18歳でパチンコホール企業に入社してみて分かったことだが、パチンコホールには実に様々なお客さんが来る。そして若く純朴だった僕にとっては、出会う客出会う客全員が、悪い意味で新鮮だった。思い出せる限りでかつての常連客の特徴を挙げていこう。
まず、みっちゃんだ。小説『バトル・ロワイアル』に相馬光子という凶悪な登場人物がいる。
その相馬光子がそのまま歳をとったみたいな見た目のばあさんで、しかも名前も確か似ていたので驚いた記憶がある。
お店では「みっちゃんが来た」とインカムで伝えあい、その動静を注視していた。というのも、みっちゃんはちょっと頭が変なので、お店のスタッフへの暴言は当然の権利だと思っているのだ。
「お前! ブサイクだからあたしを接客するな!」とか、そういう人が傷つくことを普通に言う。しかしこちらは大金を使ってもらっている立場。我慢するしかない。お給料は我慢料だということをこの人の存在で学んだ。まぁ、そのみっちゃんに心を潰されたバイトさんは多かったけど。
それから、しょっちゅうトイレの壁に唾やら人糞やらが貼りついていた。これは負けてしまったお客さんの腹いせだと思われるが、トイレの点検のたびに人糞が壁に貼りついているのを見ると、ほとほと嫌になったものである。
あるときなんて、まさに今、自分の大便をトイレットペーパーに乗せて壁に擦りつけようとしている瞬間の、下半身丸出しのおじさんを発見したことも。衝撃的だったのは、そのおじさんは常に笑顔で遊技をしている、スタッフからも愛される人気の常連さんだった。
このとき僕は「あ、やっぱりギャンブルというのは人をダメにするんだな」と思うに至った。お金が絡む遊びは、人を変える。
ストイックな立ち回りが印象的だったフィリピン人プロ
それと、この当時はまだまだ本気になれば稼げる機種も多く、台の設定を辛くしてもゾーン狙いでどうにか喰える状況もあったので、スロプロが結構多かった。うちの店は設定が低めにされていたことが多かったので、勝つにはどうしても狙いどころをシビアに選定する必要があった。
そしてその店には、フィリピンからの出稼ぎ労働者数人がよく来店していた。彼らは母国に家族がいるということだったが、仕事で稼ぐよりもパチスロで稼ぐほうが効率が良いと考え、無職のスロプロとして食っていた。
「仕事してなさそうだけど、大丈夫?」と質問したら「ダイジョウブ!」と元気よく答えていたので、まあ大丈夫だったのだろう。まあでも実際彼らはシビアに台選びをしていて、事務所では監視カメラ越しに立ち回りを見ていた店長が「いやぁ、上手いよなぁ彼らは」と常々感動していた。
でも、今は立ち回り云々ではどうしても稼ぐのは難しい。2000年代初頭は今よりも出玉が多いパチスロ機が多かったが、今は比べものにならないほどショボい。きっとこのフィリピン人たちも、今はもうパチンコホールにはいないことだろう。お金の匂いに敏感だったから。
今でもしばしば、パチンコホールにスロプロを見かけることがある。しかしやっぱり、あの当時見たフィリピン人たちほどのストイックさはないというか。ストイックに立ち回っても日当がショボくなっちゃったから、しょうがないんだけど。
そういえば客層だけではなく、店員側もおかしなのが多かったなぁ。借金取りに追われて、シフトの半分は無断欠勤しちゃう人とかもいた。金持ちの息子が社会経験と称してアルバイトをやって、社員にタメ口で話しかけたりもした。いつもジェラルミンケースを持ち歩き、その中身は誰にも見せたがらない人なんてのもいた。
ひょっとすると、パチンコホールで一番おかしい人率が高いのは、サービスを提供している側だったりするのかもしれない。