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「マネジメントに興味がない」と言う若い人たちへ――したい時には機会なし

やりたくなくても一度やってみるべし

やりたくなくても一度やってみるべし

最近、人事コンサルティングをしていて、よく出てくる組織課題は「マネジメント人材の不足」です。どこもかしこも「マネジメントができる人材が足りない」と嘆いています。

昔は出世といえば、課長とか部長とか組織長の階段を上がっていくこととほぼイコールでしたが、今はどうも違うようです。若いビジネスパーソンと話をすると、こう言われることが多々あります。

「僕はマネジメントには興味がありません。やりたくないです」

会社は求めているのに、なり手はいない。なぜこのような状況になってしまったのでしょうか。若いビジネスパーソンは「マネジメントやりたくない」というままでよいのでしょうか。今回は、これを考えてみたいと思います。(文:人材研究所代表・曽和利光)

世は「マネジャーよりプレイヤー」

マネジメントをやりたくないという人の多くは、いわゆるスペシャリスト志向です。何か一つの道を極めていくような成長を望んでいます。そして、その道で一流となって世に認められる形での出世を理想としています。

我々おじさんたちは「最近の若者は草食系だからね」とか言って、一見すると今の若者には野心がなくなってしまったかのように捉えられがちですが、私は違うと思います。これが今の世の中での野心なのではないでしょうか。

考えてみれば、プロスポーツの世界ではマネジメントをする監督よりもプレイヤーであるスター選手の方が高給取り。映画監督と主演俳優でも後者の方が高給であることが多いです。

ビジネスで言えば、トップクラスのエンジニアやクリエイター、金融ディーラーやコンサルタントなども似たような感じでしょうか。そういう世界では、プレイヤーではなくマネジャーを目指す方がむしろ消極的と見られることさえあります。

みんなで力を合わせて協調的に仕事をすることが事業の成果につながっていた製造業全盛の昔ならいざ知らず、現代日本においては、ITビジネスや金融、コンサルティング、その他クリエイティブな力を必要とする様々な仕事など、素晴らしい「個」がいるかどうかが事業の成否を分ける時代に突入して久しい。

ですから、多くの若者がプロスポーツ選手のごとく個人で価値を出そうとするプレイヤーの道に身を投じようとするのは、好ましい状況とも言えるかもしれません。

自覚なき「スターへの挑戦」は失敗に終わる

ところが、お分かりの通り、プレイヤーの世界は「裾野は広く、頂上は高い」という激しい競争社会です。一人のスーパースターの影には、スターになれなかった凡庸なプレイヤーたちが累々と存在しています。

そういう世界に勇気を持って飛び込もうとしてくれているのはなんとも頼もしいことではありませんか。しかし問題は、若い皆さんがそのことをちゃんとわかっているかどうかです。

「マネジメントは面倒臭そうだから嫌」
「プレイヤーのまま粛々淡々と日々を過ごしていきたい」

そんな風に消極的に考えた末のプレイヤー志向であったとしたら、とても心配です。価値観自体を否定はしませんが、勝手にそう考えていても、近い将来、おそらくプレイヤーとしての仕事は、今よりもさらに”Winner takes all”(勝者の総取り)の傾向が強くなると予測されるからです。

例えば、リクルートの「スタディサプリ」では、世のトップクラスの講師の授業をいくらでも見ることができます。こんな時代に、ふつうの凡庸な講師はどの程度必要でしょうか。

高給取りの代名詞であった弁護士などの士業においてさえ、一部の国際派やM&Aなどを手がけるトップクラスを除いて、事務的な業務はAIがむしろ代替しやすいために、その価値が劇的に下がると言われています。

ITエンジニアも一部のスターエンジニアと、その他大勢とに分かれ、まさに格差社会化しています。そういうことをわかっているのか、心配です。

マネジメントは「ニーズ過多」の狙い目の仕事

さて、そこで冒頭の話に戻ります。プレイヤーの世界の近未来像を見た上で、それでも皆さんは「プレイヤーがいい」「マネジメントなどやりたくない」と思いますか。

いや、思うのは仕方がありませんが、キャリアの戦略として考えた場合、マネジメントという仕事を真剣に一つの選択肢として考えてみることは、価値がないことでしょうか。

私は、マネジメント忌避時代の今こそ、この仕事を今一度目指してみることは「あり」だと思います。これだけニーズがある一方で、人気がないのですから。

マネジメントとは、要するに「他人に仕事をさせて、その結果も含めて、自分が責任を取って評価を受ける仕事」です。

仕事のしくみを考えて組み立て、部下を支えて結果を出す。確かに簡単なことではありませんが、どの会社だってこういう仕事をする人がいるからこそ、組織が円滑に回り、人材が育ち、より高い目標を達成することが可能になります。

「俺は課長になりたい!」と明確な意思表示をする人は最近ではあまり見かけないため、目立ちますし、喜ばれることでしょう。

成功するキャリアを歩むための一つの王道は「逆張り」、つまり皆が行かないところを選ぶことです。まさに、マネジメントという仕事はそれに当たります。

人は自然と利他的になる時期が来る

もう一つ、マネジメントを目指すべき理由を挙げます。それは、どうせそのうちしたくなってくるからです。無論、生涯一プレイヤーが良いという人も多いとは思います。

しかし、人間の精神的な発達段階の研究によれば(例えば、エリクソンのライフサイクル理論など)、ある程度の年齢を超えると、自分のことばかり考える利己的な時代を過ぎて、徐々に世の中とか、会社全体とか部下や後輩たちとかに対して、何か貢献をすることによって自分の足跡を残したいという考え方になってくるのです。

自分という存在が有限である、人は必ずいつか死ぬと実感したとき、自然と利他的になっていくのです。そういう精神的発達段階を迎えた人にとって、人が成果を出すことや成長できる環境を整えてサポートするマネジメントという仕事はとてもフィットしています。

ところが、会社は自分の精神的発達を待ってはくれません。そんな場合に限って、自分がマネジメントしたくなっても、こういうことになってしまうのです。

「だからあのとき、マネジメントの仕事をやってくれないかと言ったじゃないか。もうあのポストは埋まったから、君にやってもらうことはないよ」

やりたくなくても一度やってみるべし

以上のようなことから、私のお勧めは、いかに向いていないと思っていても、やりたくないとしても、もしもチャンスがあるのであれば、絶対にマネジメント業務はやってみるべきだということです。

一部の超スペシャリストの方々にはもちろんそんなことは言いませんが、どうせ多くの人は、スペシャリスト志向といっても、今の専門領域に一生を捧げたいとまで思っていないわけでしょう。そんな人はおそらく、その専門領域で超トップになることはありません。

その一方で、マネジメントは自分がスペシャリストの天才である必要はなく、凡人であっても自覚と努力と経験の積み重ねで、スペシャリストたちを使いこなすよいマネジャーに成長していける可能性がある仕事なのです。

であれば、いつかはやりたくなるかもしれない、しかも、多くの企業が欲しくて欲しくてたまらない「マネジメントができる人材」とやらに、なってみる努力をしてみるのは、一つのチャレンジとしてよいのではないかと思うのです。ぜひご検討ください。

【筆者プロフィール】曽和利光
組織人事コンサルタント。京都大学教育学部教育心理学科卒。リクルート人事部ゼネラルマネジャーを経てライフネット生命、オープンハウスと一貫として人事畑を進み、2011年に株式会社人材研究所を設立。近著に『人事と採用のセオリー』(ソシム)、『コミュ障のための面接戦略』(星海社新書)。

■株式会社人材研究所ウェブサイト
http://jinzai-kenkyusho.co.jp/

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