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自由を求める若き営業マンが、ベテランだらけの新天地で躍進へ

学生時代の濵田

学生時代の濵田

日本ストライカーへ新卒入社した濵田 陽平。「自由」な働き方を重視して選んだ会社で学んだことは、自分自身で考え、行動する必要性でした。そんな若き営業マンのやりがいや、入社して3年目の今、少しずつ見えてきたこれからの目標を紹介します。【talentbookで読む】

歯車になることを拒み、自由に働くことを望んだ就活時代

――歯車にならずに、自由に働きたい。

そんな強い思いを学生時代から抱き続けてきた濵田は、外資系医療機器メーカーの日本ストライカーで営業の仕事に日々、向き合っています。

2016年4月に新卒で入社し、主に整形外科領域を担当するオーソペディックス事業統括本部のスパイン営業部に配属されると、スパイン(脊椎)の手術で使用する医療機器を販売するため、さまざまな関係者と連携しながら担当エリアのドクターに営業活動をしてきました。

ドクターに自社製品の理解を得て採用いただくと、自社製品を適正で安全に使用いただくため、その機能や使用手順を正しく伝えるだけでなく、時にはドクターから依頼されて、実際に自社製品が使われる手術に立ち会うことも少なくありません。

入社3年目の今、すっかり日本ストライカーの営業らしい顔つきになった彼ですが、昔から医療に携わる道を志していたわけではありませんでした――。

高校は国際教育に力を入れる学校に通い、大学でも高みを目指すことを考えた結果、文系のなかでも特に偏差値の高い法学部に行くことを決意し、上智大学の法学部国際関係法学科に進みました。

「大学は偏差値の高いところに行くことができればいいだろうと、フィーリングで法学部を選んだ」と振り返る濵田ですが、その後の就職活動では「働き方」に対する強いこだわりを持ち、就職活動を行ったと話します。何よりも重視していたのは、自由度の高さ。自分が働きやすいと思える環境を考え、仕事をする上で「自由さ」は必要な要素であると考えるようになります。

濵田 「『自由さ』とは言い換えれば、無駄のない動きを自分で考えて行動できるということ。無駄なことが大嫌いで、単に会社の言いなりになる歯車のような働き方はしたくなかったので、より効率的な働き方を叶えられる企業に行きたいと考えていました」

業界研究を進めるうち、ものづくりに興味を持った濱田は、メーカーに絞って就活をすることにしました。日系・外資系を問わず、あらゆる製品を扱うメーカーをチェックしたなかで、効率的な働き方を実現できそうな外資系メーカーに巡り合います。それが、日本ストライカーだったのです。

就活中も入社後も、グングン引き込まれた日本ストライカーの魅力

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濵田が日本ストライカーと出会ったのは、エージェントからの紹介がきっかけでした。

濵田が就職活動を行った2016年は、多くの企業で新卒採用における活動スケジュールが変更され、採用プロセスが前年よりも間延びした時期でした。説明会から面接までの期間が長く、「早く面接を済ませたい」と希望を伝えてエージェントに紹介されたのが、外資系企業で一足早く採用活動をはじめていた日本ストライカーでした。

就職活動をはじめて以降、様々なメーカーに応募したものの、医療関係の企業は日本ストライカーだけ。日本の高齢化に伴い市場が拡大していることや、景気に左右されないこと。さらに、直行直帰の仕事スタイルをはじめとする外資系メーカーならではの柔軟な働き方に魅力を感じ、面接を受けることにしました。

複数社の面接を並行して進めていくなかで、濵田の目には日本ストライカーが特に魅力的に映ったと振り返ります。

濵田 「日本ストライカーは、社員の印象がすごく良かったんです。社内を歩いている社員どうしの関係もカジュアルでしたし、和やかな雰囲気のなかで働いているように見えました。

また、当時の人事担当者から『入社したら絶対活躍できるよ』という期待の言葉をかけてもらえて、素直に嬉しかったですし、選考を通じて、だんだん日本ストライカーが好きになっていったんです。日本ストライカーの内定をいただいた後、迷っている企業の選考がまだ終わっていなかったのですが、『しっかり考えて結論を出したらいいよ』と、迷っていたもう一社の合否まで待ってくれました。結果的にそのもう一社には落ちてしまったので、日本ストライカー一択だったのですが(笑)、選考プロセスにおける採用候補者との繋がり方で、この会社しかないって、決意しましたね」

2016年4月に入社してからも、濵田のなかで『日本ストライカーらしい魅力』がどんどん発掘されていきました。

特に魅力的に感じているのは、“好きなようにやらせてくれる”ことです。

濵田 「事細かく指示を受けるのではなく、自分でプランを組んで実行する仕事スタイルが日本ストライカーの働き方の特徴。『こんなに自由でいいの?』と思うほど、就職活動で思い描いた自由な働き方が実現できています。

一方で、自由な働き方を実現する上で必要なのは考える力です。最初は自分で行動しないと何も起こらない、いわば放任スタイルに戸惑いもありましたが、自分の好きなようにアプローチできるのは良いですね。社長も『やってみなはれ』と言ってくださいます」

結果を出すために自分が何をすべきか考えなければならない一方で、自分が最適だと判断したことを自由に実行できる。“自由に働く”ことを最重要項目と位置付けていた濵田は、日本ストライカーの文化にみるみる溶け込んでいきました。

