すべてを動かすのはソフトウェア──チャレンジ精神でプロジェクトマネージャーへ | キャリコネニュース - Page 2
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すべてを動かすのはソフトウェア──チャレンジ精神でプロジェクトマネージャーへ

▲大学院時代、学会で発表

▲大学院時代、学会で発表

自動車やロボット、家電などあらゆる製品の内側には、その動きを制御するソフトウェアが組み込まれている。異業種から転身し入社3年目の東條友樹は、お客様の製品をより付加価値の高いものにするため、持ち前のポジティブさで組込系ソフトウェアの開発にまい進している。【talentbookで読む】

人の役に立つ、ものづくりがしたい

東條は大学院生時代、半導体の材料となる新素材について研究していた。

東條 「大学院で研究していたのは半導体の MOSデバイスを高速化するための高性能な材料とその生成方法。最先端の研究でとてもおもしろかったですね。でも、実用化される可能性があるのは、何十年も先になるというまだまだ未来の話。仕事にするなら実際に目に見えるかたちになって、身近な人の役に立つことが実感できる “ものづくり ”に関わりたいと思うようになりました」

こうした考えから東條が最初に就職した会社は福島県にあるオーディオメーカー。ここでは社内の技術者や海外の顧客の間に立ち、折衝して製品をつくりあげる仕事を担当していた。

東條 「海外を飛びまわって、望んでいたものづくりに携わり、充実した日々を過ごしていました。海外のお客様と仕事をし、多様な価値観に触れていく中でいろいろなとらえ方が変化しましたね。

この会社では英語が必須だったのですが、仕事で必要になるまでまったく話せず、むしろ嫌いな方でした。でも、そういったことも先入観を捨ててチャレンジしたからこそ、得られるものがあり、自分の常識にとらわれず相手の立場になって考えることを学びました」

地元で働きたい。家庭も大事にしたい。その環境が富士ソフトにはあった。

▲富士ソフト 福岡オフィスにて

▲富士ソフト 福岡オフィスにて

そんな東條に転機が訪れた。結婚して子どもが生まれ、地元福岡に帰って住み慣れた土地で子育てをしたいと思うようになったのだ。

東條 「私も妻も福岡出身だったので、いつか帰りたいという気持ちは漠然とありましたが、前職では海外駐在を希望していたくらい、すぐに帰りたいとは思っていませんでした。しかし、いざ子どもが生まれてみると、実家のそばで親や昔からの友人・知り合いに囲まれた環境の方が私たち夫婦にとっても、子どもにとっても安心して生活できるのではないかと感じてしまって」

こうした背景から福岡で働ける企業を探して転職活動をする中で、出会ったのが富士ソフトだった。数ある会社の中から富士ソフトを選んだ理由についてはこう話す。

東條 「自分が好きなものづくりに携われることと、社員のワークライフバランスを大事にする社風に惹かれました。ITの世界は未経験でしたが、なぜか不安はなくて。きっと自分のようにいろいろな背景を持った人が集まっているんだろうなとワクワクしました。根っからの楽観主義なんです(笑)」

ソフトウェア開発であれば、工場などの場所にとらわれずにものづくりに携わることができる。全国各地に拠点を構え、6,000人ものエンジニアを擁する富士ソフトには、業種業態を限らずあらゆる顧客の製品開発に関わる可能性が広がっている。

東條 「その後上司となる面接官に、技術を極めるスペシャリストではなく、前職での経験も生かせるマネジメント職を希望していることを伝えると、『ぜひうちで頑張ってほしい。ただ、数年はプログラマーとして武者修行をしてもらうことになるよ』と言われました。マネジメントを目指すためにもある程度の知識と経験は必要だと思いましたし、はっきり言ってもらえたので腹を決めることができました」

可能性を広げる第一歩は「とにかく、一度やってみる」

▲前職では海外出張も多かった

▲前職では海外出張も多かった

2019年6月現在、東條が担当しているのはインターホンや見守りのために家庭内で使われるカメラ製品の開発だ。プログラミングはもちろん、すでに顧客との折衝や社内の調整、チームのマネジメントまで、業務の範囲は広がっている。この成長の秘訣はどこにあるのだろうか。

