今こそ歴史を動かす“その時”だ──これから先の「テレビ」を変えていく鍵とは | キャリコネニュース
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今こそ歴史を動かす“その時”だ──これから先の「テレビ」を変えていく鍵とは

▲学生記者として、キューバの野球場を取材

2001年に朝日放送テレビ株式会社に入社し、以来19年間に渡って現場の第一線で活躍してきた天本 周一。テレビ業界の大きな変化の波に揉まれながらも、その波を乗りこなすべく、奮闘しています。常にチャレンジングな姿勢でテレビが歩む道を模索し続ける天本の、これまでとこれからをお伝えします。【talentbookで読む】

歴史が動く瞬間に、自分が立ち会いたい。この想いから始まった報道人生

ベルリンの壁崩壊や天安門事件など、世界がダイナミックに動いている様子を学生時代にテレビで目の当たりにした天本。「歴史が大きく変わる時代の瞬間に、自分も立ち会いたい」そう思ったことが、報道の道を志すきっかけでした。

天本 「そのためには、新聞記者になればいいんだ!と上智大学の新聞学科を選んだのですが、新聞学科に進学したからといって新聞記者になれるわけではないんですよね。今考えれば当たり前のことですが、私は佐賀出身で、マスコミの就職というものがどういうものかまったく知らなくて(笑)。入学してはじめて、その事実に直面しました」

そこで、新聞部に所属したり、アルバイトとして雑誌のライターを経験したりする中で、「自分は書くことが好きだ」と気づいた天本。さらに、雑誌の企画でキューバに行き、現地の野球の様子を取材したことを機に、新聞社とテレビ局両方への憧れが強くなりました。

天本 「週刊誌の仕事だったのですが、原稿を書いて編集部に納品してから雑誌に載るまでにはタイムラグがあります。それが、現地のテレビ局は、試合当日の夜には試合の様子を報道していた。私が記事で書いたことが、早くも映像の中に詰まっていて、『ああ、映像ってすごいな』と感動したんです」

新聞記者を志していた天本。この出来事に加えて、より身近に感じていたのがテレビだったことが決め手となり、朝日放送を選んで今に至ります。

天本 「生まれて初めての報道の仕事は、いうなれば探偵のようでした。何か事件や事故が起きたらすぐに現場に駆けつけ、インタビューをする。当時はスマホもないので、いわゆる写メを撮った人の写真やメール、動画を撮影する。日々起こった出来事を即座に番組で伝えなくてはならず、瞬発力が身に付きましたね」

そして入社4年目、天本は朝日新聞へ研修派遣となり、新聞記者を経験することになります。

天本 「新聞は図書館にも保管されますし、歴史的に残るものじゃないですか。その分、一字一句に責任がある。また、一つの特集のために、何ヶ月もの時間を使って取材することも珍しくありません。いろいろとシビアな反面、読者の反応が得られる嬉しさやおもしろさがあり、充実した2年間でした。このときの経験が、朝日放送に戻ってから活きることになりました」

自分が手掛けたニュースが社会を変える。取材のおもしろさ、ここにあり

新聞社で行政の取材を経験。このことがのちのテレビに戻ってからの仕事に活かされます。

天本 「事件や事故の取材をする一方で、高齢者の方や年金事務所、社会保険事務所の職員の方へ取材し、ドキュメンタリー作品を作りました。年金取材では、新聞社時代の経験が大いに活きましたね。そして私の取材がきっかけとなり、最終的には国会でも取り上げられるようになりました。これが世にいう『消えた年金問題』です」

自分が手掛けたニュースによって、社会全体の動きが変わっていく様子を肌で感じた天本。

本来、テレビが得意とするのは、動きがあるテレビ映えする題材。当時、天本が取り上げた年金や社会保障の制度の問題をテレビで継続的に伝え続けるのは、難しいとされていました。

天本 「どちらかというと、こういった話題は新聞が得意とする問題ですよね。正確なデータに基づいて記事を書き、行政や企業を動かすことができる媒体は当時は、新聞ですから。

一方テレビは、見ている人の心を動かすというか、感情の部分に訴えかけることができるメディアです。世の中の流れや空気を作っていく力は、テレビの方が強い。年金問題に取り組む中で、一般の人々を巻き込みながら世の中の流れや空気を作っていくテレビの強みを実感することができました。

また、大阪の放送局に所属していたことも大きかったと思います。在阪局は東京に比べて、自分自身で取材テーマを見つけて追いかけることができる環境にあります。

朝日放送自体、どんなテーマでも、自分に興味ある分野での取材も認めてくれる度量があったので、私も気兼ねなく好きなテーマを追いかけることができました。大阪の人たちが取材に協力的だったことも、スクープを発信できた要因のひとつだったと思います」

その後、東京のテレビ朝日の『報道ステーション』にディレクターとして出向。その後、海外勤務のチャンスが舞い込みます。

天本 「フランスのパリ支局長を任されることになりました。海外特派員に興味があり、以前から希望を出していたんです。当時35歳、支局長としては比較的若い年齢で、海外支局へ行かせてもらえることになりました。責任は限りなく重いポジションでしたが、『若い人にチャンスを』と快く送り出してくれました」

