浜FCの筆頭株主になったばかりであったこともあり、サッカー好きな上尾にとって身近な会社だったと言います。またひとり暮らしを経験し、大学でスポーツ栄養について学ぶなど、食の重要性が身にしみていたことも決め手となり、2008年に入社しました。

現場研修の後、いよいよ営業の仕事へ飛び込んだ上尾。社員食堂や老人ホームなど、多種多様なクライアントと出会い、経験を重ねていきました。その中で彼は、「お客様一人ひとりに向き合う」ことの重要性に気付いたと言います。

上尾 「LEOCのサービスは、相手に合わせてつくり上げるオーダーメイド商品です。すべての仕事はお客様と向き合うことから始まる。その上で重要なコミュニケーションの能力を、営業で磨くことができたと思っています」

相手のニーズを引き出し、相手に合ったサービスの提案をする能力を磨いていった上尾。営業に打ち込む中、彼の人生にとって大きな転機が訪れました。

上尾 「ある成約が取れたとき、クライアントの方に『LEOCがというより、あなた自身を評価したから契約した』とおっしゃってもらえたんです。それがすごく自信になりました。そういう成功体験の積み重ねの中で、もっとチャレンジしようというマインドにどんどん変わっていったんです」

内気な学生から、チャレンジングな営業マンへ。就職活動での決意から、上尾は大きな一歩を踏み出しました。そして、今度は事業部での新たなステップへと進みます。

事業部での試行錯誤

▲外食事業本部時代の上尾

▲外食事業本部時代の上尾

2年間の営業経験を経て、上尾が異動したのは事業部。LEOCの食事が提供される事業所を統括し、収益管理やクライアントとの調整役を担う仕事です。

上尾 「事業部は厨房で働く従業員とクライアントとの間に入る立場なので、栄養士や調理師出身が多いですし、従業員は年上のベテランばかり。最初のうちはどうしたら周りに受け入れられるか、ずっと考えていました。仕込みをしたり、調理をしたり……。本当に厨房業務にどっぷり漬かっていましたね」

試行錯誤の中で、彼は徐々に周囲の従業員に受け入れられ、そして「自分にしかできないこと」を考えるようになったと言います。

上尾 「やっぱり、調理は長年やっている人には勝てないですよね(笑)。だから、自分にできることはなんだろうと考えたら、クライアントや食べる人に喜んでいただけるサービスと、一緒に働いてくれる従業員の働きやすさを両立させることだと思ったんですよ。

クライアントのところに通い詰めてひとつずつ課題をクリアしていったり、あらゆるコストをチェックしていったり……。そこには、頑張って働いてくれている従業員の給料も上げていきたいという想いもありました」

事業所と会社を行き来する、目まぐるしい日々。それでも、日々成長している感覚があったと言います。

上尾 「事業部の後にいろいろな部署へ行きましたが、大切な基本は営業部と事業部で学んだと思っています。クライアントや従業員とのコミュニケーション能力から、数字を管理する能力、その他のさまざまなビジネススキルまで、すべてが今の仕事に生きています」

5年間の事業部経験で、エリアマネージャーから支店長まで勤め上げた上尾。その後1年間の事業人事部での勤務を経て、彼が飛び込んだのは外食事業本部でした。東京・銀座に本店を置く高級和食店「鮨 銀座おのでら」のアメリカ進出プロジェクトを担当することになったのです。

銀座おのでら、そして横浜FCへ

▲ミシュラン2つ星を獲得した、鮨 銀座おのでら ニューヨーク店

▲ミシュラン2つ星を獲得した、鮨 銀座おのでら ニューヨーク店

給食現場から、遠くアメリカの外食事業プロジェクトへ。彼の当時の心境はどのようなものだったのでしょうか。

上尾 「正直、すごく嬉しかったですね。もともと海外での仕事に興味がありましたし、何より海外での外食事業は、LEOCの大きな目標である『海外での給食展開』を成し遂げるためのファーストステップなんです。その事業に関われることに、誇りと嬉しさを感じました」

