南キャン山里“これを食べられない人は人生損してる”という言葉に怒り「そんな薄い人生送っていない」
続けて、三四郎・小宮浩信さんは「普通」という言葉を口にする機会はほとんどなくなったと言い、「『それがカッコいい』とか『上から目線で言える』とかは20歳ぐらいで終わった」と話す。自分の中にある常識を盲目的に信じ、他人の考え方や言動を批判するのは、人生経験の少ない若者にだけ許された感覚である。いい年した大人が「普通」を押し付けることは、非常にかっこ悪いことだと言えそうだ。
南海キャンディーズ・山里亮太さんは「普通」を押し付けてくる人は「これ食べられないなんて人生損しているよ、と言う人と同じ」だと分析する。
たまごサンドが嫌いな山里さんは過去に、「たまごサンドを食べられないなんて人生損しているよ」と返されたことがあるが、
「たまごサンドを食べられないことで『損した』と思うほど薄い人生じゃない」
「トマト食べられないなんて人生損しているよって、いや別に、全然たまねぎでリカバーできるし俺の人生」
と語気を強めた。
「自分が思う良いもの=みんなが思う良いもの」ではない
ネット上には、「普通って言葉は、意外と使い方に注意が必要だよね」と「普通」をむやみに使用してはいけないと指摘するコメントが見られた。
「女性は結婚したら家庭に入るのが普通」や「男性は稼ぐのが普通」など、世の中には様々な「普通」が存在する。ただ、その「普通」のせいで、自分らしく生きることができずに息苦しさを覚えている人も少なくない。世間や自分の価値観を他者に当てはめ、そこから逸脱する人間に否定的な視線を送るような、多様性の乏しい社会は早く変わってほしいものだ。
「『人生損しているよ』はイライラするね」と山里さんの主張に共感する人もいた。そもそも、自分の好きなものが他者にとって好きなものとは限らない。また、世の中にはアレルギーを持っている人もいる。卵アレルギーの人が「たまごサンドが食べられないのは人生を損している」と言われたら、不快感を覚えるのは明白だ。
「自分が思う良いもの=みんなが思う良いもの」という偏った解釈は、人を傷つけるリスクがある。人の好みに、大きな主語で口出しすべきではないということだろう。