「何か」に自分の人生を委ねるな。自分の手で、自分の人生を掴み取ろう | キャリコネニュース
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「何か」に自分の人生を委ねるな。自分の手で、自分の人生を掴み取ろう

マネジメントの領域で、その道のプロフェッショナルとして実行支援を行っているMSOL。今回は新卒採用を担当する岡田拓也が、自身の経験をもとに「プロフェッショナルとしての生き方」について語ります。これからキャリアを創造しようという学生たちと向き合う岡田は、どんなメッセージを発信しているのでしょうか。【talentbookで読む】

「自分ってナニモノ? 」迷いのなか、手探りで見つけた答え

(高校留学時代)帰国直前 右から2番目

(高校留学時代)帰国直前 右から2番目

私は「いい子」でした。振り返ると子どものころから周囲が求め、期待している「いい子」像を意識して言動をとっていたと思います。その「当たり前」に疑問を感じはじめたのは高校に上がるころ。

毎日に不自由は無いものの、物足りなく、空虚な気分を拭い去ることができなくなってきました。「本来の自分とは違う自分を生きている」と思い始めてきたのです。しかも通っていた高校は大学の付属校で、このままレールの上を進み続けていくことに強い危機感を覚えました。「何かを変えたい」と、それだけで1年間のアメリカ交換留学を決意しました。

結果として、渡米してよかったと思っています。英語は主語をはっきり伝える言語。「I(私)」は今何を思い、どうしたいかを、最初に口に出さなければコミュニケーションが成立しません。そんな環境で「自分から動き出さなければ何も変わらない」ということを痛感しました。「結局、待っているだけでは何も変わらず、自分が変わらなければ、何も変えられない、変わらない」という学びを得られたのです。今でもこの学びは私の根幹にあります。

私の高校時代の心残りとして、部活に所属していなかったことがあります。部活で一緒に汗と涙を流した先輩後輩がいないことが、たまらなく寂しかったです。私は単純な性格ですから、大学では「仲間と、とことん熱く打ち込めることをやろう」とラクロス部に入部しました。期待していた通り、大学生活はラクロスにのめり込むことになりました。

始発に近い電車に乗り、7時からの練習に参加し、練習が終われば大学、大学が終わればバイトという生活を在学中ずっと続けていました。ラクロスするために大学に行っているんじゃないかというくらい。ところが、3年生のシーズンの終わり、手首を負傷したことがきっかけで選手としてしばらく活動できなくなりました。

フィールドでプレーすることが選手の存在意義だと思っていたので、存在意義を見失い、一瞬辞めることも考えました。でも、このときに普段支えてくれているマネージャー達と一緒に、小さくても自分のできることをやり続けました。

マネージャーも選手と一緒に戦っていると知ったとき、「チームが自分の居場所与えてくれるのではない。自分が居場所をつくっていくものなんだ」と気付きました。人や組織の面白さを知ったのはこのころだと思います。

新卒での挫折、ベンチャーでの経験、そして大切な出会いが教えてくれたこと

(大学時代)ラクロスに熱中していた頃 後列一番右

(大学時代)ラクロスに熱中していた頃 後列一番右

ラクロス部で得た気づきによって、私は組織と人との関係に強く惹かれるようになり、当時人気の高かった組織人事コンサルティングの企業に入社しました。ところが、一向に成果を上げることができません。

入りたくてしょうがなかった会社でしたし、尊敬できる先輩も大勢いるのに……結果を出せないでいる自分を責めました。今思えば、以前そうであったように、「組織が与えてくれる期待に応えなければ」と思いすぎていたのかもしれません。結局、打ちのめされたまま退職してしまいました。みじめで、ふがいなくって、自分を信じられなくて辛かったです。

そんな私を拾ってくれたのは、辞めた会社の先輩だった人です。「起業する」というタイミングで、創業メンバーとして私を誘ってくれたのです。社外にもう1名取締役はいたものの、ほぼ先輩と私の2人だけですから、会社といっても、私は“何でも屋”として奔走する日々でした。社会人としてのイロハを一から叩き直された日々でもあり、感謝をしています。

事業を始めて3年目ごろに初めて自分の手で案件を受注したことは、本当に嬉しく今でも覚えています。7年程たったときには社員も20名規模にまで拡大成長。社会人1年目でぺちゃんこになってから、やっと社会で生きていく自信がつきました。私生活では結婚をしました。

