国際コミュニケーション学科からアパレル業界へ──卒業生、小原 光希さんの挑戦 | キャリコネニュース
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国際コミュニケーション学科からアパレル業界へ──卒業生、小原 光希さんの挑戦

▲オーダーメイドスーツの責任者を任されている、毎日が勉強の日々です。

▲オーダーメイドスーツの責任者を任されている、毎日が勉強の日々です。

2010年に戸板女子短期大学 国際コミュニケーション学科を卒業後、人気のアパレル業界に就職した小原 光希さん。現在は人材紹介の会社に転職し、スーツのパーソナルオーダー事業も任されています。様々な人との出会いと経験を通し、自身の成長につながることを実感。アパレル業界で挑戦をする想いを語ります。【talentbookで読む】

憧れの東京での学生生活と、アパレル業界への挑戦

戸板女子短期大学は、高校生時代に学校に置いてあった、さまざまな大学資料を見て知ったのがきっかけです。「将来は東京へ行きたい!」という想いと、見た目の綺麗な校舎に魅力を感じ、戸板女子短期大学国際コミュニケーション学科への入学を決めました。

戸板女子短期大学での学生生活では、学業でも学園祭でも充実した日々を過ごすことができました。

戸板女子短期大学卒業後は、新卒で当時新進気鋭だったファストファッション「フォーエバー21(FOREVER21)」に入社しました。もともとアパレルを学べる大学に行きたかったのですが、両親に許してもらえず、国際コミュニケーション学科に進んだので、就職活動をする際にどうしても諦めきれず、アパレル販売の道へ進みました。

国際コミュニケーション学科に在籍しながらも、在学中に色彩検定3級も取得し、アパレル販売員になる選択肢しかなかったと思います。当時はファストファッションという言葉も出始めたころで、カリスマ店員のような販売員が雑誌で特集され、業界自体も勢いがありました。そのため、とにかく華やかな世界に飛び込んだという感覚でした。

新卒でフォーエバー21に入社し、5年間勤務しましたが、日々苦労の連続でした(笑)。

外資系のファストファッションの会社であったので、やっていくうちに自分で仕事を覚えなさいというような方針でした。常に忙しく、常に人材が足りていない状況だったので、よくわからないまますぐに店頭に放り込まれ、失敗したら怒られ、それで覚えていくという繰り返しでした。

日々わからないことの連続で、つらく感じることもありましたが、20代前半でこのような体験ができて良かったです。自分から行動しないと何もできない、何も教えてもらえないという環境だったので、主体性が大事であると実感しました。

このときに学んだ主体性は、その後の社会人人生でも役立っています。

アパレルから人材派遣──出会いが自分自身の成長につながっている

▲新卒で働きはじめた頃、人気のショップで販売員としてわき目もふらず頑張りました。

▲新卒で働きはじめた頃、人気のショップで販売員としてわき目もふらず頑張りました。

2020年現在、株式会社Takeofferというアパレル専門の人材総合コンサルティングサービス会社に勤務しています。そこでは、人材紹介や派遣、店舗運営代行といった事業の営業として活動をしたり、会社のもうひとつのオーダースーツブランド事業では、パーソナルスタイリストとしてスーツのパーソナルオーダー事業も運営しています

転職を意識し始めたのは、周りの友人たちのスキルと自分のスキルに差を感じたのがきっかけです。

今の自分のスキルでこの先やっていけるのか?と漠然と不安を感じ始めていました。25歳になり、一般的には仕事に慣れる年齢であり、ある程度のことも任されるようになると思います。

販売員という仕事ももちろん立派な仕事ですし、私が好きな仕事です。販売員として責任とやりがいをもって働いていましたし、今の営業への道も、販売員としての頑張りがなければ、なかったことだと思っております。

しかし、販売員の経験だけでは、環境的にBtoBの仕事に携われないと感じました。私自身、一般企業で勤務する際のスキルも身に付けたいと思いました。でも、具体的に何をできるようになれば良いか、何ができないのかもわからず、仕事のキャリアとして、販売の経験しかないことに漠然と不安を感じていました。

そんなときにTakeoffer代表のひとりである杉崎 陽一さんと出会います。

この出会いを通して、他の業界で活躍されている方と仕事をし、自分がいかに世の中を知らずに生きてきたかということがわかりました。

ファストファッションのフォーエバー21から、しっかりお客様の接客に就くブランドへ転職をし、販売員としてのキャリアを積もうと考えたこともあります。しかし昨今、優秀な外国人労働者の増加や、AIの進歩により労働力を必要としない世界になってきているのは明らかです。

