ラオスやカンボジアでの経験を糧に、つながりが感じられる関係性を育んでいきたい
シャンティ国際ボランティア会は1981年に創設され、数多くの支援者の方のサポートのもと、現在ではアジアの8地域で活動に取り組むまでに広がっています。来年で40年目を迎えるシャンティで、日本の支援者と海外の現場をつなぐ役割を担っているのが、広報・リレーションズ課の山室 仁子(やまむろ さとこ)です。【talentbookで読む】
誰のための支援なのか?大学時代に抱いた疑問
大学院卒業後、シャンティに入職した山室が、国際協力に興味を持ったのは高校時代。文化祭の企画で、カンボジアに学校建設をするプロジェクトが立ち上がったことからでした。高校生のときはこの活動に参加していなかった山室でしたが、大学入学後、実際に建設した学校などを巡るカンボジアスタディツアーに参加しました。
山室 「スタディツアーでは、実際に建設した学校に行って子どもたちと遊んだり、孤児院や義足センターなども訪問したりしました。カンボジアという地に足を踏み入れること、そして、発展途上国と呼ばれる国に行くこと、すべてが初めてで新鮮でしたね。
ただ、スタディツアーで巡るうちに、誰のための支援なのか?を疑問に感じ始めました。NGOによっては、支援した学校に自分たちの大きな看板を付けていたり、現地では親しまれていない不要な物資を送っていたり……。
本当に必要な支援とはどのようなものなのか、そして支援のプロセスについても関心を持つようになったのは、このときです。後は、単純にカンボジアという場所が好きになって。もっと知りたいな、と思いました」
大学時代に参加したカンボジアへのスタディツアーをきっかけに、支援の在り方についてさらに深く知りたいと思った山室は、大学卒業後、大学院への進学を決めました。大学院では、カンボジアにおける教育文化支援や、NGOの支援の在り方について研究。そんな中でシャンティとの出会いも訪れました。
国際協力に全身全霊で取り組みたい!と決意した大学院生の夏
山室 「大学院生だった2006年の夏に、指導教官の紹介を受けて、シャンティが学生向けに実施している、NGO海外研修プログラムに1カ月間参加しました。カンボジア事務所で研修生として国際協力の現場に身を置きました」
意外にもプログラム参加前は情報の少なさから、NGOに対して「よくわからなくてこわい」という感情を抱いていたと話します。
山室 「当時は国際協力が仕事になるなんて、さらに、自分がそれを仕事にするなんて考えていませんでした。しかし、NGO海外研修プログラムを経て考え方が変わりましたね。
NGOの活動に対して寄付者として関わる、ボランティアで関わるなど、さまざまな選択肢がある中で、私は全身全霊でどっぷり活動に取り組みたい!と思ったんです」
こうして、カンボジア事務所での1カ月間を経て、NGOで働くことを仕事にしたいと心に決めた山室は、大学院修了後、シャンティの東京事務所でインターンとしても活動に取り組み始めました。
山室 「シャンティでのインターンが2カ月過ぎたころ、パートにならないか?と誘われて、パートとして働き始めました。海外事業課(当時)のパートとしては、カンボジア事業のサポートをすることが多く、報告書の翻訳や発送などをやっていました。
その間、外務省のNGOインターン・プログラムにも第1期として参加。NGOの若手人材を育成することを目的とした1年間の助成プログラムなのですが、条件のひとつが1年間のうち、NGOの海外事務所で1回は働く、というものでした。そのときは、シャンティの難民キャンプ事業に2カ月半ほど従事して、パートとはいえ、いろいろな経験を積ませてもらいました」
これほどまでに自分の関心に沿って選択し、突き進んできた山室ですが、どれも自分でつかみ取ってきたという感覚は一切ない、と話します。
山室 「最初にシャンティに出会ったのも、シャンティについては調べたりしたわけではなく、大学院の指導教官がシャンティ役員と友人だったり、私の知人がシャンティカンボジア事務所で働いていたりご縁がありました。私はいつも人にとても恵まれていて、出会いやチャンスが降ってくるんです」
キーワードは「支援の在り方」と「関係性」
こうして偶然の出会いを必然に変えながら、活動を続けてきた山室がキーワードとして持っているのが「支援の在り方」と「関係性」です。