東條 「学生時代にプログラミングに出会い、現在までを振り返ると、結果的に苦手なところに飛び込んでいってるんですよね。プログラミングも大学の授業では大の苦手で。

でも、1カ月間みっちり基礎を教えてもらったことで、苦手意識を払拭することができました。マンツーマンでついてくれた教育係の先輩は、自分のプロジェクトも抱えながら大変だったんじゃないかと思いますが、とても気さくで話しやすい空気をつくってくれましたね。ひたすら出してもらった課題を解いていくのですが、丁寧に教えていただきました」

課題を通じて基礎を身に着けた東條だったが、いざ実践となると、基礎習得時とはまた異なる感触があった。

東條 「基礎を学んだあとは、『サポートしてあげるから自分でやってみて』と渡された、小さいプロジェクトから少しずつ大きく複雑なプロジェクトに入って学ぶ実践編。やっぱり一番辛かったのは最初のプロジェクトですね。机の上で学ぶのと実際の開発では大違い。知識が足りないんです。何度も質問して、小さいながらも設計から評価まで自分の手でやり通した時はひとつ乗り越えたなという実感がありました」

積極的に不得意な領域へ踏み込む――。それが普通の何倍もの伸びしろにつながっている。

東條 「前職の海外経験も、今のプログラミングも『やってみよう』と挑戦することで新たな世界が広がっていったんです。今までの経験すべてが自分の糧になっています。中途で同期入社の同僚には、『変なプライドがないのがいいね』と言われました。

最初はどうしても『そんなことも知らないの?』というレベルの質問ばかり。そういう質問をするのに抵抗がある人もいるんじゃないかな。教えてもらったことに関しては、きちんと理解して、さらにもう一段階深く考えて自分のものにする。他のパターンにも応用するのは得意かもしれません」

このような姿勢で業務と向き合う東條だからこそ、人一倍早く成長し、幅広い業務を任されるようになった。富士ソフトでは失敗を恐れて行動しない人よりも、チャレンジする人が認められ、仕事を任される。

東條 「また、家庭との両立は、いろいろな制度があるだけじゃなくて、実際に活用している人が多いので理解があって助かっています。時短勤務の方や、子どもを保育園に送ってから遅めに出社するという男性社員も多いですね。私も子どもが熱を出したら在宅勤務を活用しますし、コアタイムなしのフルフレックス制なので、自分でスケジュールを柔軟に調整できます。家族も喜んでくれていると思います」

仕事は明るく、楽しくがモットー

▲営業担当者と打ち合わせ

▲営業担当者と打ち合わせ

東條の原点にあるのは、仲間たちとラグビーに汗を流した高校時代。One for All, All for Oneの精神が染みついている。人と関わるのが好きで、マネジメント志向なのだ。

東條 「プログラマーというと、ひたすら PCに向かって黙々と作業をしているイメージですよね。でも私は人と話すのが好きなので、どんどん話しかけちゃいます。話しかけにくいオーラなんて気にしません」

東條の朗らかで気さくな人柄は周囲にも良い影響を与え、開発の場で活発に意見を出し合える空気をつくり出し、メンバーからは「一緒に仕事をするのが楽しい」と評価されている。

東條 「常に明るい職場というのを心がけています。仕事は楽しい方がパフォーマンスがあがると思ってるので。そして、お客様からも、プロジェクトメンバーからも、何かあったときに頼られる存在になりたいです。今はプロジェクトマネージャー( PM)を任せてもらえるよう、日々努めています」

今まで、インターホンやペットの見守りカメラなどさまざまな製品の開発に携わり、成果を残してきた東條。今後の事業への展望についてはこう話す。

東條 「部署としては、今担当しているお客様の製品をさらに付加価値の高いものへ進化させていく、そしてお客様に信頼していただき多くの製品開発に携わらせていただくことがミッションです。ゆくゆくは九州地場の企業の取り引きを拡大して九州全体を盛り上げていくような仕事ができたらいいですね」

入社3年目、まだまだその成長が止まることはない。彼が大きなプロジェクトのPMを任される日も近いだろう。

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