「親の気持ちになったら……」手術の立ち会いで実感した責任とやりがい

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入社後の研修を終えると、東京都内の病院を担当して営業を行なう日々がはじまりました。営業活動に必要なのは、製品を売り込むことだけではありません。実際に手術を担当するドクターに製品への興味を持ってもらうには、自身とドクターの関係を構築することが重要です。

朝や外来後などドクターと会えるタイミングを狙い、関係を作るためのアプローチとして、製品の販売につながる話や雑談をします。また、関係を作る対象はドクターに限りません。看護師や納品先の特約店(卸)など、病院に関わる人たちとの関係づくりに勤しみます。

濵田 「実際に僕たちが製品を売るのは病院ではなく協力していただいている特約店に対してです。特約店との関係を密にしておくことで、価格交渉やオペのスケジュール確認が容易にできるようになります。

そして、ドクターのオペをサポートする看護師さんの存在も重要です。オペで使用する器械を前日に持参し、事前に使い方を教えたり、細かい部品の説明をしたりすることで、スムーズなオペのサポートをします」

手術で使用する製品を販売しているからこそ責任は重大ですが、その分やりがいは大きいもの。

濵田が特にやりがいを感じたのは、思春期特発性側弯症という、いまだ原因の解明されていない病気の手術に立ち会ったときのこと。思春期特発性側弯症は背骨が曲がってしまう病気で、若い女性がかかりやすいのが特徴。治療の際は脊椎用インプラントといわれる医療機器を用いて、背骨を真っすぐにするオペを行ないます。

濵田 「自社製品が実際にオペで使われ、患者さんの曲がった背骨が綺麗に真っすぐになる。これから長い人生を歩む若い方の姿勢が改善するさまを目の当たりにしたときは感動しましたし、やりがいを感じました」

また、オペに携わる責任の重さをより強く実感するきっかけとなった、先輩の言葉があります。

濵田 「『もし、濵田が患者さまの親だったら、自分の家族のオペで医療機器メーカーがミスしたら嫌じゃない?』と言われたんです。僕にも10代の妹がいるので、メーカーのミスで不都合が生じたらものすごく嫌だろうな、と。その気持ちがよくわかりました。

だからこそ、手術に立ち会うときには、オペに使用される製品を単に確認するだけでなく、どのタイミングで何を使うかというシミュレーションも念入りに行ないます。当日器械出しを担当する看護師の方にも、しっかりと説明できることが必要なんです」

こうして濵田は現場で自分で考えながら行動していく日々を過ごし、着実に成長を遂げています。そして、入社2年目が経過しようとしていた頃、突如として転機が訪れました。

営業としてスキルを積み重ね、ゆくゆくは新たな領域を目指していく

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2018年1月、濵田はKOL(Key Opinion Leader)といわれる、その分野の権威として有名なドクターがいる栃木県への異動を命じられました。異動の話があったとき、『なぜ、私が?』と戸惑ったと話す濵田。それもそのはず、異動先である栃木県は、スパイン領域において長年キャリアを積んだベテラン営業マンが代々担当してきたエリアだったのです。それは自社だけでなく競合も同様で、そこに2年目の若者が異動するのは異例のことでした。突然任されたことに戸惑いを感じた濵田でしたが、上司からの言葉が彼を奮起させました。

――成長するためには、このエリアがピッタリだ。この高い壁を乗り越えてみろ!

濵田 「入社2年目の私にとって、それはまさしく高い壁。まず、自分で考えながらやってみようと決意したんです」

こうして東京から離れ、栃木での新たな挑戦が始まりました。

熟練の営業マンばかりが担当しているエリアで、新卒入社の濵田は飛び抜けて若く、「大学を卒業したばかりじゃないか」とドクターに驚かれることも珍しくありませんでした。

そこで濵田はハンデとなりがちな若さを逆手に取り、武器に変えることを思いつきます。

濵田 「先生との会話の中でわからないことがあったら、素直に教えてくださいと言っています。意外にも多くの先生が、快く教えてくれるんです。ときには先生自身が勉強した文献をメールで送ってくれることもあり、それがきっかけで親しくなれたこともありました」

濵田は若さと素直さを押し出すことで知識と関係を深め、成功の手がかりをつかんできました。とはいえ栃木に異動してようやく1年が経過した段階で、関係づくりが進んでいないドクターがいるのも事実。今後はドクターに自分自身を認識してもらい、営業としてのステージアップにつなげたいと考えています。

濵田 「ドクターや看護師の方から呼ばれるとき、まだまだ“業者さん”だったり“ストライカーさん”と呼ばれます。営業マンである以上、私は自分の存在をきちんと関係者に証明していきたい。ちゃんと“濵田さん”と認識されて、会社名じゃなくて個人で覚えてもらうようにしていきたいと思います」

そして営業スキルを高めながら、ゆくゆくはマーケティングに挑戦してみたいと考えています。

濵田 「もともと国際色豊かな高校に通っていたこともあり、海外には関心があります。アメリカ本社と直接やり取りできるマーケティングの仕事には、ずっと憧れを抱いていますね」

今いる場所でのスキルアップを進めながら、新たな挑戦も将来の目標に掲げている濵田。かつて自由を求めて仕事探しをしていた若者は、水を得た魚のように日々医療の大海を泳ぎ回っています。

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