キャリアも家族も大切にしたい。システムエンジニアが設計した「自らの働き方」
自らの「働き方改革」の必要性を感じ、大手企業から“エヌアセットひとり目のシステムエンジニア”へ転身した中村 吉史。入社から約4年が経った今、社内の基幹システムや社外向けサービスの開発は著しい進化を遂げ、機能向上を実現しました。システムエンジニアとして、2児のパパとして。中村が見据える未来を語ります。【talentbookで読む】
子どものころからエンジニア気質。可能性を広げつつも「好き」を仕事に
中村 「以前、妻から私の父親に小さいころの様子を聞かれた際、『お前、俺のワープロを壊したことがあったよな』という話題になり、改めて『確かに、小さいころからおもちゃや機械類をドライバーで分解するのが好きだったなあ』と思い出しまして(笑)」
製品の分解や解析を行い、動作原理や設計、構造、構成要素などを明らかにするリバースエンジニアリング。小学生時代にはそんな専門用語など知る由もありませんでしたが、中村は大人顔負けの実践を繰り返し行っていました。そのエンジニア魂は中学・高校へ進んでも変わらず持ち続けていましたが、大学はあえて理系の学科へは進みませんでした。
中村「職業の選択肢を狭めたくなくて、あえてどんな仕事にも生かせる経営学を学ぶことにしたんです。大学では経営や簿記を勉強し、趣味としてIT系の技術を身につける。そのほか飲食店やコンビニでアルバイトをするなど、気の赴くままに活動の幅を広げていましたね」
そうして迎えた就職活動。中村は「好きを仕事にする」、つまり、趣味であるIT技術に従事する道を選びました。
中村 「新卒で入社したのは、大手メーカー傘下のシステムインテグレーター。経営学部出身のエンジニアという経歴から、配属されたのは会計システムの開発を担う部署でした。エンジニアリングは趣味だったとはいえ、ある程度のレベルには達していたので、研修を経てすぐに実務に入ることができたのはありがたかったです。また、大学で勉強した知識をダイレクトに業務に生かせたのも幸運でした。一つひとつの作業にやりがいをもって取り組めました」
6年間勤務したこの会社で、社会人としての基礎、そしてシステムエンジニアとしての技量を身につけた中村。とくに、いちエンジニアとして「顧客にヒアリングをする」、「要望に沿ったシステム提案・開発をする」「リリース後の運用サポートをする」という一連の業務に携わったことで、全体最適の視点を養えたのです。
その後、大手Webメディア会社に転職した中村。基幹システム以外にも、社内システムの開発や他部署のエンジニアへの技術支援、と任された領域は大きく、システムエンジニアとしての技量をさらに高めていきました。
「子育てに参加したい」働き方を変えるきっかけは、第一子の誕生だった
ファーストキャリアで多くを学んだ中村。その後、大手Webメディア会社に転職することに。そして入社してすぐ、社内向けBIシステムの開発を任されます。BIシステムは「社内システムや各種Webメディアから抽出したデータの加工・集計」を行い、経営計画や企業戦略を立てる際、その資料づくりに活用するシステム。社内外に大きな影響を与える案件でした。
中村「その会社は、採用活動を目的としたプラットフォーム運営が主軸の事業。各企業ページのPV数やUU数などのデータ類は、社内のみならず顧客への大切な報告資料であり、営業ツールでもありました。一方で当時は、営業担当者のような非エンジニアの人たちが、必要なデータを手軽に取り出せるシステムが存在していなかったんです」
中村がこの開発で特に注力したポイントは操作のしやすさ、そして加工データ、レポートの見やすさ。ユーザーとなる社員に徹底したヒアリングを行い、ニーズに近づけながら構築。システムをリリースした後も、引き続き各所の要望に耳を傾け、改善を重ねていきました。
この案件以降も基幹システムだけでなく、社内システムの開発や他部署のエンジニアへの技術支援と、幅広い業務を担当。「システムで社内環境をもっとよくしていきたい」という気持ちが存分に満たされる職場で、充実した毎日を送っていた中村。しかし、入社から1年半が経ったころ、転機が訪れます。
中村 「第一子の妊娠がわかったと同時に、地方転勤の内示が出て。そのときにまず頭に浮かんだのが『子育てに関わる時間がほしい』ということでした。そこで初めて、自分自身の働き方について見直そう、という考えに至ったんです。1社目、2社目とずっと激務ではあったし、そのころはまだ『働き方改革』という言葉は世に出ておらず。会社側を動かすという発想は皆無でした」
──ならば自分で動くしかない。
中村は、再び転職活動を始めます。「自宅から比較的近い場所で、ある程度の裁量権を持って仕事に取り組める環境」が2度目の転職活動の軸になりました。
