酒席での夢物語が、やがて現実に──すべての成功は、想像することから始まる
2019年現在、小学館集英社プロダクション(ShoPro)のパブリックサービス事業部で、責任者を務める新井 聡。自身も会社の将来に対して壮大なビジョンを持っていますが、部下である社員にも、「通常業務をこなすこと以上に夢を語ってほしい」と望んでいます。その心とは──。【talentbookで読む】
内向的な自分を変えた、転校経験
2019年現在、部署の責任者として周囲をまとめる立場にいる新井ですが、もともと幼少期は内向的な性格だったと言います。そんな新井を変えたのは──。
新井 「子どものころ、転校を多く経験しました。小学校で 3回、中学校で 1回しました。その度に新しい友だちをつくらなくてはいけなかったので、やむなく社交的になったんです」
新しい環境になじむために、努力を続けた新井。結果的に対人スキルが磨かれ、いつしかクラスで人気者を目指すようにもなっていたそうです。
新井 「おかげで “人見知りしない ”という長所が身につきましたね。一方でデリカシーがなく、声が大きいという短所もついちゃったんですけど(笑)。振り返ると転校生としてのさまざまな経験が、初対面の人と向き合うときの “自然体 ”につながっているのかもしれません。また、中学生から夢中になった音楽は、その話題を通じていろいろな人と知り合うきっかけにもなり、幼少期や学生のころの体験・経験が今に生かされていますね」
メディアからパブリックサービスへ──ShoProで歩んだ31年
大学生となり就職活動に直面したころ、新井は「ほとんど何も考えていなかった」と当時を振り返ります。
新井 「ただ漠然と『これからずっとサラリーマンやるんだな』と思っていましたね。社名やイメージだけでエントリーして、内定が出た大手電機メーカーに入社しました。でも入社後に『働き方が自分と合っていない』と感じたこともあり、あっさり退職。
その後、就職浪人をしながら、今までとは違う業界を中心に再就職にトライしました。そうして転職した会社が ShoProだったのです。社内でもよく聞く話ですが、“小学館 ”という名前で面接を受けにいきました(笑)」
ShoProへの入社後、制作事業部(現メディア事業本部)企画課に配属となりました。そこで、ShoProが運営していた英語教室“小学館ホームパル”の生徒へ発行していた月刊誌の編集の仕事を経験し、その後はライセンス事業部に異動。キャラクタービジネスを中心に、“ドラえもん”を扱う仕事に11年携わりました。
新井 「『ドラえもん』の担当は、やっぱり一番印象深い仕事ですね。カレンダー制作・販売にはじまり、いろいろな仕事に関わってきました」
初めは現場担当から、最後は事業部長となった新井。11年間の中でいろいろな人と出会い、さまざまな困難を経験しました。「当時はすごくつらかった」といいますが、今振り返ると、失敗やトラブルを含めたすべてが「今の自分をつくってくれた」と思えるそうです。
新井 「あるとき、病気で苦しんでいる子どもにキャラクターグッズを届ける、という機会があったんです。子どもたちが喜んでくれている姿を見たときに、『自分がやっているのは夢を与えられる仕事なんだ』と、実感することができました」
そんな新井は4年前の2016年2月に、エデュケーション事業本部パブリックサービス事業部へ異動となります。
パブリックサービス事業部は、主に国や地方公共団体の民間委託事業を実施する部署です。入札によって公共施設運営及び公共事業サポートの仕事を獲得し、施設ならその受託期間中、要求水準を100%完遂して安定的に運営を行います。
また、ShoProの持つ力をフルに発揮して、広報や啓発活動に寄与する事業などの受託も行っています。
新井 「もちろん、受託金額の中でやりくりして利益を出す、というビジネスです。基本的に国や自治体からの受注なので、総称して “パブリックサービス ”と私たちは呼んでいます」
そんなパブリックサービス事業部において、新井は現在責任者として、3グループ8課を統括しています。
「教育=いい仕事」で満足してはいけない──私たちの仕事はビジネスである
パブリックサービス事業部の責任者となってから、新井自身にも変化があったといいます。
