私自身が誰かの居場所になれたら。目指すのは福祉を通じ、自分らしさを尊重できる世界
高校時代の経験と、大学での実習から福祉の道を選び、歩んできた奥田 あかり。彼女が目指すのは、各個人が尊重される世界です。2020年現在、ゼネラルパートナーズ(以下G P)で障害のある求職者をサポートする彼女が見据える先は、どんな想いや経験に紐づいているのでしょうか。【talentbookで読む】
憧れの先輩の姿を追いかけ、弓道漬けだった高校時代
私は、奈良県出身で、小学校のときは休み時間にみんなでドッジボールをしたり、外で遊んだりすることが大好きな子どもでした。NHKの音楽コンクールに参加したこともあり、考えるより先に挑戦しようというタイプですね。
3つ上の兄がいるのですが、小さいころから兄の真似ばかりしていました。スイミングや塾、書道などいくつも習いごとをしていたのですが、それも兄の影響が非常に大きいです。
また、笑顔を褒めてもらうことが多く、「あかり」という名前そのままだねとよく言われていました。
高校時代は弓道部に3年間所属していました。きっかけは、部活動見学でした。先輩の弓をひく姿がすごくかっこよくて。先輩のように、ひとつの動作で感動を生み出すことができるようになりたいと思い入部を決意しました。朝と夕方に練習があるので、高校生活は、1日中弓道漬けの日々でした。
弓道部には、同学年のメンバーが20人ほどいたのですが、大会に出られるのは3人と限られていたので、毎日必死に練習をしていた記憶があります。猛練習のおかげもあり、3年間レギュラーとして活躍することができ、副キャプテンも任せてもらえました。
副キャプテンとしては、メンバーに声をかけることを意識していました。「型」が崩れていて、気持ちが落ち込んでいた内気な後輩に声をかけたとき、その後輩から「初めて先輩に相談できました」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。
入部したときから、プラスアルファの努力をしようと決めていました。憧れの先輩も副キャプテンをしており、その人以上になりたい、周囲の期待に応えたいと思いながら頑張りました。
最終的に団体でインターハイ3位に入ることができ、個人の力だけではなく、団体だからこそ勝てた経験は今でも心に残っています。
顧問の先生からは、「結果が出なかったときは他人のせいにせず、まずは自分のことを見つめなさい」と言われ続けていました。結果以外のところも見ながら「弓を引けているね」と言ってくださったことはすごく嬉しかったです。
福祉の道へ進学。実習先で見た母子の姿
大学進学は、心理学部を考えていました。
というのも、弓道部では後輩からの相談が多い役職だったので、後輩と接していくうちに、人の気持ちを上手に汲み取れるようになりたいと思い始めたからです。
しかし、調べてみると、心理学部はあくまで気持ちの研究なのではないかと気づきました。そこで先生に相談したところ、福祉は対人関係や人の温かさを研究する学部だと聞いて、同志社大学の社会福祉学部へ進学を決めました。
大学では、3回生の夏休みに行った実習が一番記憶に残っています。選んだ実習場所は、さまざまな事情から地域での生活が困難な母子が生活する、母子生活支援施設でした。
他の選択肢もある中で母子を選んだ理由は、大学の先生の言葉が心に残っていたからです。「一般的な児童虐待の報道には、事実のみしか報道されていないが、その裏には必ず背景がある。報道だけを見ると犯罪者なのだが、過去に遡るとその母親が被害者だった過去もあるかも知れない」という話が印象的で、その背景を知りたいと思いました。
実習ではさまざまな家庭と出会いました。現場は想像以上に厳しい状態で、「実習生の私にできることはなんだろう……」と葛藤しながら帰る毎日でした。1日1日の変化がとても大きく、いろいろと考えさせられる期間でした。
母親の体調や前の日の行動が次の日の子どもの表情に出てくることを体感しました。ある日、思い詰めてしまいSOSを出した母親がいたのですが、翌日には子どもに暴力をふるってしまったこともあったんです。
母子生活支援施設で、母親サポートは「母子支援員」のお仕事でした。服薬管理、金銭管理等も発生するため学生ではなかなか対応が難しいことが多く、またセンシティブな情報も多いため実習生は入所している母親と深いかかわりを持つことはできませんでした。
しかし、保育室や児童室には入ることができ、保育室では、赤ちゃんの目を見て、この子は少し疲れているなと把握することができました。母親が仕事でなかなか子どもとの時間が持てないときは、子どもが寂しがってそれを相談してくれたこともありました。実習中は、職員の方に子どもと触れることで感じたフィードバックを積極的に伝えていましたね。
