【悪夢?】『キャッツ』はまさに合法トリップ映画 謎の感情が押し寄せて気がついたら泣いていた
公開前から色々な意味で”話題”となっていた映画『キャッツ』が1月24日、日本でも公開された。ミュージカルの名作に基づいた動画だが、昨年12月にワールドプレミアが行われた際には、海外メディアが
「『キャッツ』はゴミ映画」(THE BEAT)
「熱のときに見る夢や幻覚体験のように、第三の目が開いてアストラル界を覗き込むようなもの」(Polygon)
「映画の良し悪しを評価するのは見方が間違っている。愛情を込めて言うと、怪物だ」(VULTURE)
など酷評。日本公開後、ツイッターでも「悪夢体験」「気持ち悪いと意味不明が交互にやってくる」という声が寄せられている。
果たしてどの程度ひどいのか。キャリコネニュース編集部員も観てきたが、結論からいうと意味がわからない映画だった。しかし終盤、謎の感動が湧き上がって涙していた。今回は『キャッツ』の謎体験についてお伝えする。
「猫なの?人間なの?」 脳はバグるけど比較的早く受け入れられた
筆者は公開翌日に都内映画館へ行った。公開して初めての休日だったが客席に人はまばら。女性が多く、カップルで来ている人も見られた。年齢層は30代以上が多い印象だ。
「身の毛のよだつ」「おぞましい」と言わしめるキャッツだが、筆者はそんなに嫌悪感を抱かなかった(あまりにも酷評レビューが多いので期待度が低くなっていた可能性もあるが)。劇場から出た後は夢心地にも思えた。その理由は以下の4点だろう。
1. 猫人間は「こういうものだ」と思えば受け入れられる
予告編を観ていただくと分かるが、映画キャッツの猫たちはほぼ人間だ。人間の顔から耳を落として猫耳をつけている。全身に薄い猫毛が覆われている猫が多く、長毛種はあまりいない(服を着たりコートを羽織ったりしている猫もいる)。
鼻も口も人間のままで、動き方も人間的だ。やはりビジュアルに違和感はある。ちなみに撮影時はグリーンのスーツを着て、顔にCG合成用のポイントをつけて演技したという(パンフレットのインタビューより)。
あまりにも人間然とした猫なので、割と早く「こういうものだ」と慣れた。例えばSF映画やガンダムなどに対し「なぜ宇宙空間で”爆発音”がするのか?」という声を耳にするが、野暮でしかない。あの世界の宇宙は音が鳴るし、キャッツもそういう猫がいる世界線なのだ。
また同映画に出てくる”人型動物”は猫だけではない。ネズミやゴキブリも出てくるが、特に悪さをするわけではない(むしろ猫に芸を仕込まれている)。一つ言えば、人の顔をした害獣・害虫を、皮肉めいたものに感じてしまった。
2.ただ、猫や人間についての概念がバグる
ビジュアル面で特に気持ち悪さはないと書いたが、キャッツの”気持ち悪さ”は「猫なのか? 人間なのか?」という点にある。どんなに人間に見えても、ストーリー上は猫なのだ。
同作はミュージカルがもととなっているだけあり、ダンスパフォーマンスが頻繁に出てくる。ダンサーの鍛え抜かれた身体が、猫柄の全身タイツのような、体のラインが分かるコスチュームから分かる。
人の身体はこんなに美しいのか、と思った瞬間「でも猫なんだよな」となる。人や猫の概念がバグってくる。眠っている時に見る夢は、ありえない設定でも「でもこういうものだし」と受け入れている。キャッツは終始そんな感覚だった。
涙は出たが、冷静になると「泣くほどだったか……?」とも思う
3.登場キャラがずっと自己紹介してる
映画のストーリーがどのようなものかというと、捨て猫のヴィクトリアが個性豊かな”ジェリクルキャッツ”たちに出会い、年に1度だけ行われる舞踏会に参加するというもの。
舞踏会ではジェリクルキャッツの中から、新しい人生を生きることを許される1匹の猫が選ばれる。この舞踏会で、猫たちがひたすら歌って踊って自己PRをしているのだ。
この自己PRで「いろんなタイプの猫がいるんだな」ということが分かるが、あまりにもいろんな猫が自己紹介をし続けるため、感情移入がしづらい。映画では舞踏会の結果、一匹の猫が選ばれて天にのぼるまでが描かれているが、上映時間109分の大半が自己PRだ。
ストーリーを追う必要はないので頭を使いたくない人にはおすすめだ。なんだか本当に、そういう夢を見ている気分になる。筆者は割と馴染んでしまったので悪夢とは思わなかったが、ちょっと体調悪い時に観る夢のようだ。
4.猫はつらいよ。人間もつらいよ。
では、この延々と自己PRのどこで泣いたか。それは、過去の栄光にすがりつく「グリザベラ」だ。かつては絶世の美猫で多くのオス猫から求められたが、現在は誰にも見向きされないというメス猫。
彼女は状況を嘆きながらも受け入れていた。しかし勇気を出して「変わりたい」と一歩踏み出す。終盤、長老猫が「猫も人間も同じ」という。現代社会を生きる我々も「このままでいい」と後ろ向きに開き直ることはある。たとえ大きな変化はなかったとしても、変わりたいと思うことが尊いのではないだろうか。
そう思うと「よかったね」と泣いていた。しかし、劇場から出る時、改めて泣いたシーンを振り返って「泣くほどだったか……?」と思う。それと同時に「なんだか夢みたいだったな」とも思った。
キャッツを思い返すと、さまざまな猫たちが歌って踊る様子が走馬灯のように思い浮かぶ。ただ「映画を観た」というより「トリップしていた」という感覚に近い。というのも、キャッツに出てくるのは当然ながら猫だが、映像から「猫から見た世界」感が伝わってこないのだ。
猫は人より小さいため、当然ながら猫から見た人間の世界は非常に大きく感じられるはずだ。しかしカメラワークのせいか、その迫力が味わえなかった。そのため猫を”猫サイズ”に感じる時もあれば、”人間サイズ”に感じる時もあった。
この大きさが正しく認識できない感覚が、非常にトリップ感に近いのではないだろうか。猫が歌って踊り続けるのも、よくわからないけど泣いたことも、夢のようだと思ったのも”トリップ”効果があったからかもしれない。
映画自体の感想に戻ると、「そこまでキャッツは酷いか?」と思う。ただ感想を求められたら、「よく分からなかった」としか言えない。よくわからないけど、トリップして、気がついたら泣いていた。とても謎な体験をしたと思う。