房総半島に「18メートルの津波襲来」の過去? 従来の常識を覆す古文書をMr.サンデーが新発見 | キャリコネニュース
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房総半島に「18メートルの津波襲来」の過去? 従来の常識を覆す古文書をMr.サンデーが新発見

東日本大震災から5年。私たちは地震の恐ろしさとともに、巨大津波の驚異的な破壊力を思い知りました。しかし被災地以外の地域に住む人たちには、どこか他人事のように思えることかもしれません。

関東では、これまで発生した津波は最高で10メートルと言われてきました。しかし3月6日放送の「Mr.サンデー」(フジテレビ)では、ある古文書の中に18メートル以上の津波が襲来したことを示す記述を番組スタッフが発見したと伝えています。(文:篠原みつき)

米研究者が「小笠原沖大地震」の可能性指摘

いま「首都直下型地震」や「南海トラフ地震」とともに、警戒すべき第3の地震の震源として浮かび上がっているのが「関東沿岸部地震」。きっかけは、去年5月に小笠原沖を震源として起きた震度5強の地震でした。

関東全域を襲ったこの地震は、日本の地震学会はもちろん世界中の専門家たちの注目を集めたそうです。震源が小笠原沖682キロメートルの深さにあり、これまでの地震学の常識では考えられない深さで起こったからです。

米・カルフォルニア大学のソーン・レイ教授は「あの地震が起きたことが信じられない」と話し、解明したい考えを表明。さらに、こう警告します。

「小笠原沖を震源にもっと浅い場所で地震が起これば、関東に大津波が襲う可能性がある」

実は1605年に起きた慶長地震で、千葉県の房総半島に大津波が押し寄せた記録があるそうです。当時を伝える国立公文書館所蔵「房総治乱記」には、「潮が大山のごとく巻き上げて、村、山の7割に打ち掛かる」とあります。

慶長地震の震源地を「小笠原沖」と考える研究者のひとりが、東京大学地震研究所の原田智也助教です。房総半島や八丈島の津波も小笠原沖に震源があったと考え、シミュレーションを行ったところ、大津波が関東沿岸に打ち寄せることが分かりました。

高台の宝物や御本尊が「すべて流された」記載も

全国善光寺会のサイトより。「慶長の津波で流され」の記述もある

全国善光寺会のサイトより。「慶長の津波で流され」の記述もある

番組がさらに過去の記録を調査したところ、千葉県鴨川市の西徳寺に保管されていた古文書から、慶長地震で津波に襲われた際の記述を発見しました。現地を訪れ古文書を読み解いたのは、地震学者の都司嘉宣氏。

「本堂まで民家が漂着し、宝物・御本尊(大きな仏像)がすべて流された」

という意味の記述から、寺の標高を正確に計測しました。寺は海を臨む高台にあり、御本尊まで約17メートル。浸るくらいでは重い御本尊は流されないので、そこからさらに1メートル以上の波をかぶり流されたと見ています。

都司氏は、「すごいね」と興奮しながら、「最低18メートルの高さまで、津波が来たことになります」と分析結果を告げました。

千葉県の防災対策は10メートルまでの高さの津波しか想定していません。津波による被害が甚大だった東日本大震災でも、千葉県沿岸の波の高さは7.6メートルが最高でした。それでも旭市を中心に、死者・行方不明者合わせて23人という痛ましい犠牲があったのです。

番組が千葉県に調査結果を伝えたところ、防災担当者は「県としてこれだけで何かということはありませんが、情報を集めて県民に知らせていく」と話しました。

過去の記録をないがしろにせず生かす努力を

房総半島の津波供養碑は、研究者でなければ近寄って読むことはなさそうな寂しい空き地の一隅にありました。しかし、すぐ近くには新しい家が建っており、地元にそのような歴史が伝わっているとはいえないようです。

「古文書」と聞くと、その信憑性に疑いを持ちがちですが、東北の大津波の際にも「ここより下に家を建てるな」という石碑を守った集落は被害がなかったことなど、歴史に学ぶ重要性を身にしみて感じたはずです。

番組で登場した房総半島に伝わる津波供養碑には、「明応、天正、寛永、慶長、元禄…」と時代が刻まれ、これまで数々の津波が襲来したことを物語っています。過去の記録をないがしろせず、現代の知識とすり合わせながら生かしていく努力が必要でしょう。

あわせてよみたい:津波を前に「社員をクビにしない」と決意した社長

 

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