ソーシャルビジネスを通じて人を助けたい──社会問題の解決に挑む若手社員の想い
青年時代、さまざまな体験を経て「人を助けたい」という強い想いを抱いた八鍬 慶行。彼はビジネスを通じて障がい者支援を行うことを志し、大学卒業後、ゼネラルパートナーズ(以下、GP)に入社しました。新規事業開発を担当するソーシャルビジネスデザイン本部のマネージャーとして、社会問題の解決にかける想いについて語ります。【talentbookで読む】
「人を助けたい」という想いからGPへ
私は2020年4月をもって4年間在籍したGPを退社することになりました。2016年に新卒で入社し、社会人としての基礎を教えてもらったGPにはとても感謝しています。
ここでは、実際に働いて感じたGPの魅力や想いを残しておきたいと思います。
私がソーシャルビジネスに関心を持ったのは、子どものころの体験がきっかけでした。当時、父は職場のハードワークやパワハラでうつ病を発症し、心身ともに疲弊してしまいました。なんとか仕事には行っていたものの、帰宅した後や休日は疲れ果てて動けない状態を目の当たりにして「とてもつらそうだな」と感じました。
しかし、当時は今よりも世の中のメンタルヘルスへの理解が薄く、メンタルクリニックに通っていることは親族にも職場にも隠さざるを得ませんでした。この経験が「差別への違和感」や「人を助けたい」という想いを育てることになりました。この「想い」がGP、そして進藤社長と出会わせてくれたのだと思います。
父は身体的にも精神的にもとてもつらい中、大学まで進学させてくれました。大学では、元南アフリカ共和国大統領のネルソン・マンデラ氏の伝記に感動した経験から、発展途上国の支援や現地のビジネス(BOPビジネス)を学んでおり、フィリピンのスモーキーマウンテンを訪問するなどの活動を行いました。しかし、ふと考えたら、足元の日本の中に多くの社会問題を抱えていることに気づき、「これを解決しなければいけない!」と考えるようになったのです。
その問題を解決するためにどうすればいいかと考えた時、「学校の中で教わることはかなり影響がある」と感じていたため、教師の道を選ぶことに決めました。しかし、この選択の裏には「自分なら学校をより良くできる!面白くできる!」という過信があったため、今ではいろいろ反省しています。(笑)このまま教師になっていたらとてもひどい教師になっていたのではないでしょうか……。
教師の道を選んだ後、教育先進国であるオランダに自分で連絡を取り見学に行きました。そこで私は、「一クラス20人のうち、5人がなんらかの支援の必要がある子どもたち」という障がい児もそうでない子も能力に応じて等しく扱われる「インクルーシブ教育」を目の当たりにして衝撃を受けました。
そして、「これほど異なる子ども同士で生活し学んでいくと、人の価値観や意思はどんな感じに育っていくのだろう」という興味を持つと同時に、今の日本の教育はどれほど画一的なのかに気づきました。
この衝撃から、私は「インクルーシブ教育を日本でも推進したい」と考えました。しかし、そのためには教師になって現場から改革するのでは遅すぎるため、従来の福祉に比べてスピーディーかつ独自に展開できる「ソーシャル・ビジネス」に可能性を感じました。
(ソーシャル・ビジネスとは「国・行政に頼らず、さまざまな社会問題を解決するためのビジネスを展開し、その収益で経営を行う事業」のこと)
帰国後、ソーシャルビジネス系のスキルや経験を学べるところがないか、と調べたときにGPを知りました。
GPは進藤 均が2003年に設立した、マイノリティが抱える不自由・社会問題をソーシャルビジネスで解決するベンチャー企業です。
GPを立ち上げた当初は進藤に対して「障がい者を相手にビジネスを行うことは非常識だ」「ビジネスとして成り立たない」という批判も強かったのですが、一心不乱に事業を展開し、今では200人以上の社員がいる企業へと成長させました。このことを知り、私は進藤のもとで働きたいとエントリーし、採用されました。
進藤から内定と伝えられる際、実は皇居の前を二人で散歩をしながら「一緒に障害者の差別偏見を解決しよう。絶対にできる」と言っていただき、胸が熱くなったことを今でも覚えています。
「とことん寄り添う」という態度
1年目に配属されたのは法人部門の営業は、先輩から顧客を引継ぎましたが、営業成績がまったく伸びずにボロボロでした。しかし、その一年で大きく鍛えられ、社会人としての礎を築くことができたと感じています。
GPの仕事で大きな転機になったのは、2年目にあるIT企業が初めて障がい者を採用するお手伝いをしたことでした。このIT企業は高度な技能を持つSE(システムエンジニア)を募集していましたのですが、希望する人材を紹介するためには数カ月、もしくはそれ以上お待ちいただく必要がありました。
そこで、丹念にヒアリングを行った結果、その代わりに視覚障がいのあるあん摩師を採用してマッサージルームをつくってはどうか?と提案させていただきました。この提案は企業様からは「とてもおもしろい案だ」と評価していただき、視覚に障がいがある方の採用も早期に決定することができました。