実習を通じて、そもそも明日の生活も見えない状態の方などの、さまざまな背景を持った家族と直面し、「確かに私がこの人たちの立場だったらひとりで抱え込んでしまうよな」と思いました。そうした中で、ここでの実習が就職活動にも結びついていきました。
GPとの出会い。障がいを持つ求職者との忘れられない経験
実習を終えて就職活動を始めるにあたり、自分の中に、ある気持ちが芽生えていました。
それは、実習先の施設で職員として働きたいという気持ちでした。実習中に子ども側の気持ちを知ることはできたのですが、母親の気持ちを100%知ることはできなくて悔しさがあったんです。だから、今度は職員になってその橋渡しがしたいと思いました。
しかし、就職活動を進めるうちに、福祉に関わりたいけど福祉施設にいきなり入ってもいいのか、という葛藤が生まれてきました。そこで悩みをエージェントに相談したところ、ゼネラルパートナーズ(GP)を紹介してもらい、説明会に参加したのがGPとの最初の出会いですね。
説明会に参加して、代表の進藤 均が言った「民間では福祉というものをしてはいけないというのが、もはや一種の差別ではないのか」という言葉が強く心に残りました。 また、選考が進んでいく中で、2時間ほど今の自分の想いや迷っていることを親身に聞いてくださって。その時点で他の会社の内定も頂いていましたが、GPへの入社を決めました。
2020年現在は、関西支社でキャリアプランナーとして働いています。GPのサイトへ登録してくださった方とお話をしながら、企業紹介や面接調整などをしつつ、一緒にその方に合った仕事を紹介しています。
まだ入社して半年ですが、求職者の方からするとひとりの担当者です。自分が担当だったから就職できなかった、選択肢が狭まったと思って欲しくないので、もっと頑張っていかないといけないと思っています。
以前聴覚障がいの方の支援を担当したことがあります。
スキルはあるのに、なかなか面接が通らなかったんです。2カ月ほどかけて面接対策を中心にサポートさせていただき、正面から向き合い、最終的には内定をいただくことができました。
正直、雇用条件を下げた方が良いかと考えたりもしましたが、最終的に希望通りの会社に決まったこともあり、自分を曲げずに頑張ったからこそ結果が出たんだと嬉しくなりました。
最後にその方からメールをいただいたのですが、「あかりさんの笑顔に救われていました」と、初めて下の名前で呼ばれて、感謝を伝えてくださったことは忘れられない経験ですね。
まだまだ勉強中ですが、キャリアプランナーの先輩のカウンセリングに同席させてもらいながら、言い回しや伝え方などをどんどん吸収していきたいです。
私自身が誰かの居場所にーすべてのひとに居場所がある社会をつくりたい
今は身体障がいの方が中心ですが、今後は精神障がいの方の担当にもなる予定です。2?3年後には、障がいの種別で分けるのではなく、会社全体としてひとりの人として接していけるようになれればと思います。
今は、ひとりのキャリアプランナーとしても守破離の守の段階ですが、経験を積んで一人前のキャリアプランナーになっていきたいですね。
ゼネラルパートナーズでは、普段の社内でも、先輩方の「もっとこうしたらいい」「もっとこうなったら障がいの偏見はなくなっていくと思う」といった考え方の話が飛び交っています。そういうのを見て、とてもすてきな会社だなと感じています。
GPは第二創業期として、「誰もが自分らしくワクワクする人生」という新たなビジョンを掲げていて、進藤の言葉が現場にも浸透しているのかなと思いますね。自分自身の目標を決めるとき、「それって本当にワクワクする?」と先輩から聞かれたときにハッとしたこともありました。
将来は、すべての人に居場所がある社会をつくっていきたいです。そして、私自身が誰かの居場所になれたらいいなと思います。
実習の経験から、「自分を含め、今の社会は何故か生きづらい」と漠然とした不安を感じるようになりました。原因のひとつは、多数派のレールから外れないために周りの目を気にして生きているからだと思います。
さらに、福祉を学ぶ中で、どの制度にも該当しない人にも、日常に生きづらさを抱えている方や自己肯定感の低さから自分で自分を追い込んでしまう人がいることを知りました。やはり、さまざまな理由で自分らしく生きられない人はたくさんいると思います。そんなとき、自分らしくいられるコミュニティの存在は、その人たちにとって大きいと思うんです。
だから、自分らしく、しんどくなったときにいつでも帰れる居場所の存在が、ワクワクする人生を歩むうえで必要ではないのかと思います。
そして、いずれは母子を支える部分にも関われたらいいなと考えています。福祉施設だから、民間だからという垣根をなくす行動ができればと思っています。