子どもに「働いてないじゃない!」と言われる仕事はイヤだ 転身の末に生きがいを知った「街のパン屋さん」 | キャリコネニュース - Page 2
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子どもに「働いてないじゃない!」と言われる仕事はイヤだ 転身の末に生きがいを知った「街のパン屋さん」

創業者の横手さんは、1943年広島生まれ。両親はみかん農家だったが、大学卒業後は愛媛信用金庫に就職。順風満帆に見えた2年後、「金融機関はお札の勘定がある。自分はケアレスミスがものすごく多い人間。もし間違ったら大変なことだ」と24歳で独立を決断した。

高度成長期の東京へ向かい、いまでいうカラオケバーのようなスナックを経営する。店は大繁盛し、わずか2年で家を建てて家庭も築き、同世代と比べれば何不自由ない良い暮らしを送っていた。

ところがある日、2歳10か月になる娘を店に連れて来たときの言葉に衝撃をうける。

「パパ、働いてないじゃない」

お客の相手をしている姿が、幼い娘には「働いていない」ように見えたのだ。この一言で「子どもに働いている姿が見せられる仕事をしよう」と一念発起。34歳でスナックをたたみ、知人のパン屋で修行を始める。

35歳で千葉県に移り住み、1978年にピーターパン1号店を開業した。技術が未熟な分、何回も焼きたてを出そうと努力すると、店は順調に売り上げを伸ばした。45歳でビジネスの規模を拡げ、ピザの宅配を7店舗にまで拡大した。

「もう規模拡大も、お金儲けもいいや」と55歳で方向転換

いつしか店頭に立つことはなくなり、経営に専念するように。すると、ある虚しさを感じ始める。「売り上げと生産性、売り上げと生産性……、そればかり追いかけて。疲れていたんでしょうねえ」と横手さんは振り返る。

そんなとき、パン屋に立っていたころの、常連客たちが喜んで買ってくれる笑顔、従業員と共に和気あいあいと楽しく働いていたことを思い出し、横手さんは、ある結論に達した。

「もう規模拡大も、お金儲けもいいや。お客さんが喜んでくれて、社員たちが明るく元気に楽しく働ける、そんな店をやりたい」

55歳で方向転換を決意。売り上げの多くを占めていたピザ宅配をやめ、客の顔が見えるパン屋一本に絞った。今では、自分の目が届く範囲の店舗数しか出さないと決めている。それでも1店舗あたりの年商は3億円、平均的なベーカリーの10倍というから驚きだ。

店では地域の住民に感謝をこめて、クリスマスや餅つきなど年30回以上季節ごとのイベントを行う。これを横手さん自身が、心から楽しそうに運営している。イベントを一緒に楽しめるスタッフを採用するために、心理学を勉強して適性検査で「明るくて優しい人」を採るという徹底ぶりだ。

「社員のマインドが一番大切なことだと思う」――そう語る横手さんは、パン職人には経験年数にかかわらず新商品の開発を任せ、独立して自分の店を構える人には惜しみない助力をしている。

逃げではなく、自分が納得できる道へ進む姿が清々しい

成功していたピザ宅配は辞めてしまったことについて、MCの村上龍は「それがあったら(いまの生きがいに)気づけたかもしれませんね」と指摘した。横手さんは「1年1年、いまのために過去があったって感じます」と応じた。紆余曲折を経ても、今までの経験は一つも無駄になっていないのだ。

成功し家族がいれば守りに入ることが多いものだが、辞めると決めたらスパッと辞めて新しいことを始める手際はみごとなものだ。嫌なところから逃げるのではなく、新たに自分が納得できる道を見つけようとする姿勢が清々しいと感じた。(ライター:okei)

あわせてよみたい:「仕事で輝くという人生は変」蛭子さんの意見が共感呼ぶ

 

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