就活や転職に悩む若い人たちは「やりたいことの捏造」に時間をかけてはいけない
それなのに、私がこれまで多くの人のキャリア相談を受けてきて、一番多い悩みは「自分が何をしたいのか分からない」ということでした。つまり、キャリアを考えるスタート地点でいきなり躓いている人がとても多いということです。これは一体どういうことでしょうか。
結論から申し上げると、あえて断言しますが、若いうち、特に20代から30代前半ぐらいまでなら、明確な「やりたいこと」など別になくてもよいのです。
私がお会いしてきた「良いキャリア」――本人が満足しており、かつ社会の役に立っている仕事や経歴を得た状態、と定義しておきます――を歩んできた人の多くは、最初からやりたくて今の仕事に就いた人は少数派でした。ざっくり言えば、全体の1割ぐらいです。
しかも、たいていは、アート系や技術系、スポーツなど、趣味性や専門性の非常に高い領域の人に限られ、それ以外の多くの方は、最初は偶然得た仕事を「なぜだか分からないけれども、この仕事を任せられたので、とりあえずやってみよう」と考えて始めていた人でした。
たまたま始めたことが「やりたいこと」になっていく
はじめはやりたいことではなかったのに、結果的には良いキャリアになった人に共通するのは、キャリアを考える最初の時点でぼんやり思っていた中途半端な「やりたいこと」に囚われなかったことです。
言い換えると、様々な人から投げかけられる「あなたは何がしたいのですか?」という問いに、本当はやりたいことなど大してないのに、自分に嘘をついて「こういうことがやりたいのだ」と意思を捏造しなかった正直な人たち、と言ってもよいかもしれません。
「今の自分には、明確なやりたいことはない」と開き直れた人たちだけが、目の前に現れた仕事に対して、オープンマインドでポジティブに向き合えたのです。そして、一生懸命やっているうちに成果が出て、褒められたり感謝されたりして、楽しくなってきて、徐々に「たまたま始めたこと」が「やりたいこと」になっていったのです。
一方、たいていの人は周囲からの「何がしたい」という問いに負け、ちょっと目についただけの思いつきの軽い意思に、適当な理由をつけて正当化し、「これこそが自分のやりたいことだ」と思い込もうとしてしまいます。
しかし、そういう根っこの生えていない意思に囚われることなど、害悪でしかありません。というのも、そこで「やりたいこと」になりがちな人気業界や人気企業、人気職種は、誰もが就けるものではないからです。
社会的望ましさに沿って「意思」を捏造するな
社会人経験が浅く、仕事のイメージも狭い若者が、少ない知識を基に「有名企業だから」「カッコよさそうな職種だから」といった思いつきで、とりあえず「この会社に入りたい」「この仕事に就きたい」という動機を抱くことがあっても、仕方のないことではあります。
さらには社会的望ましさに沿って、「人の役に立つ仕事がしたいから」「人とのコミュニケーションが好きだから」「お客様を笑顔にしたいから」といった言葉をそこに添えて、これが自分のしたいことだと正当化する人も多いです。
しかしこの程度の動機は、マスメディアや社会的価値観の影響を受けた多くの人が同じことを考えるので、他人との差別化は難しい。現時点での自分の経験や情報が乏しいために、とりあえず「捏造」されたものだと自覚をしておいた方がよいでしょう。
また、社会に出てみれば分かるように、「良いキャリア」を得るためには、仕事そのものに対する自己の適性があり、粘り強く情熱を注ぎ続ける必要があります。そこにつながるような「やりたいこと」を、若いうちから見抜ける人は稀ではないでしょうか。
ところが、捏造された「やりたいこと」を唯一絶対のように思い込み、「私がやりたいのはこういう仕事です」と主張するうちに、「この仕事に就きさえすれば自分は絶対に輝ける」「これ以外の仕事なんか絶対にやりたくない」と若いうちから頑なになってしまう人がいる。それが皮肉にも、かえって「良いキャリア」から離れる結果になるのです。
なにしろ新卒採用の大企業の合格率は、およそ1%程度。倍率にして100倍です。「売り手市場」と言われる今でも、大企業の求人倍率は1倍を大きく割る「買い手市場」です。つまり、その程度の「やりたいこと」は、やらせてもらえない可能性が高いのです。
「やりたいことのない自由」を謳歌しよう
軽い意思を正当化した人が期待通りの仕事に当たらなかった場合、どういう行動をとるでしょうか。人間は弱いので、仕事で大変なことがあったときに手近な理由へ逃げ込むものです。やりたいことに就けなかった人々は、それを理由に「これは自分のやりたいことではない」と、失わなくてもよいモチベーションを失っていきます。これはもったいない話です。
そのこだわりの意思が本物かどうかを見分けるには、「なぜそう思うようになったか」を自問してみてください。そのとき、自分の「生育史」の中にきっかけや原因などが見つからなければ、それは捏造された「やりたいこと」である可能性が大です。
ただし、いくら「子供の頃からの憧れだった」といっても、程度が低ければ捏造とさほど変わりません。根っこが生えていると評価されるためには、「行動化」のレベルが問われます。「本が大好き」というのであれば、例えば「大学4年間で何十冊を読破した」といった行動の裏付けが必要です。
誰もが思いつくことでしか「やりたいこと」の理由を説明できないのであれば、それは空虚で弱気な気持ちになっている自分が、一般論や社会的望ましさに必死の思いで飛びついただけなのかもしれません。
自分が今考えている「やりたいこと」が、実は捏造されたものであると気づいたら、できるだけ早くそれを捨ててしまって「やりたいことのない自由」を是非謳歌してください。
安易な自己分析に時間を費やすくらいなら、「やりたいことはない」と開き直り、企業研究の時間を十分に取った方がマシです。世の中は人気企業だけで回っているのではありません。自分の好奇心や適性に照らして「この会社のこういうところが面白そう」という部分を探し出し、配属先にこだわりすぎず仕事の面白さを見出すようにしてみましょう。
相談相手には、業界横断的に広く世の中を見ていて、利害関係がなく、ポジショントークをしない社会人が適しています。自分と年齢が近く、価値観が似ている人もいいでしょう。その点で、自分の親や企業の人事担当者、人材ビジネス関係者は、必ずしもお勧めできません。
【筆者プロフィール】曽和利光
組織人事コンサルタント。京都大学教育学部教育心理学科卒。リクルート人事部ゼネラルマネジャーを経てライフネット生命、オープンハウスと一貫として人事畑を進み、2011年に株式会社人材研究所を設立。近著に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『コミュ障のための面接戦略』(星海社新書)。
■株式会社人材研究所ウェブサイト
http://jinzai-kenkyusho.co.jp/