「PTAは必要なの?」問いかけに割れる意見 「平和なときほど無意味」だけど、なければ教育格差に繋がる懸念も
まず多かったのが「必要ない」という主張だ。「いりません。(断言)」「無くても誰も困らないはず」などと、どこか怒気を含んでいる。
「暇な主婦が仕事をしたような気になるための自己満足組織」
「ベルマークの切り貼りするために仕事を休めとか冗談じゃありません」
「必要なのはお金。上の組織はいらない」
「バザーなんて要ります?なくても良いよ」
中には「無い保育園に通っていて、良かった」という体験談もある。その時手伝える人が手伝うという形で親からは大好評、「定例の会議はなし、プリント配布で全然問題なかったですよ」と書き込んでいる。
一方で、「あったほうがいい」とする反論も多かった。上部組織を経験した人に多く、長文で意義を書き込んでいるのが特徴だ。こんな声がある。
「一番困るのは『親と学校のパイプ役がいなくなる』こと」
「学校の密室化を防ぐ意味でもPTAのような組織の必要性を感じます」
学校の方針が突然変わったとき、親の意見を取りまとめて学校と交渉する役をPTAが担ったという声や、数人で学校に意見しても何も変わらなかったが、PTA会長から働きかけたら驚くほど迅速に解決したという報告も。個人の声は届きにくい、団体になると強いという指摘もあった。
また、バザー収益は部活の補助も行うため、無いと部費が高額になり部活に入れない子が出てくるともいう。これは中学以上だろう。
ある人は、活動縮小が進んでいるが、「校長先生も含めた定例会が一番大切」と明かす。今でこそ落ち着いていると評判の小学校だが、数年前まで学校崩壊が激しく不登校が続出していた。新任の校長が、「教員の力だけでは立ち直れない。保護者と生徒ととことん話し合いたい」と、結束を呼びかけて立ち直ったそうだ。この人はこう諭している。
「平和なときほど『無意味』扱いなPTAですが、子供を守る上では必要だと思います」
筆者もPTA連合会に参加した友人から「PTAが活発な学校は子どもが活き活きしている」と話を聞いたことがある。極端な言い方をすれば、学校によって教育格差が生じるとも言える。
「米国は父親でもPTA役員を進んで引き受けるのが当たり前」
ただ、「必要」とする人もほとんどは「仕事の合理化や必要なことの選別など、時代に合わせた活動内容にすべき」と改革の必要性も説いている。
2月16日放送の「バイキング」(フジテレビ)でこの問題をとりあげたとき、PTA改革に取り組んだ経験をまとめた『PTA、やらなきゃダメですか?』の著者で、毎日新聞記者の山本浩資さんが出演していた。山本さんは、「負担を分散化して任意を徹底して、スポットの活動をみんなが選べるようにした」と語る。アメリカを参考にしたそうだ。
小町でも、米国はPTAの活動が盛んだと書き込む人が何人かいた。こんな証言が印象的だ。「アメリカは父親でもPTA役員を進んで引き受けるのが当たり前」とした上で、
「今日はPTA活動だからと早退もするし、友人がPTA役員を引き受けた際は『がんばって』と皆が普通に協力してくれたとのこと。『だって自分の子どもの事だから当たり前』と言われたそうです」
外国をうらやんでも仕方がないが、小町には、こうした考え方でお互いに出来る範囲で協力体制を作っているところもあるようだった。
PTAの活動は、「効果」や「無い場合の弊害」が目に見えることがほとんどないため、共働き世帯の多い現代では「無駄なもの」と見られがちだ。改革には多大な労力と時間がかかることも共通の悩みだが、こと子どもの教育に関する限り、「効率」「合理的」を優先にしてはいけないのではないだろうか。