社会から必要とされるスキルを持たなければ淘汰されてしまうという危機感から、今の販売員としてのキャリアだけでは足りない、とあらためて思いました。

私は転職の際に前職の先輩から「あなたなら安心して紹介できる」と言っていただき、スムーズに転職することができました。それは日々誠実に仕事に向き合ってきたからだと思っています。

私に影響と成長意識を与え続けてくれる父と母の存在

▲ 現在は、人材総合コンサルティングサービス会社の営業を担当しています。

▲ 現在は、人材総合コンサルティングサービス会社の営業を担当しています。

今の業務は、初めてのことや慣れないことばかりで精神的な負荷もあります。しかし人材派遣という新しい業界やマネージメントなど、世の中を知れば知るほど、いろいろな方がいていろいろな考え方があることを認識できるので、それが自分自身の成長につながっていくのが日々実感できるんです。私も自分の考えや自信を持ちたくて、毎日仕事や勉強をし、自分の考えをアウトプットするようにしています。

そんな私に常日頃から影響を与え、頑張る原動力となってくれているのは父と母です。両親から口うるさく言われてきた言葉がふたつあります。

ひとつは、「人の振り見てわが振り直せ」──嫌な人がいたら、自分はこうならないようにしようとその人から学びなさい、ということ。もうひとつは、「他人は自分を映す鏡」──常に矢印を自分に向けて自分を改善し磨き生きていきなさい、ということです。

まだ両親の人生の半分も生きていませんが、父と母のポリシーや生き様を尊敬しています。そのポリシーとは、社会で生きていく上で自分を豊かにする思考です。私はまだまだ未熟ですが、このような思考を持っていると、他人に振り回されなくなると思っております。小さな決断もしっかり主体性を持つことで自信と強さに変わるはずです。

また、他責が一番無駄なことであり、何も結果を生まないということを、最近理解してひとつ成長しました。

両親は共働きで、父は建築士でずっと単身赴任、母は看護師だったので夜勤なども多くありました。そのため親というよりも、両親ともに人生の先輩のような存在でした。

両親が共働きだと自宅でのふたりの会話もお互いの仕事についての話題が多かったので、子どものときに仕事をする上での責任感や悩みなどをなんとなく想像する機会が多かったと思います。また、両親は休日も勉強をよくしていたので、大人になっても一生勉強していくんだなぁ、と幼いながらにも感じていました。

自分が赴くままに選択できるよう、世の中を知り、毎日自分を磨く

▲ 戸板女子短期大学時代のお気に入りの写真、戸板祭の着ぐるみを担当していました。

▲ 戸板女子短期大学時代のお気に入りの写真、戸板祭の着ぐるみを担当していました。

今の私は、まず自分が今やっている仕事を教えられる立場になるのが目標です。誰かに教え、理解してもらえて初めて自分のスキルとして習得できたことになると思っています。

将来に対する夢とか目標はコロコロ変わっても、なくても良いと思います。人それぞれですから。でも「これがしたい!」っていうときに、自分になんのスキルもなかったら身動きが取れないので、今の自分にないスキルを習得するために毎日インプットとアウトプットを繰り返しています。

楽しく、赴くままに生きるためには知識や実績は必要不可欠だと思いますし、やりたいことをやるためにやりたくないことをやるって本当に大事です。

現に、今まさにBtoBの営業として走り始めたばかりですが、できないことだらけで自分のスキルの足りなさを痛感しております。それでも日々できるようになってきていることもあるんです。クライアントへのメールの文章作成や、電話でのやり取り、商談での会話の流れ……。何事もやってみないと成長できません。今の仕事で実績をつくることが次のステップへの選択肢を広げることになると確信しています。

最後に、戸板女子短期大学の学生の皆さん──

これから社会はものすごいスピードで変化していきます。それと同時に人生の選択肢も増えると思います。自分が赴くままに選択できるよう、世の中を知り、毎日自分を磨いてください。コツコツ磨いて小さな成功体験をつくってください。

その先の未来は楽しく赴くままに生きましょう。皆さんの未来は選択肢がたくさんあります!今は、自分の決めた道をただひたすら信じて進んでいってください。

戸板女子短期大学

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