海外特派員としての3年間は、スリリングな出来事の連続

フランス・パリ支局での日々は、天本にとってスリリングな出来事の連続でした。というのも、支局で勤務する記者は天本だけ。ヨーロッパからアフリカまでの計13カ国を一人で担当していたのです。

天本 「私が支局で勤務していた時期は、欧州でテロが頻発した時期でした。時差は7~8時間。パリで夜テロが起きれば、そのまま寝ずに、中継で伝え続けます。日本は朝で、情報番組が始まりますので。本当にきつかったです。慣れない外国語と格闘し、それでも最新情報を、現場を伝えなければ、と必死でした。何しろ、僕らの系列で、パリに記者で居るのは自分だけ 。任されている仕事の大きさを感じました」

パリ支局で過ごした中でとくに印象的だったのは、2015年のパリ同時多発テロ事件です。パリ市内で同時に爆発や射撃が起こったまさにそのとき、天本はフランスではなくドイツにいました。

天本 「本社の指示でドイツに取材に行っていたんで、『すぐに戻れ』と指示がありました。それはそうでしょう。事件が起きたとき、その赴任地にいない特派員なんて意味がない。他のパリ支局の人たちは、事件当日の夜中から朝にかけて中継をしているのに、テレビ朝日系列だけ映像が流れているのみ。なぜなら、私が現地にいないからです。これはもうクビ間違いないと覚悟しました。

朝9時からの生中継に向けて、ドイツから車で600kmの距離を走って戻りました。8時半過ぎにパリに入り、ギリギリ生中継に間に合ったのですが、スタッフと涙を流して安堵し合ったことは昨日のことのように覚えていますね」

他にも、フランスの南部ニースで発生した車によるテロ事件では、パリにいる天本は何も状況がわからないまま「10分後に電話で中継をつなぐから、わかっている情報をダイレクトに伝えて!」と指示があったことも。

天本 「現場にいないながらも、フランスの警戒状況やパリのリアルな様子を自宅から支局への道中にしゃべり、到着したら電話からカメラに切り替えて……本当に綱渡り状態の仕事が多く、刺激的な毎日でした」

過去と未来、若手とベテランの架け橋としてできること

人生の中でもとくに濃厚な3年間を過ごした天本。これまでのキャリアを振り返り、「放送記者として、すごく恵まれている。こんなに若い社員のことを考えている会社はない」と語ります。

そんな天本は、2020年に19年働いていた報道局からの異動を経験しています。テレビ社の経営戦略を担う「テレビ社長室」で、報道局とは全く違う仕事に携わりました。

天本 「入社して初めての異動が社長室。まさか……と思いました。財務諸表、恥ずかしながら、PCのスキルもままならず、最初は四苦八苦でした。でも、会社を俯瞰で見ることで、これまで考えなかったテレビの未来、会社の状況、行く末を考えるようになりました」

2022年1月、新たな経験を詰んだ上で、天本は再び報道局へと戻ってきました。一度離れてみたからこそ、「テレビの未来」「報道の在り方」を考え直したといいます。

天本 「私が入社した当時、テレビは情報の中心にあって、テレビが見られなくなるということは考えられませんでした。しかし今はNetflixをはじめ、同じテレビの中にも競合相手がたくさんいます。

でも、これからの未来を考えた時に、悲観するばかりではダメなんです。今後の存在価値と存在意義を考えて行かなければなりません。むしろ、急激な変化のときだからこそ、今が新たな道を切り開くチャンスだと思うんです」

今がチャンス。そう語る背景には、時代の変化とともに報道を見つめてきた天本ならではの視点がありました。

天本 「朝日放送グループには40代で社長になる人たちも増え、ここ5年ほどで会社も大きく変化してきました。会社としても、報道や面白いドラマやバラエティを作ってテレビで放送するだけの会社から今変化しつつあります。テレビ以外の媒体を通して、自分たちのコンテンツをどう届けられるか、また、関西の放送局だからこそ、地元の関西の人たちにより信頼され、愛される存在になるためには何をすべきなのか?

これまで一方的だった『伝える』から、『共鳴』『共感』の時代に放送局としてどう対応出来るかが問われています。今までにない発想と行動力が求められる時代。だからこそ、チャンスなんです。

テレビを成長させることだけを考えてきた私たちと違って、これから入社されるような、いわゆるZ世代の方々は、バブル崩壊後に生まれて、インターネットが当たり前にある世の中に生まれたデジタルネイティブ。ぜひ彼ら彼女らと一緒に、新しいテレビ、もしかしたら、テレビという形じゃないかもしれない、新しい会社の在り方を考え、作っていきたいです」

報道現場の最前線で経験を重ね、経営の現場で視座を高めていった天本。
会社の未来を見据え、次世代の若手とともに、新たな「在り方」作り上げることでしょう。

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