【追悼・水木しげる御大】妖怪は確かに存在する! 河川敷で遭遇した「かまいたち」の話
僕は1984年生まれ。出生当時は既に水木さんは大御所だった。近年になって取り上げられるようになった、赤貧時代の水木さんのことはドラマや著書を通してしか知らない。
80年代には「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ3期版が放送され、僕は毎週これを家の柱の影に隠れながら観ていた。エンディングの最後に、画面の四隅から妖怪が飛び出してきて脅かすんだけど、あれがもう分かっていても怖かった!
水木さんの妖怪画を基に、子供にも分かりやすい説明文を載せた妖怪図鑑も持っていた。精緻なイラストの数々は、江戸時代の画家、鳥山石燕のそれをブラッシュアップしてよりリアリティを増したものであったり、バックベアードのような水木さんの創作妖怪であっても、実在するのではないかという説得力があった。
当時は子供向けの雑誌にも、水木さんの短編が掲載されていたものだ。考えてみれば、僕の幼少時代は水木さんの作品に囲まれていたと言っても良いかもしれない。
大物漫画家にもあった苦労時代に共感
感受性の豊かな子供時代のこと。妖怪と言う、僕らの見えないところで蠢いていそうな存在は、たまらなく魅力的に感じられていた。
「ゲゲゲの女房」では、水木さんがそうした妖怪を活躍させる漫画を生み出すまでの苦労が描かれている。時にはスランプに陥ったり、原稿料をもらえないという危機も描写された。僕なんかペーペーの物書きだけど、初期の貧乏をしている時期の描写については、思わず「あるある」と感情移入する場面もあった。水木さんのような大物漫画家にもそういう時期があったのか、と驚いたものだ。
そういう苦労人が次々に誕生させる妖怪のほとんどは、各地の伝承に基づいてデザインの肉付けが行われている。つまり、水木さんのセンスで造形される部分はあれど、大半の妖怪は言い伝えにしっかりと沿う姿をしているということだ。限りなく伝承に近い姿をする異形。まさに、水木さんのペンを通じて自分たちの存在をアピールするかのようだ。
怪奇!つむじ風が通ったあとに脚に大きな傷が
さて、突然おかしなことを書くが、僕は以前妖怪を見たことがある。それも二度。一度目は、恐らく4、5歳ぐらいの頃だ。当時僕は原因不明の就寝中の耳鳴りに悩まされていて、ひっきりなしに病院に行っていた。
ちょうどその時期、ある晩、祖母と2人で寝ていると、障子で仕切られた炊事場が突然明るくなり、それで目が覚めた。するといつものように耳鳴りが始まった。さらには障子越しに、何か奇妙な人影が騒ぎ立てるかのように動き回るのが見えた。
祖母をゆすり起こそうとするが、一向に起きない。人影を凝視していると、どうやら太鼓を打ち鳴らしているようだ。そこではたと気が付いた。耳鳴りの音が、太鼓の音色と瓜二つだったということに。
後年、「家鳴り」という妖怪の話を耳にしたとき、この当時の記憶が甦った。家鳴りとはちょっと毛色が異なるが、似たような妖怪だったのかもしれない。
二度目は高校生の頃だ。親友といっしょに部活を終えて河川敷を歩いていたときのこと。川辺まで降りてみようとすると、いつの間にか目の前に綺麗な形の小さなつむじ風が発生していた。
「珍しいな」なんて言いながらぼんやり眺めていると、つむじ風は茂みの中に突っ込んで消えた。と思ったら、そこからのそのそとイタチのような動物が這い出てきた。イタチはしばらくその辺をうろついた後、また茂みの中に消えた。
一部始終を見守ってから帰路に着くことにしたんだけど、気が付くと僕の膝と親友の脛に、結構な大きさの切り傷が出来ていた。不思議と痛みはなかったが、若干血が染み出ていた。 後になってなんとなく「この間のアレは、かまいたちだったのかもな」なんて話したものだ。
僕はあんまり幽霊とか心霊現象とか、そういう類のものを信じている質じゃない。だけど、一応自分が経験したことは事実なのだから受け入れようと思っている。そして水木さんは、僕よりもはるかに多くの奇妙な体験をしたことを記録に残している。
人の完全な死の時期とは、命を落として、さらに誰の記憶にも残らなくなった時だという話がある。これは別に、人間に限ったことではないような気がする。妖怪も、自分の存在を誰かに認識されている限り、永遠に僕たちの身の回りに存在し続けるように思えてならない。
水木さんは、そういう意味で多くの妖怪の命を現代までに繋いできた、妖怪たちの救世主だったのかもしれない。改めて、先生のご冥福をお祈りいたします。
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