そして、結婚もまた人生のターニングポイントとなります。

結婚を通して、生きていくうえでの主語に変化が生じました。「I」ではなく「We(私と家族)」で物事を考えることが圧倒的に増えました。それ自体は幸せなことだと確信しているものの、主語が「We」になったとき、気づいたんです。

「今までは、自分の時間を担保にして“やる気”だけでタフな日々をがむしゃらに走り抜けてきたけれども、これからはそうはいかない。そもそもこういう生き方で本当にいいのか?」と。心身ともに調子を崩したことも重なって、自分の人生の優先順位や何が自分にとって幸せなのかをじっくり考え、働く環境を変えることにしたんです。

“自律的キャリア形成”でプロフェッショナルを志す、という生き方

(前職)創業3年目 27歳頃

(前職)創業3年目 27歳頃

現在、学生には偉そうなことを言っている私ですが、当時、転職先を探すうえで重視したのは福利厚生でした。別に楽がしたかったわけではありません。妻とともに「We」としてどんな生き方をしたいのか、それをきちんと考え、実践していける可能性のある職場を求めていったんです。いくつか大手企業から内定ももらいました。

しかし、最終的に決めたのはMSOLでした。当時からPMOソリューションの提供を軸に成長していたMSOLでしたから、私のこれまでの経験をどこまでいかせるかわからない部分はありました。しかし、社長の髙橋信也と話す中で、これからのマネジメントの持つ可能性を聞き、その考え方に大いに共感したんです。また、それ以上に大きかったのが経営や組織、そしてマネジメントというものに対する独自のフィロソフィー、特に「プロフェッショナル」としての生き方が胸に刺さったからでした。

――自分の客観的な市場価値は、プロフェッショナルと呼べるものになっているのか。まだ成長途上なのだとしたら、何をすればいいのか。決めるのは会社や組織ではない。当人が決め、その実現のために会社や組織と向き合っていくべきものだ。

高橋がMSOL内で発信し続けているメッセージに、これこそが本質的に自分の人生の価値を高めていく生き方だと思い、私は入社を決意したんです。

以来、私は新卒採用を担当し、学生の皆さんに向けて“自律的キャリア形成”というメッセージを投げかけ続けています。MSOLが大切にしている価値観を伝え、共感してくれる学生との出会いを促進するためでもあるのですが、同時に私は自分に対しても常々このメッセージを投げかけ、腹落ちできていることを確認しようとしてもいます。なぜなら、私自身がこのメッセージに腹落ちしていなければ、言葉が相手の心に響くはずがないからです。

初めからプロフェッショナルな人はいない。でも、生き方を選ぶことはできる

現在の岡田

現在の岡田

悩んだり、苦しんだり、挑戦したり、挫折したりというデコボコしたキャリアを歩んできた私だからこそ、胸を張って学生には言っています。「今の時点で、自分の人生に対する『明確な価値軸』が見つかっていなくても構わない」と。

そして、「その代わり、自分は何のために生きていくのか、どう生きていきたいのか、どんな人間でありたいのかを真剣に考えてみようよ」と呼び掛けています。

一方、学生たちからはこんな質問をされます。「MSOLはプロフェッショナルばかりが揃っている集団なのですか?」と。私の答えはだいたい決まっています。「全員がプロフェッショナルというわけではないけれども、全員がそれを強く意識して働いているし、生き方やキャリアを自分で見つけ出そうとしている。皆がそれぞれの未来に向けて踏み出そうとしている。それがMSOLです」と。

2019年現在、MSOLは社会により多くのマネジメントの可能性を広げていこうと1000人体制を目指し、中途新卒と全社で採用活動に力を入れています。ですが、1000人揃うことだけが目標ではありません。私の夢は1000人がそれぞれ自分の価値軸で、会社だけでなく家族との「We」も大切にしながら、マネジメントのプロフェッショナルを目指している状態。その立役者に私はなりたいと思います。

私たちは「プロフェッショナルとしての生き方」を大切にする会社です。終身雇用が社会的な役割を終えようとしているなか、「何か」に人生を委ねるのではなく、自分自身で人生を切り拓いていきたい人にはいい環境だと思います。

初めから「プロフェッショナルな人」はいないと思います。けれど、プロフェッショナルとして生きていくことはできます。そんな「生き方」に興味がある方たちと会社をつくっていきたいです。

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