私たちのどれほどが「エビデンス」「アジェンダ」「コンセンサス」といった言葉の意味を正確に理解しているだろうか。現役の一橋大生であるHONDAさんが投稿した「ムカつくカタカナ語への思いを綴りました」というツイートが最近注目を集めた。
私たちはなぜ「カタカナ語」に”ムカつく”のだろうか。心理を考察するとともに、こうした言葉が職場で飛び交うようになった背景について振り返ってみたい。(文:ふじいりょう)
「ジャストアイデア」はそもそも和製英語だし……
HONDAさんのツイートでは「ムカつくカタカナ語」についてのメモを公開しているので、その一部を紹介する。
(1)アグリー
賛成って言えや、何がアグリーだよ 反対されたらディスアグリーとでもいうんか?
(2)アジェンダ
予定でよくね???こいつら学校でも「水曜のアジェンダは一限が生物で三眼が英語…」っていうんよねきっと
(3)エビデンス
根拠じゃだめなんか?証拠じゃだめなんか?エビが好きなんか?もうわからん
(4)コアコンピタンス
とりあえずなげえ、「武器」なら2音だし伝わりやすいと思うんですが??
(5)コンセンサス
こっちもなげえ、同意・了解の方がわかりやすくないですかあ?
(6)ジャストアイデア
なんなん、いよいよ和製カタカナ語だし。just an idea ジャスタンナイディーアとかだろ普通。しゃしゃんなくそ
どれも「確かに」と頷けるものばかりだ。特に「ジャストアイデア」は、HONDAさんが指摘するように和製英語で、海外でのビジネスに通用する言葉ですらない。
キャリコネニュースの取材にHONDAさんは「カタカナ語そのものにムカつくというよりも、日本語で表現しようとせずに英単語をそのままカタカナで表現する人たちへの不満があります」と話し、次のように続ける。
「フィードバックなどは日本語にない意味を合わせ持っているのでカタカナ語を当てはめても良いと思うんですが、ちょっと考えれば日本語で表せるようなこともカタカナでそのまま使うのはおかしいと思います」
HONDAさんの投稿には「本当にその通り」「職場でカタカナ語ばかりで困惑する」といった反応のほか、「リスケにイラッときた」といった声、さらに「意識高い系や外国かぶれが大した考えもなしに使っているのでは?」といった疑問も寄せられていた。
また、投稿の理由については
「日本語もっと大切にしようよ!という思いもあります」
とも語る。今回の「カタカナ語」を巡る疑問は、ある意味で世代間のギャップの現れと捉えることができるのではないだろうか。その背景には、日本の英語教育における方針転換が強く影響していそうだ。
「リスケ」「MTG」などのワードが痛いおじさんの象徴になっていく?
日本の教育現場では、長年英語力の向上が課題とされている。特に冷戦が終結し、インターネットが普及し始めた1990年以降にグローバル化が叫ばれるようになって以降、国際競争力の強化のために「英語が必須」という考えが浸透している。
文部科学省は2014年から「新たな英語教育の在り方実現のための体制整備」として、小中高校における指導体制強化を推進。「高校卒業段階で英検2級~準1級、TOEFL iBT57点程度以上等」という目標を掲げている。
スイスの国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」の調査によると、日本人の英語力は英語を母語としない100か国・地域のうち53位で、今も隣国の韓国、台湾、中国より低いので文科省の施策が功を奏しているとは言いがたい。
こうした意識は、政治家のあり方も変えた。例えば、選挙公約を「マニフェスト」と呼ぶようになったし、何らかのキャンペーンに英語を使うケースも増えた。新型コロナウイルスの影響で外出自粛のことを「STAY HOME」と銘打った東京都の小池百合子知事はまさにその典型だろう。
一方、現在ビジネスの現場で働く30~40代は、必ずしも充実した英語教育を受けずに社会人になっている。さらに、不景気が長引いたこともあり、それまで日本企業の強みだった家電や半導体メーカーなどが衰退。海外企業に買収されるといったことを横目にしている。
それだけに、グローバル化は30~40代の心理に深い傷を残しているし、英語コンプレックスが強い人も多いのではないだろうか。また「意識高い系」と揶揄されがちなネットのオピニオンリーダーたちが、日本と海外の比較をしがちなのもその現れと言えるかもしれない。
これに対して、10~20代はネットやスマートフォンにも当然のように早くから触れている。仮に英語が苦手でも、グーグルなどの翻訳機能を使えば済むという感覚の人も多く、英語コンプレックスについても上の世代と比べると薄いと言えるだろう。
誤用を含むトンチンカンな「カタカナ語」の使用は、英語教育や不景気が生み出した世代間ギャップによるものではないだろうか。だとすれば「リスケ」「MTG」などと言う人が”痛いおじさん、おばさん”扱いされる日は案外近いのかもしれない。