私の27歳──妖怪オタクだった僕と、介護職との出会い。最年少の施設長になって
平均寿命から逆算すると、人生の3分の1を迎える「27歳」。社会の中でそれなりに経験を積んできたけど、まだまだ必死、一人前とは言い切れない……そんな揺れ動くこの時期をどう過ごしたのか。ヒューマンライフケアで働く木下 誠の「27歳」を追いました。さて、あなたは、どんな27歳を送っていましたか?【talentbookで読む】
ずっと盛り上げ役だった僕に、突如やってきた「最年少施設長」の役職
「えっ、自分が?そんな一気に?」
27歳で介護施設の管理者、いわゆる施設長を命ぜられたときの気持ちです。
当時、職場の中で私が一番年下だったこともありますし、マネジメントの経験もありませんでした。利用者様はもちろん、ご家族様への対応など、まだまだ勉強することが山積みで……。あらゆるスキルが足りない!って思ったんです。
縁の下の力持ちでいる方が自分の性に合っていると感じていましたし、周りから頼られるタイプでもない。どちらかというと、盛り上げ役というか、周囲に突っ込まれたりするタイプだったんですよね。
だから、自分が評価されたというよりは、「やる人がいなかったから、たまたま自分に話が来たのだろうな…」とそのときは捉えたんですけど……。
もちろん、いずれ管理者にはなりたいなあと思っていました。でもそれは“いつか”という漠然とした気持ちで、遠い先のことかなと。でも、思いのほか早く“いつか”がきてしまいました。言われるがままに社内研修をして管理者の資格を取得し、あれよあれよという間に管理者の役職がついて。
ここまで来てしまったからには、「よし、やってやろう!」という気持ちだけです。たとえるなら「マグロ」ですかね。マグロは泳ぎを止めると酸欠状態になってしまうから、泳ぎ続けるしかないと聞いたことがあります。立ち止まっている場合ではない。与えてもらった場所でやってやるのみだ!
そんな気持ちでした。
管理者1年目だった27歳は、ひと言でいうとまったくダメでした。 まずホウレンソウ(報連相)をしていなくて、周囲の人には迷惑をかけっぱなし。介護のことはそこそこやってきたけど、社会人としての一般的なことが身についていなかったんですよね。
それに、自分の意見ばかり頑固に押し通そうとしていたかもしれない。利用者様の想いを大切にしようと自分ひとりで奮闘して、なんでもかんでも「自分がやります」と言って。
すると、あるスタッフに「木下がひとりで施設を回しているわけじゃないでしょ!」と言われたんです。
「そっか、自分は一緒に仕事しているメンバーを納得させていないのに孤軍奮闘しているんだな」と恥ずかしくなったりして、このころの仕事ぶりは思い出したくないですよ。
落ち込んでいると、逆にスタッフから「こんな風にやったほうがいいんじゃないか」と提案してくれるようになって。たとえば、僕は外出などの計画を練るのが苦手なんですが、レクリエーション係の人がしっかり考えてくれて、そこに乗るだけという感じで。もう、ありがたいですよね。みんなが僕を立ててくれているんです。
でもワンマンでやっていくよりも、スタッフの声を聴いて、スタッフとたくさん話して、自分の失敗もなにもかもさらけ出しながら進めていく方がいいのかなって最近思っています。
管理者になる前は盛り上げ役というか周囲に突っ込まれたりするタイプだったわけですが、管理者になってからは、“リーダーシップをがんばって取ろうとしているが取れてないよね”というキャラであり、“結局周りがフォローしてくれてやれている”というキャラ(笑)。
それは29歳の今でもあまり変わらないかもしれません。ただ、多少バランスが身についてきたように感じますね。
やってあげたいこととやりたいこと、管理していく側のバランスが視点として入ってきて、スタッフがどこまで助けをもとめているのかとか、ここまでは自分がやってここからは任せた方がいいなっていうことが見抜けるようになってきたかな、とは思います。
過去の記憶は鮮明。ただ、3秒前のことは忘れてしまう。
私が勤務するグループホームは認知症の方が入居されています。みなさん過去の記憶はしっかりしている一方、ついさっきの出来事を忘れてしまったりする。
極端に言うと3秒前の記憶がないことも少なくありません。それゆえ、会話の中で同じ話が何度も繰り返されることもあります。でもそこは認知症の特性を把握して、こちらから“仕掛け”をすることで、違ったコミュニケーションに発展もできるんです。
