常に自分の中の“解答”を求めて──挑戦を続ける58歳での転職
2020年現在日本データスキルの経営企画本部と、総務部の仕事に従事する鈴木 伸幸。彼は常に挑戦を続け、環境を変えながらキャリアを歩み、現在の会社と出会ったのだと語ります。そんな鈴木が大切にしている価値観と、これまでの経験から感じたこととは。【talentbookで読む】
トライ&エラーが成長を生む──鈴木の原点
2016年8月に58歳で日本データスキルに入社し、社長の命により経営企画本部で賃金制度の改定に着手しました。当社のような人材が主な経営資源の企業にとって重要な経営戦略である賃金制度の再設計であり、極めてやりがいのある職務です。
私は後述の通り、まずIT企業でソフトウェア開発やシステム開発を経験し、次に就職支援企業で就職コンサルタントを経験してきました。この間にさまざまなことに挑戦し、多くの失敗も経験しながら一人前に仕事ができるビジネスマンに成長できたと思っています。今の仕事はその集大成的な位置付けなのです。
就職してからずっと新しいことにチャレンジを続けてきました。その分たくさんの失敗を経験してきましたが、持ち前の好奇心の強さのおかげで意欲を失わずに前進し続けられたと思います。IT時代、就職支援時代、そして現在とそれまで身に着けたスキルが大いに役に立ち、自分の挑戦に有用で強力な武器となりました。
また、その武器を駆使して目の前に現れた新しい課題にその都度向き合ってきた結果、さまざまなスキルが身に付き、さらに次の課題解決の糧になる──その繰り返しで今があります。
そんな私の原点は、学生時代です。1978年、考えることが好きだった私は地元の大学の理学部を選び4年生で量子分光学を専攻。真空中の分子にレーザーを当てて分子構造を探る理論の研究と実験の中で、自分は「考えてモノをつくり出す」ことに向いていることを発見しました。
そして、実験データの収集と分析に当時使われ始めたマイコンを見て、「考えて」ものをつくり、「結果がすぐ」に出るコンピューターは、自分の性向によく合っていると感じ、大手電機メーカー系列のIT企業に就職しました。
「質にこだわる」IT企業時代。ストイックな環境で得たもの
社会人として初めての挑戦は、プログラム開発でした。まずは、大型汎用計算機のデータベースコミュニケーションパッケージの開発に従事。それから約15年後、お客様と向き合うシステムエンジニアに転向しました。これが2度目の挑戦。グループウェアやワークフローのパッケージ、ERPを取扱い、コンサルティングおよびプロジェクトマネージメントを担当しました。
IT企業時代はとにかく高い品質を求められることが多く、大変だったことを覚えています。残業は長時間におよび、ボーナスより毎月の給料の方が高い労働環境でしたが、「考えて」、「結果がすぐ」に出る天職のような仕事で毎日がとても充実していたと思います。一方、要求レベルが極めて高い仕事のため、部下には相応の作業レベルを強いてしまい、たくさんのご苦労をおかけしたと反省しています。
仕事終わりの深夜に先輩とよく飲みにいったのですが、時々ふと思い出すシーンがあります。先輩に悩みを相談したときのことです。とあることで口論になりました。「会社は自分に対して何を期待しているのかわからず、達成感を感じないときがある」と話をしたところ、「お前は期待されないと仕事をしないのか」と怒鳴られたのです。
初めは少しムッとしましたが、ただ同時に合点がいきました。自分の性向をうまく表している言葉だと感じたのです。私は誰かから常に期待されていることで育つ人間なのだと気付きました。自分が期待されることで前進する人間だからこそ、同じように部下にも大きな期待をかけてしまうのだ、と。これまでの人生で時々感じたもやもやした不満が解決したような爽快感がありました。
このように、大変でありながらも得るものの多いIT企業時代ではありましたが、50歳で転職を決めました。人生50年という歌がありますが、ちょうど50歳になって60歳定年後の20年超の第二の人生を考えたときに、60歳で転職するよりも、今転職して他の仕事を身に付けた方がいいのではと考えたからです。
キャリアカウンセラーに転職。そこでもITでの経験が生きる
第二の人生の第一歩というつもりで80歳くらいまで続けられる仕事を探しました。
転職活動を通していろいろと企業を見たのですが、その中でこれだと感じたのは仕事探しのエージェントとして一緒に動いてくれていた就職支援企業。「さまざまな業界を知ることができて、その企業で働く人たちを知ることができる」スタッフの募集がその企業であり、魅力を感じてすぐさまキャリアコンサルタント職に応募しました。50歳は若すぎると始めは不採用でしたが、さらにアタックして採用していただきました。