新井 「メディア事業本部のときはプレイヤーでもあったので、“部下と一緒に仕事をする ”という感覚でやっていました。自分の経験やスキルが部下よりも上回っている、という自覚があったので、自然とリーダー的な役割をこなせていましたね。
ただ、新しい事業部(エデュケーション事業本部)に来てからは聞き役に徹して、まずは現場第一を心がけています。責任者といえど、私が一番経験値とスキルが低いので。調整役として皆さんに事業・会社全体の方向性を伝え、それを検証してもらい、内容をまとめるというスタイルです」
そんな変化の中で新井は、「自身が頑張って結果を出せばいい、という仕事観では、求められている役割に応えられない」ということを学んだといいます。
責任者は、自分のことだけでなく、仕事のプロセスや環境の改善、メンバーとの相互コミュニケーションなどに、気を配らなくてはならない立場です。
新井 「常に現場の近くに “いる ”ことが重要だと考えています。責任者は部下に報告・連絡・相談を求めているのだから、それを常に受け止められる態勢でいる必要があります。今はメールもクラウドもあるので、極論でいえば、 365日 24時間態勢ですね。たとえば『部長報告が土日はさんで週明けになってしまうので、全体スケジュールが遅れる』みたいなことがないように努めています」
一方で、自分の心構えだけでなく、メンバーに対して発信してきたことはあるのだろうか……?
新井 「自分の考えをしっかり持つ、受け身で仕事をしない、ということですね。『自分の仕事はビジネスである』と認識しようと、いろいろな話し方で伝えています。つまり、『教育=いい仕事』で満足してはいけないということです。パブリックサービス事業部に来てから、とくに積極的に伝えていますね」
通常業務をこなすだけでなく、夢を語ってほしい
新井 「一方、事業を考える上では、 2年前から『ソーシャル事業』という視点から、現行の事業を捉え直しました。これは売り手(利益)のことよりも、買い手と世間のことを重視するというものです」
その心は、パブリックの仕事の意義、会社に対する貢献を考えたところから来ています。利益追求型ではない方針で進めていく方が、事業の安定的発展・継続、メンバーの士気高揚につながるのではないかと。
新井 「『仕事=利益追求』という感覚だけでは、公共の仕事は捉えきれないとも考えています。 ShoProは、実にさまざまな事業を展開していますが、会社にとっても、小学館グループ全体にとっても、パブリックサービス事業は必要である、という考えを持ち続けてもらいたいですね。同時に企業として、世間から感謝される(地球環境に良い影響を与えたり、会社の存続自体が社会貢献となったりする)くらいの域に達したいです」
未来に向けて、壮大な想いをはせる新井ですが、そんな彼がShoProに入社した当時、若手を含めた担当役員との飲み会でよく“夢”を語っていたといいます。
新井 「これからの事業展開について、いろいろなアイデアを語り合いました。 ShoProで映画をつくりたい、海外展開をしたい、日本一のイベントをやりたい、売り上げを 10倍にしたい、などなど……」
「酒の席での言いたい放題だった」と振り返る新井ですが、これらのアイデアはすべて、10年後に達成されたのです。
新井 「人間は、自分が想像できることを実現できる生き物だと聞いたことがあります。今日のような航空ネットワークができたのも、自分が鳥のように空を飛び回る姿を想像したからこそ、と言われていますよね。
私が入社した平成元年、 ShoProは英語教室『小学館ホームパル』の会社でした。売上も利益もすべて教室事業に依存しており、制作事業部(今のメディア部門)は社内でも小規模部門でした。
そこから今のように成長できた過程には、もちろんいろいろな努力やチャンス、社会の変化があったことは間違いありません。しかしその原点には夢を見ること、自分たちの未来を想像することがあったはずです」
平成から令和に代わって、30年前とは何もかも変わっています。しかしそんな時代の変化の中でも、新井は自分たちの未来を想像し、それに向かって歩みを進めることは、いつの時代でも可能だと信じています。
ShoProで活躍する社員一人ひとりに、通常業務をこなすこと以上に、夢を語ってもらいたい──そんな願いを携えて、新井はこれからも仕事と向き合い続けていきます。
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