バスの降車ボタンは「先に押したら負け」なのか? 「誰かが押すだろうと期待」「空振りしたら恥ずかしい」
他にも、誰ひとりとしてボタンを押さないまま停留所に近づいてきたため、これは通過するのだろうと構えていたら、運転手が確認のアナウンスをしたとたんに乗客たちが一斉にボタンを押す場面も目にするのだとか。男性はこれらのことから「もしやギリギリまで(押すのを)我慢しているのか?」と考え、こう苦言する。
「先に押すのは負けたような気がするという情報も目にしたことがありますが、ちょっと子供じみていませんでしょうか? それとも辛抱強い国民性、県民性(地方によって違うとすれば)のためでしょうか?」
押したがらない大人たちに対し、「押したくてウズウズしながら親の顔をうかがっている幼児の姿がほほえましく思える」とも。確かに大人で「我先に!」とボタン押しを狙う人は少ない。”はりきってる感”が凄くて恥ずかしいのだろうか。
この投稿に対し、集まったコメントは「押したがらない人の気持ちがわかる」というのもが多い。しかも、押したくない理由も意外とバリエーションがあるようだ。
「押そうとしたのに他の人に押されるといたたまれない気持ちになる」
まず出てきたのは、「大人なのに早くに押してしまうのは子どもっぽい、みっともないから」という理由だ。やはり、”はりきってる感じ”をみせるのは嫌だということだろう。皆自意識過剰気味だ。それに近い理由では「誰かがやってくれるだろうと思うから」というものや、「空振り防止」という声も多い。
「押そうとしたときに他の人に一瞬早く押されると、いたたまれない気持ちになってしまいます。それが嫌」
メンタル繊細……。他に挙がった理由では「潔癖症なので不特定多数の人が触るボタンに触れたくないから」というものも。持ち歩いている小さな抗菌棒で押す場合もあるという人は、「破壊工作をしているようにも見えるので出来れば使いたくない」と胸中を説明する。
この他、「本気で疲れているからボーっとしていて押し忘れる」「静かな住宅地などにあるバス停だと、そこで自分が下車するのを、なんとなく知られたくないから」「小さな子どもが押したがっているかもしれないから」というものも。特に、子どもに関しては「以前に先に押してしまって泣かれたことがあるので」と前科持ちのような気持ちになっている人もいるようだ。
「その子は我慢をしているようでしたが、ほっぺたに涙の粒がみえました。ゴメン、ほんとゴメン!それ以来、ボタンを押すのをためらっているのです」
一方で、「私の住む地域ではむしろ早押し大会」というコメントもチラホラとあり、
「むしろ押す競争みたいになってます。一個前の停留所を出発して、『次は○○~~』って流れたら速攻で押されます。子どもがたまに押し負けて泣いてます」
という声も。子ども……。
ちなみに、降車ボタンをなかなか押さない人が集まっているバスに乗っていたら、結局誰も押さずじまいになったという声もあった。
「その日は誰も押さず、次のバス停で皆一駅分(あの時はまだ定期券でした)現金で支払ったことがあります」
こうなるともはや、誰も負けなかった根比べである。なるべく早くに知らせてあげなきゃ、運転手さんも大変だろうに。