「ちなみに、最近好きな食べ物はありますか?」などと話を変えてみたり、「○○さんは昔こんな仕事をしていたんですよね。だから、ここの手伝いをしてもらっていいですか?」などと伝えると、そこに意識が向いてくれたり。
もちろん思ったリアクションが返って来なくて、肩透かしみたいなこともありますよ。
でも、自分の持ってきたカードが違ったんだと思うだけ。次は合うカードをそろえようと、あの手この手を考えていくんです。僕の趣味であるアコーディオンを演奏して、また違ったアプローチをすることで、気が変わってくださることもあるんですよね。
ちなみにこのアコーディオン、大学時代にアルバイトをして購入しました。サークルの先輩に勧められたバンドがアコーディオンを使っていて、それにドハマりしたんです。
中学生くらいまでピアノを習っていたのですが、アコーディオンは場所を選ばずに演奏できる魅力がたまらなくて。8kgくらいあって結構重いんですよ。一度運んでいる途中に腰を痛めて、骨盤ベルトを使ったほどです。仕事で腰を痛めたことはないくせに(笑)。
社会人になってから鍵盤楽器中心のバンドも結成して、定期的に路上でライブもしています。人と一緒に音を合わせることが本当に楽しくて、趣味と言うか、もっと深い生きがいのようなものだなと思うこともあります。
だからこそ、僕が大切にしているアコーディオンを演奏すると利用者様が笑顔になってくれるっていうのが、この上なく嬉しいなあと思うんですよね。
妖怪の話が聞きたい。地方をめぐったときの体験から介護職へ
大学では経営学を専攻したものの、机上で数字や理論を学ぶのは自分には合わないなと感じていました。一方、のめり込んだのが民俗学研究会のサークルです。
『ゲゲゲの鬼太郎』がきっかけで、小さいころから妖怪が大好き。日本各地に出向いては、年配の方から地域の妖怪の話を聞かせてもらいました。僕は人間や物質に憑依する“憑き物”としての妖怪にとくに興味を持っていて……あ、すみません、ちょっとニッチな話になってしまうのですが、続けていいですか?(笑)
徳島県はこの“憑き物”としての妖怪の話を多く聞ける土地で、たとえば「あの家が代々恵まれているのは、こんな妖怪が憑いているからだ」といった話が多く聞けるんです。
飛び込みで話を聞きに行って有力な人を紹介してもらえることもあれば、勧誘かなにかと間違われて塩を撒かれたこともありました(笑)。とはいえ、実際にあらゆる妖怪の話を聞くことができるのはおもしろかったし、さらに年配の方々はそれを本当に嬉しそうに話をしてくれるんです。話を聞いて喜んでもらえることが自分の喜びになって、その感情が介護の仕事に結び付きました。
今のグループホームでも、妖怪の話を聞かせてもらおうとしたことはありますよ。わかりやすいところで河童を例に出したのですが、みなさん雨ガッパのことだと思い込んじゃって、そっちの話になっちゃって。それ以来、妖怪の話は封印中ですけど……。
一緒に働いてくれるスタッフへ、精一杯の感謝を
僕は自分をアピールすることが苦手で。だから親しくしている同級生や友人にも、管理者になったことはまだ言っていません。実は2019年度の最優秀社員賞をとったことも、施設のスタッフにさえ話していないんです。
仕事でつまずいたときにエリア長やブロック長にもサポートしてもらい、そこで踏ん張ることができたことが受賞に繋がったとは思っているのですが、これまでも迷惑をかけることの方が多かったからこそ「自分の実力でいただいた賞ではない」という想いもあって……。もちろん嬉しさもありましたが、驚きの方が大きかったですね。
でも、こうやって話していて、やっぱり伝えようかなと思い直しました。スタッフは本当に全員が入居者様ありきで物事を考えてくれて、入居者様の生活をどれだけ良くするか、どれだけ今日が楽しかったと思ってくれる一日を過ごしてもらうかというのを目標にして、一丸となって仕事をしてくれています。そのおかげで満床を維持できているんです。それもこれも、スタッフの皆のおかげですから。
だからこそ、まだまだ未熟な管理者だけど、これまで大目に見てくれたりフォローしてもらったりしたおかげで今日まで続けてこられたという御礼と、「これからもよろしくお願いします!」という気持ちを受賞の報告とともに精一杯伝えられたらって思います。
すべての人が自分らしさをみつけ、いきいきできる社会をつくりたい。
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