人を助けるためには、時にはまったく別な角度からチャンスを捉えて提案する必要があります。このような思い切った提案を切り出すとき「怖い」「恥ずかしい」と感じてためらうこともがあると思います。しかし、私には、入社前にしたある経験からそのような想いを抱くことがなくなったんです。
GPにエントリーするころ、「有名な大手商社に入社するほうがモテるのではないか、給料もいいし、安定してるし、どうしよう」という迷いもありました(笑)。しかし、その矢先に肺に難病が見つかり、手術のために3カ月ほど入院することになったのです。
手術は成功し一命はとりとめましたが、この入院生活の中で出会った余命わずかという方々に逆に励まされたことで「どうにもならないことにも素直に向き合おう」という覚悟が決まりました。
その結果、「モテる・安定している・名誉がある 」というような即物的な観点ではなく、本質的に人を助けるためにはどうしたらいいかという観点に一度自分を置いて、とことん考えて行動するようになりました。ですから、正しいと思うことに臆することは今はまったくありません。むしろ新卒から社会人になり4年、今はもう大人。大人こそ理想を語って行動していかないといけないと思っています。
情熱とアイデアを持った社会起業家の増加を目指す会社
法人営業を経て、2年前にソーシャルビジネスデザイン(以下SBD)本部に異動しました。SBDとは、GP社員なら誰でもエントリー可能な、仕事や生活の中で気がついた社会問題をビジネスで解決する「ソーシャルビジネス」の創業を目指す制度です。
エントリー後はすぐ事業化に向けたサポートを受けることができ、基準を満たした場合は、提案者本人が事業責任者としてソーシャル・ビジネスを立ち上げられます。これまで、「病児・障がい児のアピアランスケアが当たり前になる社会をつくりたい」「シングルマザーが『わたしらしく』生きられる社会をつくりたい」「LGBTでも希望を持つことができるような情報発信を行いたい」などの熱い想いのある起案が行われてきました。このような起案を見るにつけて、GPのすごみを感じることができました。
また、GPでは、社会問題をビジネスで解決したいという情熱とアイデアを持った社会起業家の増加を目指す「アントレプレナー採用」という制度があります。アントレプレナー採用は、社外の方からの公募を受付け、代表取締役社長の進藤と話し合い、社会起業のアイデアに対してGPがどのように関わり、実際に事業を共創できるかを検討する機会を設けるものです。
事業案を描ききれていない場合でも、15年以上にわたってソーシャルビジネスに携わってきたGPのノウハウをもとに、事業実現に向けた相談を行うこともできます。
SBD本部は、これらの制度にエントリーした社員や外部の社会起業家の投資・事業化の審査などを行い、事業化に向けたサポートを行うチーム。これまで、病気や障がいのある子どもたちのためのショッピングモール、「チャーミングケアモール」や、シングルマザー支援を行う「株式会社エスママ」の設立に携わることができました。
このような事業を通じて、本当に社会問題の複雑さ・深さを知り、貴重な経験を何度もさせていただきました。また、マネジメント能力も大きく向上したと感じています。
この部署は進藤の直属の組織で、2年間に渡ってみっちりと進藤と師弟関係をつくることができて、とても幸せでした。GPを退社しても、SBDの仕事にも何からかの形で関わり、師弟関係はこれからも続けていく予定です。
好奇心と感受性を大事に
私はこの4月で退社しますが、今後も私は一貫して「ビジネスを通じて人の可能性を広げる」ことに携わり、顧客だけではなく社会全体を見渡せる力を高めていきます。
GPに入ってたった4年ですが、この間にも世の中は急激に変わってきています。とくに情報技術の発展は著しく、インターネットを通じてできることは日々増えています。クラウドファンディングが一般的になり、個人でお金を集めるといったさまざまな活動を行うことなどが以前にまして簡単になりましたし、クラウドソーシングなどで仕事のあり方自体が大きく変化しています。
これからは「個人の力」を発揮する機会が大幅に増え、障がい者・健常者に関係なく一人ひとりの生き方に柔軟性が生まれていくことでしょう。
このような社会の中で一番大事なことは、好奇心と感受性を持ってあらゆることにバイタリティを持ってチャレンジすることではないでしょうか。
以前、私の恩師が「歴史の進歩というのは『自己犠牲の連鎖を食い止めること』で進んできた」と話していました。奴隷制が廃止されたのも、民主主義が発展したのも、女性の権利擁立の声が高まったのも、すべて「誰かが我慢すること」を良しとしない人間の本能のようなものが働いたおかげです。どんどん障がい者も「我慢」が減って、可能性が切り開く時代が来ると信じています。その最前線にGPがあると信じています。
最後に。私は子どものころ頃からサーフィンをしているのですが、同じ波は二度と来ません。皆さんも一つひとつの波を見極めて、チャンスを感じたらちゅうちょなく波に乗ってください。そして、自分の可能性をどんどん広めていってください!
株式会社ゼネラルパートナーズ
この会社にアクションする