「ニートを経験した方が人生観が豊かになる」という説 社畜として消耗するぐらいなら一度社会から離れてもいいのでは
先日、2ちゃんねるに「ニートを経験したほうが人生経験豊富になる法則」というスレッドが登場した。そんな法則はないと思うが、スレッドを立てた人物曰く、ニートになることで仕事への考え方も変わる、という。
また「元ニートは優しい人が多い」とも。どうだか、という思いはあるけども。さらには「なんか達観してる人多いんだよ。慎重というか、丁寧というか」と、やたら自分が接してきたニート経験者を褒めている。
もちろん、この書き口から察するところによれば、この人物の考える”ニート”とは、ただ漫然とニートを続けているような人を指してはないことは分かる。恐らくは、何か事情があって休職中とか、就職するのも前向きであるとか、後は僕の嫌いな「自分探しの旅」の過程で実質ニート状態だった人のことを指しているのだろう。
つまり、陰陽でいうところの、陽の方のニートなのである。停滞を好み、未来を見据えることを嫌う陰のニートとは、完全に別物と切り離して考えておいた方が良さそうだ。
しかし、こうしたニートの人にも世間は良い顔をしない。しないんだけど、当人さえ納得しているのなら、どんどんやればいいと思う。世間体なんか気にする必要はない。
ブラック企業で消耗するのは人生の無駄でしかない
しかも、今の時代、石を投げれば社畜に当たるというレベルで、働き過ぎて何が何やらといった状態に陥った社会人が多い。心をすり潰し、無理に体を動かして会社に出向き、不毛な仕事を夜遅くまで続ける。こういう人がうんざりするほどいる。
常々僕は「そういう仕事は大抵そこまで世間の役に立ってもないし、無駄な自己犠牲」と考えている。要は人生の無駄遣いでしかないのだ。
必死に働いても大したお金も手に入らないのなら続ける意味がない。いっそニートになれるなら、そうした方がいいんじゃないだろうか。いや、他人事なので好きなように書くけども、社畜生活とニートとじゃ、ニートのがマシだろう。その、社畜より幾分マシな状況で自分を見つめなおすのも大事なことのように思える。
もちろん、誰もがニートになれるわけではない。余裕のある実家だったり、ある程度の貯金だったりも必要だ。さすがにアラフォー以上の世代でニートになると、再就職の際にデメリットになるだろう。ただ、ニートを経験したことで人生観がちょっとでも豊かになるなら儲けものではある。