転職サイトで条件に合った企業はないかと検索する日々。その中でひときわ目を引いたのが、住まいと同じ川崎市内にある不動産会社、エヌアセットだったのです。
文字通り、ライフもワークも充実。自らの手で改革した働き方
2016年1月。ひとり目のシステムエンジニアとして当社にジョインした中村が、まず着手したのは「稼働しているシステムやWebサイトの開発経緯を探る」ことでした。
中村 「基幹システムは人事総務責任者、Webサイトは広報担当者、という風に担当が振り分けられていて、それぞれが思い思いの形に作業をしている状態でした。すでに創業から8年が経過しており、かなりつくりこまれていたため、追跡が大変で。つくられた経緯がわからないと、改善もできないですからね。まさに、子どもの頃夢中になっていたリバースエンジニアリングのような業務です」
未だ明かされない部分もあるという、追跡作業。そうした根っこの部分を確認しながら、各システムやWebサイトの改善、新しい社内システムの開発、パソコンの初期設定、操作方法に関する社員からの問い合わせ対応に至るまで、幅広い業務を遂行してきました。そんな中村は2020年現在、仕事に対するやりがいについてこう話します。
中村「普段から『業務上の無駄をなくす』ことを目指して、日々取り組んでいるので、社員から直接『あのシステムが改善されたから、仕事が楽になった』と言われると、かなりモチベーションが上がりますね。先日は手作業で作成していた集計作業をシステム化し、月に2回自動で社内共有できるようにしたんですが、各所から喜びの声が届きました」
目に見えて日に日に改善されていく社内システム。入社してからの4年間を「目の前の作業を最優先にしてきた」と振り返る中村の働き方は、実際どのように変わったのでしょうか。
中村「業務内容、時間配分など、裁量権を持ちながら働かせてもらっているので、業務上では比較的やりたいことを実現できています。それでいて家で過ごす、子どもに接する時間は圧倒的に増えました。妻に用事があるときには、保育園の迎えに行くこともできています。かつて求めていた理想の働き方との乖離は、ほとんどないですね」
求めているのは、スキルも視点も同等の同士。社内の声にもっと耳を傾けたい
以前に比べてプライベートの時間が確保でき、セミナーへの参加やブログ発信、かつての同僚などから最新技術の学びを深めているという中村。その一方で、実務では人員不足が原因でかなえられていないことは多々あると言います。
中村 「現段階で、自分がやりたいことの3割程度しか達成できていないように思います。『こうすればもっと効率化できるのでは?』という具体案はいくつも浮かぶものの、日々の業務に忙殺され、結局手がつけられないまま1年が過ぎてしまう──そんなことも何度かありました。
当然、新しいシステムの導入は予算や人手もそれなりにかかるので、中小企業である我々の選択肢はある程度限られてしまうのは確か。でも解決策は、必ずしもお金がかかることだけではありません。社員の要望をヒアリングし、“交通整理”するだけで、解決への道が拓けることもたくさんあるんです。でも、今はその時間が取れないのが課題だな、と」
中村の言う“交通整理”とは、担当業務もITリテラシーもさまざまな社員の話をしっかりと聞き、一人ひとりが抱える根本的な問題がどこにあるのかを探り当て、棚卸しをしながら適切な改善策を一緒になって考えること。そのための能力の源泉は「人への興味」だと、彼は語ります。
中村 「経験というより人への興味が、“交通整理”の要になっているのかもしれないと思うときが多々あります。大げさに言うと『この人、今一体何を考えているんだろう』ということが常に頭にあって。だから、流れを汲みながら要望を聞くことが得意なんじゃないか、と」
常に人へ寄り添うエンジニアであり続けている中村。手を動かす部下ではなく、スキル・視点を同じくする“同士”と働きたいと切実に願っています。
中村「やりたいことは本当にたくさんあるんです。それは会社のためでもありますし、自分のキャリア構築のためでもある。たとえばシステムに長く関わってきた人間として、Web技術の分野にはどこか憧れみたいなものがあって、独学を続けています。自社サイトに携われる環境であることによって、その学びが実践へとつなげられる。エンジニアにとって非常に魅力的な職場だと感じています」
自身の働き方を自ら設計し、実装させた中村。社員、家族、そして自分自身。3つをバランスよく大切にする姿勢が、ワークライフバランスを実現できた一番の理由かもしれません。
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