古参オタク「今のオタクは流行ってる作品をみんなで共有して馴れ合ってるだけ!」 一体それの何が悪いのか
前々から再三書いていることだけど、僕は特撮オタクだ。子供の頃から主食はマヨネーズと怪獣だった。おかげでマヨネーズはもう見たくもなくなったが、今に至るまでに怪獣熱が冷めることはない。
また環境的に恵まれていたようで、周囲にオタクを馬鹿にする友達もほとんどいなかった。だから伸び伸びとオタクとして成長することができたし、今では自作の怪獣人形を作ったり、市販の人形を改造したりもしている。
ただし、個人的にはこういうオタクって古いタイプだとは痛感している。昔はインターネットもなかったので、アンテナを張るにも限界があった。見落とし、見過ごしはどんなガチオタクにもあったし、大好きなコンテンツの全てを知ることが物理的に難しいという側面が強かった。
それに比べて今のオタクの、なんと幸せなことだろうか。知りたい情報をすぐに検索できて、なおかつSNSなんかで共有して楽しむことだって可能になった。こんなに素晴らしい、オタクにとっては明るい時代はない。が、そんな今のオタクを妬む昔のつまらないオタクというのもいるようだ。
今のオタクを批判する懐古厨は迷惑! 「やっぱオタクってクソだな」と思われるだけ
先日、2ちゃんねるに「最近のオタクって結局は流行りの作品をみんなと共有して馴れ合ってるだけだよな」というスレッドが立った。この人物もオタクのようで、「昔のオタクは自分の好きな作品を愛していたから1クールで嫁が変わることもなかったし、馴れ合いを目的にもしてなかった」と書いている。
……個人的には、このオタクも言うほど古いオタクじゃないような気はする。アニメのヒロインや推しキャラを「嫁」と表現するなんて、せいぜい2000年代初頭ぐらいからの傾向だし、それ以前のアニメオタクは、嫁というワードはあまり用いないし。まあそれはいいや。
僕が追及したいのは、「馴れ合いを目的にしていなかった」という一文だ。ここについては明確に「そんなんどうでもいいじゃん」と突っ込みたい。
昔も今もオタクは様々な人がいる。僕のように個人でじっくり楽しむやつもいれば、コミケでワイワイやるのが好きなオタクもいる。まして今はSNSが普及しているのだから、楽しい作品についての話題を共有することは容易くなっているわけなので、”馴れ合い”扱いされている触れ合いだって当然頻度は高まる。
それを「昔のオタクってのはなぁ!」みたいな書かれ方をされると、「うるせえよお前」って、つい言いたくなる。というか、こういう後ろ向きで空気を悪くする主張をするオタクがオタクの世界をよくすることはない。「ああ、やっぱオタクってクソだな」と、第三者に思われるだけなのだ。
第一、やたら昔からのオタクであることを誇り、今のオタクに物申してる古いオタクって、言うほど知識もないことが多いし、コンテンツへの熱量も低いやつだらけ。オタク同士でマウントを取り合っても不気味なだけなのに、それすら分かっていない。僕らオタクはみな日陰者。その前提を忘れて偉そうに振舞ってみても、何の意味もないのだ。
断言してもいいが、今のオタクには今のオタクの楽しみ方があって、それは素晴らしい進化である。それを古いオタクが物言いすることほど滑稽で惨めな話はない。