娘と仲が悪いのはなぜですか? 「母に嫌われている」という女性が質問、闇が深い回答が寄せられる
彼女は、「なんで母にそんなに嫌われないといけないのか悲しいです」と、母親側の気持ちを募っていた。徐々に書き込まれた母親たちの書き込みは、嫌悪ぶりが強烈で驚いてしまう。
「私は長女の出来の悪さや要領の悪さに毎回イライラしていました」と切り出した女性は、
「罵ることも多々ありました。それでも、母娘であっても好き嫌いはあると教え育てました」
という。長女は卒業後、逃げるように家を出て音沙汰なし。結婚して孫もいることが、会わせる気はないという。母は、こう続ける。
「病気で不自由になりつつある私を見捨てるような長女はきっとろくでもない人生を歩むと思います」
また、「長女とはずっと性格が合わなくて大嫌いだった」と切り出した人は、
「小学生の頃に母の日に貰ったものをハサミで破って『2度とプレゼントなんかくれるな!』と叩きつけたこともあったな。次女は大好きだけどね」
と明かす。スレッド内の「仲が悪いんじゃなくて母親が子供なんだよ」という批判ももっともだ。
「私が死んだらちゃんとやってくれますか… もう疲れました」
しかし中には、一方的に責めるのも気の毒と感じる疲れ切った声も多い。「反抗期に入りしんどい」と訴える母親は、娘にブラや皮膚科(ニキビがひどいので)を薦めたり、歯医者の予約をするだけで激怒されるエピソードを明かし、こうこぼしている。
「子供が何を言っても何をしても受け入れるのが親なんだろうけど、私の体調が悪いけど休めない時『今日も私のためにしっかり働いてきてよ!ビンボー嫌だし!』って言われた時は育て方失敗したと思った」
ゲームばかりで宿題をやらない娘と毎晩ケンカ状態という人は、こう嘆く。
「毎日夕方から夜までこの繰り返し 私が死んだらちゃんとやってくれますか… もう疲れました」
客観的に見れば、宿題をやらないで困るのは自分なのだから放っておけばいいのだが、先々への不安から口出ししないのも難しいことはよく分かる。筆者も子を持つ身として、「過干渉」なのか「当然の世話」なのか、区別に迷うことは度々ある。
「自分の人生を差し出したのだから、お前は私を見捨てるな」
精神科医の斎藤環氏の著書「母と娘はなぜこじれるのか」(NHK出版)を読むと、母娘の不和問題は、明治30年以降の急速な近代化と、高度成長期、専業主婦が急増した時期の「時代の副産物的なもの」という指摘がある。
高度成長期には、多くの女性が農作業などの重労働から解放された一方で、
「育児の重圧が一気にのしかかってきて、なおかつ子どもの人格形成から勉強の出来まで、一気に責任を負わされるようになって、子育てに関しては、むしろやることが増えましたね」
とある。完全母乳や布おむつ信仰など、母親は子どもに全ての力を注ぐべきという近代の「理想育児」も伴って、
「『これだけ痛み、苦しみ、自分の人生を差し出したのだから、お前は私を見捨てるな』と子どもに暗黙のプレッシャーを与えるようになっても無理からぬことです」
とも書かれている。
たとえそう思っていなくても(自覚がなくても)、自分の分身のような娘が人生の大半を占め、その割には言うことを聞かない、思うように育たないとなれば、避けがたい亀裂が生じることもあるだろう。結局、娘は娘、自分は自分、とどこかで一線を引かなければお互いが不幸だ。
書き込みからは、多くの母親が子育てに疲れウンザリしている様子がうかがえたが、ここに書き込む人はまだ自覚があり、娘と距離を取りたいと考えているだけいいのかもしれない。スレッドには「毒親の自覚すらないのが毒親」で、本当の毒親が自分から書き込むことはない、という指摘もあった。
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