入社してすぐ、再就職支援を担当しました。3度目の挑戦です。当時リーマンショックで大量に再就職希望者が発生しており、その方々のキャリアコンサルタントを実施しました。ただ、まったく未経験の分野だったのでどうしたらよいか悩みました。それでも「就職支援プロセスを考えて、就職成功事例をつくる」ことを意識して突き進みました。
目標達成のために、これまでの経験とスキルと動員しました。午前は求職者の方とのカウンセリング、午後は求人企業の開拓と応募者の紹介というスケジュールの中、SE時代のコンサルティングの要領を参考に、独自の支援ワークシートの作成を行い、結果として東北地方で80人くらいの就職を支援できたのです。ただ、仕事をすることの意味や目的は人によってずいぶん違っているので、その人に向いている仕事は何なのか、自分の見解とその人のお考えとのギャップに悩む毎日でもありました。
それからおよそ1年後、就職支援にめどがついたところで、官公庁の就職支援事業を受託して設計し、運用する仕事に転向しました。これが4度目の挑戦です。就職に難航している求職者を支援する事業で、代表的なものは生活保護を受給されている方々の就職支援事業です。
ここでも「支援事業運営を考えて、事業成功事例をつくる、自分ならやれる」と挑みました。就職率と定着率の向上を目指して独自の施策を設計しました。ここでも前職での経験が生きます。IT時代に培ったコンサルティングやプロジェクトマネージングのスキルを活用して、市の担当部署のご理解をいただきながら、ケースワーカーの方々に助けられ、何とか目標を達成できました。
仕事をしたくてもうまくいかない方々に親身に向き合うキャリアカウンセラー、短時間でもとにかく雇用してもらえるよう交渉する求人開拓員、これらの方々との共同作業は毎日が新たな発見の連続で刺激的でした。人と向き合う仕事はいくつになっても続けられる職業のひとつと思います。
常に“答え”を探し、前進し続ける
2016年、日本データスキルへ転職しました。80歳を迎えた両親の介護が課題となり、ちょうど携わっていた官公庁事業も一段落がついたため、転職を決意しました。
日本データスキルでの業務はIT企業の人事制度設計、労務管理、人事管理といったこれまでの仕事人生の総決算的な仕事。その業務内容にワクワクしたこと、そして社長が大学の先輩であったという縁もあり、入社しました。
SE時代、就職支援時代とお客様を支援する仕事でしたが、今度は社員を支援する仕事です。つくづく仕事は誰かを支援することなのだ、と痛感します。ただ、人事制度を設計するのは非常に難しい業務ではありました。常に自らを鼓舞しながら業務に当たりました。そのかいあって2020年4月に新人事制度の運用を開始することができました。
就職してからずっと新しいことへのチャレンジの連続で、たくさんの失敗を経験してきましたが、持ち前の好奇心の強さが功を奏して、意欲を失わずに前に進めたと思います。IT時代、就職支援時代、そして現在とそれまで身に着けたスキルが大いに役に立ち、自分の挑戦に有用で強力な武器となりました。
目の前に現れた新しい課題にその都度向き合ってきた結果、様々なスキルが身につき、次の課題の解決の糧になったと思います。
これまで私は、幾度となく挑戦を繰り返して、自分なりに結果を出してきた自負があります。その中で気付いたのは自分の性向を知ることの大切さです。私は「常に考え」「常に何かつくり」「常に自分に期待して」事を進めてきました。考えるのを止め、ものをつくることを止め、自分に期待を持たなくなったら、歩みを止めてしまう人間だと思っているからです。一方、今まで部下に自分の尺度で期待を求めてしまうことが時々ありました。まだまだ自らを律していかなければなりません。
学生の採用活動において、「何を目的にどんな職業に就いたらよいかわからない」という命題を先送りする「モラトリアム」が問題だとしばしば指摘されています。もちろん自分の適性を知ることは大切なことではあります。ただ、それは答えを出すことが大事だということではありませんから、先送り自体は問題とは思いません。大切なのは、その命題の答えを探していることを忘れずに常に探し求めることだと思うのです。
そんな私の今“やりたいこと”は「社員がその能力を最大限に発揮できる会社」をつくることです。それは当社が46年間着々と成長してきた原動力と言える「NDSらしさ」を基盤として、今の社員に脈々と受け継がれてきた仕事文化の継承と正しい発展を手助けすることです。
私は経営企画本部の仕事に加え、総務部も兼任しております。社員の採用から退職までの人事、労務管理を担っており、これらを有機的に組み合わせた人材育成プログラムの設計が可能な立場にあります。この立場を活用して、社員各位の人生の約35年間を占める仕事人生が有意義なものになるよう微力ながら尽力していきたいと考えています。