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「不良だけど根はいい奴」という風潮は一体何なの? ろくでなしがちょっと善行を積んだだけで許されていいのか

僕は性格が悪い。仕事関係の人と、1年に数回は揉める。今年は7月、8月、9月と連続して大揉めしたばかりだ。揉めた相手との共通の知人は、そういう状況になると毎度毎度僕をたしなめようとする。その上で、「アイツ、ああ見えてもいいとこあるんだよ」みたいなことを言ってくれることがある。

知ったことではないという話だ。僕が嫌いな言葉の一つがこの「ああ見えていい奴」だ。何がイヤかって、これってろくでもない人間を擁護するバカが決まって口にするワードだからである。(文:松本ミゾレ)

そもそもマトモな人間は反社会的な不良には最初からならない

不良はちょっとした善行で褒められる……

不良はちょっとした善行で褒められる……

先ごろ、2ちゃんねるに「不良は根はいい奴って間違った価値観がどうして根付いちゃったの?」というスレッドが登場した。ドラマや映画、漫画などでもしばしば、札付きのワルが実は優しい奴だったなんて描写が出てくることがある。

お話の中の世界なので、どうこう言うつもりはないけど、実際のところ不良なんて呼ばれている者たちが、実はいい奴だなんてことがあるのだろうか。普通に考えて、これはないと思う。

だってマトモな人間だったら、そもそも世間様に不良だとか、反社会的な人物という評価を下されていない。問題のある言動をやっているから不良と呼ばれるわけであって、そういう連中が実は善人だったなんてことがあるわけがないのだ。

もちろん、人は清濁併せ持つような性質を秘めている。善良な市民だってしばしば陰湿な言動をすることもある。優等生が万引きをすることもある。だけど、元々善良とされていた人が一度でも過ちを犯すと、「ああ見えて実は最悪の人間」という目で見てしまうような風潮がある。

その一方で、元々ろくでなし扱いされていたような人間が、たまたま周囲の目に付く範囲で良い行いをした際に「ほら見ろ、ああいう優しいところもあるんだよ」とか言ってる人もいる。いい加減にして欲しいと、心から思う。

そういう切り取った一部分で人の性質を理解した気になっていては、過去にその不良とやらに泣かされた人々の悲憤を無思慮に押し流すことになるではないか。他人の善悪を評価するときに、局地的な部分しか見ないというのは都合が良すぎる。

真面目な人間が評価されないのに不良が一回の善行で褒められるのはアンフェア

今回、このスレッドには色々と意見も寄せられている。「不良と知り合いだけど、いい奴いたよ」みたいな意見もあるし、「そもそもいい奴は不良にならない」というごもっともな声もある。

学生時代、いつもヘラヘラ笑っていて、すぐに同級生をボコボコにするような不良がいた。

あるときその不良が彼女と一緒に歩いているだけで、それを見たクラスメイトの中には「彼女を大事にしている! いいところもあるんだな」とか言っていたことを覚えている。

「はぁ~、不良ともなれば女と2人して歩いているだけで善人扱いされて見直されるのか」と、悪いことをせず、毎日生真面目に学校で勉強をしていた自分がバカらしくなった。

不良をいい奴扱いしたがる人だって、本心では、出来ることなら不良なんか社会に蔓延って欲しくなんかないと思っているんじゃないのか? 少なくとも僕は不良をいい奴扱いしたくはない。コンビニの前でたむろしている感じの悪い不良数名なんて、本当にイヤだ。

真面目な人間が真面目に生きて、親切を心掛けていても全く評価されないことがザラのこの時代。不良の善行だけはしっかりクローズアップして褒めちゃう人たち、正直どうかしてると思う。

※ウェブ媒体やテレビ番組等で記事を引用する際は恐れ入りますが「キャリコネニュース」と出典の明記をお願いします。

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