子どもを楽しませるために……テレビっ子が好きの先にある「自分の使命」に気づくまで | キャリコネニュース
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子どもを楽しませるために……テレビっ子が好きの先にある「自分の使命」に気づくまで

▲ADとして料理番組を担当していたころ

▲ADとして料理番組を担当していたころ

小学館集英社プロダクション(以下、ShoPro)において、イベント制作を行うプロモート事業部の課長として活躍する佐藤 麻夕美。映像制作の現場が大好きだった彼女が、どのようにアシスタントディレクター(以下、AD)からプロデューサーまで上り詰め、また映像からイベント制作の課長への転身を遂げたのかご紹介します。【talentbookで読む】

「子どもを楽しませる」のが私の使命、テレビっ子が気づいた番組制作の意味

私、子どものころはテレビっ子だったんですよ。見ていたドラマに登場した部屋のデザインから、インテリアコーディネーターに憧れを抱き、美大に進学して空間演出デザインを学びました。

しかし、就職氷河期真っただ中だったので、就職せずに実家が営む美容院を手伝い、悶々としていて。そんなある日、テレビ番組ADの求人を見つけ、勢いに任せて飛び込んだんです。最初に担当したのは料理番組で、日々忙しくも、楽しく仕事をしていました。

でも次に担当したファッション関係の番組は、それとはまったく様子が異なり、挫折を味わったんです。仕事がうまくいかず、追い詰められて、大きな声では言えませんが、2日間無断欠勤し、自宅で爆睡したこともありました。

番組の納品前だったのでディレクターやプロデューサーにフォローいただき、事なきを得たのですが、先輩に諭されて出社し謝罪して回りました。そのときの方々にはあらためて謝罪したいですが、あの欠勤後、仕事から逃げずに向き合ったから、今があるのかなぁと思っています。

その後は派遣社員として、1年くらいのスパンでいろいろな番組を担当する働き方にシフトしました。

そんなときに、 お世話になっているプロデューサーに、「『おはスタ』という子ども向けバラエティー番組のADを募集してるんだけど、やらない?」と誘われたんです。それがShoProとの出会いでした。

1年くらい「おはスタ」(※1)のADをやり、そろそろ別の番組を担当するのかなと思っていたところ、現ShoProの取締役に「うちの会社でやらない?」というお誘いをいただき、今度は直接会社と業務委託の形で、同じく子ども向け番組の「のりスタ」(※2)のアシスタントプロデューサーになりました。

これまでずっとドキュメンタリーなどの大人向け番組を制作してきた私にとって、子ども向け番組というのは新鮮さと同時に、どこか物足りなさを感じるものでした。

ド派手な演出をするバラエティ番組制作を担当している友人を見ると、うらやましく思うときもありました。でもそんな彼女に、「それって運命なんじゃないの」と言われたんです。

確かに、番組の企画について朝から晩まで考え続けても、ちっとも苦痛ではありませんでした。今だって家に帰ってリビングでくつろいでいても、「あ、あそこの扉の隙間から、ちくわが見えたらおもしろいな」なんてひとりでニヤけることもあります。

大人になった今でもおもしろいと感じることって、子どものときと変わらないんです(笑)。子どもを楽しませる仕事とご縁があって、仕事で自分も楽しめる。それなら、子どもを楽しませることが自分の使命なのかな、と感じるようになりました。ちょっと大げさですが(笑)。

マルチ展開──女児マーケットに旋風を起こしたアニメの制作秘話

▲TV企画事業部(現クロスメディア事業部)のころ

▲TV企画事業部(現クロスメディア事業部)のころ

「のりスタ」担当になってアニメ制作もするようになりました。それから数年後、初めて担当したフルアニメーションが、私の現場人生で一番印象深いものになります。アイドルアニメの先駆け「きらりん☆レボリューション」です。

これは3DCGでのアニメーションやアーケードゲームの導入など、当時の画期的な要素を取り入れ、のちに女児マーケットにくさびを打ち込んだ存在となったと自負しています。

何より、現実のアイドルを声優として起用し、高いシンクロ率でオープニングに登場させたことや、キャラクター名で実際にアイドル活動するというのは業界初の試みで、いわゆる女児向け「2.5次元」の先駆けでもありました。

前任のプロデューサーが生み出した当時例を見ない特徴を引継ぎながら、新たな魅力を生み出すことが求められたのは、かなりのプレッシャーでした。

視聴者の心をつかむためにさまざまな仕掛けを提案したのですが、力が及ばないこともありました。

そこからより心血を注ぎ、とくにオープニング(以下、OP)曲・衣装について試行錯誤しました。OP曲中に衣装を早着替えさせるアイデアは、視聴者の子どもたちからも大反響を呼び、とても嬉しかったですね。そのおかげかアニメ3期ではプロデューサーも担当させていただきました。

といっても、作品としても私個人としても初めて経験することだらけ。アイドルがキャラクターの声優として行ったライブは、衣装から会場手配まで手掛けたので、初めのころは失敗も多くありました。

でも回数を重ねるうち、できなかったことが少しずつできるようになっていき、子どもたち2000人の前で無事ファイナルコンサートまで迎えられました。そこで感じた会場の一体感は今でも忘れられません。