とはいえ、海外の地にイチから和食店を立ち上げるプロジェクトです。すべてが手探りで、出店予定地の選定から営業許可、内装業者との打ち合わせに従業員の面接……LEOCでのあらゆる経験を総動員する、挑戦の日々だったと言います。

上尾 「自分が立ち止まったらすべてがストップする。やるしかありませんでした。トラブルもたくさんありましたし……。だから正直、印象的ないい思い出が全然ないんですよ(笑)。LEOCの大きな一歩の礎になる、その使命感でいっぱいでしたね」

上尾をはじめとしたスタッフの激闘の末、銀座おのでらのニューヨーク店とロサンゼルス店は無事オープン。ニューヨーク店は「ミシュランガイド ニューヨーク2019」で2つ星、ロサンゼルス店は「ミシュランガイド カリフォルニア2019」で2つ星を獲得したのです。

一方、上尾にとって2年間の外食事業での業務は「もっとやれたことがあったのではないか」という想いも感じていると言います。

上尾 「売上やコストの部分など、今思えばもっと突き詰められた部分はあったように感じています。『解決するための時間はたくさんある』と思って、どこか悠長に構えていた部分があったのかもしれません。だからこそ、次の横浜FCでは『必ず自分の納得のいく結果を出す』と覚悟を決めて飛び込みました」

外食事業のプロジェクトでは、苦難にぶつかりつつもそれを乗り越えてきた上尾。強い覚悟を持って、横浜FCでの仕事へ挑むことに。

常に挑戦するサッカークラブを目指して

▲ONODERA GROUPは2005年から横浜FCの運営を担ってきた

▲ONODERA GROUPは2005年から横浜FCの運営を担ってきた

外食プロジェクトから、横浜FCへと挑戦の舞台を移した上尾。彼がまず横浜FCで取り組んだのは、トップダウン型からボトムアップ型への意識改革でした。上意下達の組織から、誰もが横並びになり、自由に意見を出し合いながらプロジェクトを進めていける組織へと変革していきました。

上尾 「これまでのキャリアを振り返っても毎日が挑戦でしたし、簡単にできると思ったことはひとつもありません。挫折しそうになったこともあります。

それでもチャレンジし続けられたのは、それを認めて応援してくれる同僚や上司に恵まれたからでした。そういう雰囲気だからこそ自走できる強い組織ができていくと思いますし、その企業風土を大切にしていきたいという想いを横浜FCにも反映させました」

そして上尾が担う最大のミッションは、既存サポーターのベースを生かしつつ、新規ファンを増加させること。さらにその新しいファンをスタジアムへ呼び込み、スタジアムが生み出す熱狂的な雰囲気を通して、リピーターになってもらうことです。

上尾 「そのためには、まず来ていただくきっかけづくりと、リピーターづくりの仕掛けが必要でした。ソーシャルメディアの強化や応援グッズの無料配布などは、その一環です」

J1昇格争いの最終盤、横浜FCはホームゲーム3試合連続で「HAMABLUE応援DAY」を開催。クラブが企画し、サポーター有志がデザインを担当、スポンサーが協賛して作成した応援グッズがスタジアムを彩り、横浜FCは見事ホーム3連勝を含む終盤5連勝でJ1昇格を決めました。

上尾 「サポーターやスポンサーなど、みんなそれぞれの立場はありますが、『横浜FCが好き』っていう想いは一緒なんですよね。それぞれの得意分野を掛け合わせ、大きな力を生み出すのがクラブの仕事です。みんなが『J1に行くぞ』という決意で団結できたからこそ、昇格できたと思っています」

横浜FCに関わるすべての人々の想いを背負って迎えた今季のJ1リーグ。上尾は経営者として、どのようなチャレンジに打って出るつもりなのでしょうか。

上尾 「あえて言えば、J1だからこそ特別なことをやるわけではありません。以前から『J1昇格ではなく、J1で十分に戦えるクラブを目指す』と言い続けてきました。そのためのしっかりした経済的基盤を築き上げること、そして自分の頭で考え、失敗を恐れずにチャレンジできる組織風土を確立させること。それが目標です」

内気な学生から、J1最年少COOへ。LEOCはこれからも、上尾 和大と横浜FCのチャレンジをサポートし続けていきます。

 

アーカイブ