山室「支援、とひと言で言っても、いろいろな支援がありますよね。現地のためになっている支援もあれば、逆に困らせてしまう支援も……。後は、数多くの関係性も存在しているんです。たとえば、支援する側とされる側、現場と東京、支援者との関係性など。なので、それぞれの関係性がどうあるべきか、という点に関心があります」
シャンティはとにかくプロセス重視。学校建設を行う際も計画段階から村の人たちと将来どういう学校にしていきたいか?そのためには何をいつすべきか?を話し合いながらまとめていきます。
山室 「また私たちがすべてを支援するわけではなく、木材の調達や、作業員の安全確保は村が責任を持ち、それぞれが役割分担をするんです。 これらのプロセスは、みんなでつくり上げていくという想いが強まります。そして、まさに草の根の活動とはこういうことなんだと強く感じますね」
シャンティは、このプロセスを重視することで、建設した後の持続性に寄与する確信を持っています。
山室 「何か問題が起こったときには解決策を話し合っていけるような関係性、顔が見える関係性をつくり上げていくことが大切なんです。私はシャンティのこのプロセスに深く共感していて、これまでずっと活動を続けています」
しかし、活動を続ける中で、支援者の方や東京事務所含め、全員が同じ方向を向いていることには驚いたと話します。
山室 「NGOの活動に関心を持った当時は、支援する側・される側という一方通行な関係だと思っていましたが、実際にはいろいろな関係性があって、メッセージや想いでつながる瞬間があると感じました。それぞれの立場は違っても同じ方向を見て、みんなでゴールに向かって進んでいますね」
現場での経験を糧に、大切な存在をつなぎたい
現場での活動が長かった山室ですが、現在では支援者の方の窓口を務め、日々シャンティの活動などを伝えながら、支援者の方とシャンティをつなぐ役割を担っています。「もっと現場にいたかった」と笑う山室が、現在でも日々の活動の糧にしているのは、2014年から2017年までの3年間を過ごした、シャンティのラオス事務所での経験です。
山室 「ラオスで過ごした3年間は自分にとってすごく大きくて、現在でも糧になっています。 ラオスにいるとき、ラオス人スタッフとのコミュニケーションや一緒に仕事をする難しさを、日本から駐在している方がよく話していたのですが私自身は物事の感覚や習慣が異なっていても、ラオス人とのコミュニケーションで困ったことがなかったので、まったく共感できなくて……。
よく話をしてみんなで協力してひとつのものをつくり上げていく、シャンティが大事にしている“シャンティマインド“のようなものを、スタッフ全員で共通して持っていたからかもしれません。お互いの考えを話し合いながら、着地点を見つけることができていたと思います」
山室が国際協力への関心を持ち始めたころから一貫してキーワードとしてある「支援の在り方」と「関係性」。ラオスでの3年間は、山室が理想とする「支援の在り方」、そして、「関係性」に向けて、実際に挑戦できたことがわかります。
山室 「日本へ帰ることになったときに、正直なところ、まだ現場にいたいと思いました。ただ、現場を知りながら伝える人も必要で、その役目が今では自分のミッションだと思っています。
後、私たちは「現場」や「現地」と言ったときに、カンボジアやラオスといった海外の活動地をイメージしますよね。ただ、全国のご支援者の方を巡って話を伺うと、日本各地も「現場」「現地」だ、ということに気付いたんです。この気付きを、海外事務所や現地で一緒に動くパートナーに伝えていくことも大事なミッションだと思っています」
シャンティはもうすぐ40年目を迎えます。長く活動を続けられるのも、支援者のサポートがあってこそ。
山室 「シャンティの取り組んでいる教育文化支援は、すぐに目に見える効果が出てくるわけではありません。ただ、長年活動していると、たった1冊の絵本でひとりの子が変化していく姿を目にする瞬間があります。
40周年を機に、これまでの積み重ねや、これまでまいてきた種が着実に実っていることをしっかりと伝えていきたいと思っています。また、日本と海外、人と人など、つながりを感じられるような関係性をこれからもつくっていきたいです」
日本だけでなく、海外にも、目を閉じれば思い出す顔。より良い関係性で、その両者をつなぐ中枢になることを目指し、これからも現場での経験を糧に山室の挑戦は続きます。