子どもたちの反応を直接見たときに、なんとも言えない達成感が胸いっぱいに広がったのを覚えています。そのあとはプロデューサーとしていろいろな番組を担当させていただき、マネジメントを担当する管理職にもなり、このまま映像制作を続けていくのだと思っていました……。

そんな矢先に、イベントを企画制作・運営するプロモート事業部の課長として異動が決まったんです。

「この人、自分がいないとダメだな」──持ちつ持たれつのマネジメント

▲現在のプロモート事業部3課の部下と

▲現在のプロモート事業部3課の部下と

それまで私は映像制作をずっとやってきたので、異動当初は映像制作をできない現実を受け止められず、転職も考えました。

でも、お世話になったプロデューサーやかつての仲間に映像制作ができない愚痴や相談を持ちかけたときに、「気持ちはわかるけど、テレビという媒体を介さないで、直接人と触れ合えるのってすごいことだよね」と言われたんです。

その言葉を聞いてハッと目が覚めました。テレビという媒体は圧倒的な発信力を持つけれど、すでにSNSなどネット上の別メディアも力を持ってきている。一方「イベント」は「アナログ」的で、実際に人と触れ合うという点では今も昔も変わりません。これはまだまだ、エンタメとしていろいろ試すチャンスがあるんじゃないか?という想いに至ったとき、おもしろみを感じました。

もうひとつ、心境が大きく変わった要因は、新しい場所で私を課長として迎えてくれた課のメンバーでした。現場の人間というより、マネジメントする立場を期待されたので、未練が断ち切れましたね。

しかし、初めはメンバーとの接し方に悩みました。メンバーはイベントの実務経験がないまま異動してきた私を、マネジメントを行う中間管理職として迎えてくれる半面、最終的に大事なことは相談してくれない雰囲気があったんです。

イベントを運営する上では、安全に運営することが最優先課題であり最重要課題ですが、私はとにかくおもしろいこともしたい──そこに部下とのギャップがあったんだと思います。まずは安全な運営をした上で、どうやっておもしろいものを一緒につくれるか、どうすれば部下に信用してもらえるか、いろいろ考えました。

でも、結局は悩み続けられるタイプでもないので、「意見がぶつかったときは、素直に意見交換をして人間的な部分でわかり合う」ことを意識したんです。

私は上司として、部下にフォローしてもらいながら仕事をする人間なので、わからないことは「どうしたらいい?」とメンバーを頼ります。その分部下が苦しいときは私も全力で彼らをフォローするよう努力してるつもりです。

「この人、結局自分がいないとダメだな」って思われ、根本的な部分で部下を支えられるような、愛される上司になりたいって思いますね。 これ、部下に聞かれたらツッコまれそうですが(笑)。

地に足をつけた今だからこそ感じる、土台をつくる大切さ

▲2020年現在の佐藤麻夕美

▲2020年現在の佐藤麻夕美

プロモート事業部のうち、私のいる3課では玩具メーカーのPRイベントや、月刊少女漫画雑誌「ちゃお」のイベント、漫画家先生の展覧会を担当しています。

これから挑戦してきたいのは、新たな関係性づくりですね。ShoProは、とくにメディア事業に関しては、今までの先輩方がつくり上げた実績によって関係性が成り立っている部分もあると思うんですよ。

そして自分もまた、後輩たちに実績として何か残しておきたい。そのひとつとして、メンバーには取引先と良い関係性を築くことの大切さは伝えているつもりです。

社外の経験豊富な諸先輩方と時間を共にするのは、実はとても貴重なことなんじゃないかと思うんです。メンバーが望む限り交流の場をつくり、社外の関係をつなぐことも意識しています。

そして、メンバーには、この先もサラリーマンとして生きるなら、決定権がある立場になってほしいと思っています。自分がおもしろいと思ったことや、やりたいことが実行できる立場になれるように。頑張っている身内にその利益を最大限に享受してほしいと思うのは、私のあり余る母性によるものでしょうか(笑)。

私はShoProに入って、部署が変わって環境が変化しても、現状を常にポジティブにとらえられるようになりました。なぜなら、部署によって仕事はまったく違うけれど、どこもそれぞれの方法で、子どもたちを楽しませることにつながっているからです。

専門性を持ったさまざまな事業部が一丸となって、子どもたちが最高に楽しめるコンテンツを提供できる会社がShoProという会社です。

最後に私にとってShoProは、地に足を付けさせてくれた会社でした。例えるなら、「朝ドラ」のようなものでしょうか。楽しいこと、苦しいこともある中で、徐々に考え方が変わったり、できることも増えたり……最後には、何も考えず飛び込んだときには想像もできなかった姿で、地に足を付けて生きていく。

ShoProでのこれまでを振り返ると、仲間や先輩と過ごす中で、それまで培ったスキルに加えて、社会人としての基礎やビジネス感覚を身に付けられるようになったと思うんです。

知見を深め、成長しながらいろんな提案ができるShoProで、これからも子どもたちが、安心して楽しめるイベントの企画制作、運営に取り組み、チャレンジしながら、最後まで走り続けます!

※1 1997年にスタートしたテレビ東京系列の、毎週月曜~金曜7:05~7:30放送中の子ども向け情報番組。

※2 2000年から2015年まで、テレビ東京系列で毎週水曜7:30~8:30に放送されていた子ども向け番組シリーズ。

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