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「あしかがフラワーパーク」救った日本初の女性樹木医 「感動分岐点を超えた園でなければ」

日本初の女性樹木医・塚本こなみさん(65歳)は、栃木県足利市にある「あしかがフラワーパーク」が経営危機に瀕した際に理事長に就任。いまでは年間100万人の集客を誇る人気スポットに再生させた立役者だ。

2015年4月30日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、塚本さんの経営秘話に迫った。白髪で細身、いかにも上品なご婦人といった佇まいの塚本さんは、園づくりの真髄をこう語る。

「経営に収益分岐点や損益分岐点があるように、私たちの心の中にも『この程度では感動しない』という境がある。『きれい』と体が震えて涙が出るほど美しくしないと、感動分岐点を超えることはできない」

子育てしながら36歳で自分の会社を設立

この言葉どおり、「世界一美しい桜とチューリップの庭園」と謳う1300本の桜と60万球のチューリップが客の心を釘付けにする。

「感動分岐点を超えた園ができれば、『また来年も見てみたい』となる。感動すればクチコミリーダーになってもらえる」

あしかがフラワーパークのウェブサイトより

あしかがフラワーパークのウェブサイトより

22歳で造園業を営む夫に嫁いだ塚本さんは、3人の子どもを育てながら事務仕事で夫をサポートしていたが、難しい植樹の管理をきっかけに庭造りや経営のノウハウを学ぶ。

36歳で夫の会社から独立した樹木のメンテナンス会社を設立し、1992年に43歳で日本初の女性樹木医となり注目を集める。

多くの専門家が匙を投げた巨大な藤の移植を2年がかりで成功させると、2年後あしかがフラワーパークの園長に就任。開花時期に合わせた変動制の入園料を断行し、「世界一の藤」を掲げたチラシを関東の藤の名所3か所に配りまわった。

村上龍が「ケンカを売っているみたいですけど」と訊くと、塚本さんはうなずき、わが町の藤を愛でる市民性を利用したことを隠さなかった。これが功を奏し、年間20万人ほどだった来場者数は110万人にまで増えた。

職人に檄飛ばす「あんた何年やってんのよ」

フラワーパークで働く100人ほどの従業員のうち、8割ほどがアルバイトで、定年退職した中高年が多い。園内の植物の手入れを行う彼らは、口を揃えて「お客に喜んでもらいたい。やりがいがある」と言う。従業員の心の変化を、現園長の佐原義彦さんはこう語る。

「それは今までなかったことで、塚本さんの力です。『お客さんの立場に立って』とみんな言いますから」

愛知県・江南市の曼荼羅寺(まんだらじ)には見事に咲き誇る藤棚があり、市の貴重な観光資源となっている。しかし10年ほど前は花のつきが悪くなり、入場無料でも人が来なくなっていた。

それまで藤の管理をしてきた職人の岡崎さんは「報酬が安くてここまでしかできない、これが自分の手一杯だ」と思っていたが、市から再生を託された塚本さんにこう檄を飛ばされた。

「あんた何年やってんのよ。10年やってこれか」
「花を咲かせることができない人は、何十年やっていても下手くそだ。花を咲かせてから、私に文句を言いなさい」

この言葉に職人ふたりは奮い立ち、翌年見事に花がよみがえった。岡崎さんは「こんなふうに花が咲くんだ」と感動したそうだ。「いまは、結果を生んだことで少しずつ収入も増えてきた。それがよく分かりました」と力強く話した。

村上龍は「これは完全に経営者のセリフ」

塚本さんは「男性たちばかりだから、優しく言うより『なにくそ』と火をつけた方が早いんです。遠まわしに言ってもダメです。直球を投げないと」と語り、そして時には「あなたたちは私の一番の弟子よ」と誉めるアメとムチの使い分けも明かした。

44歳で巨大な藤の移植を行う際、50代60代の男性職人たちばかりを前にして、「私のやり方に従ってください。この移植はうまくいったら皆さんのおかげ、失敗したら私の責任です」と宣言した。

これに村上龍は「これは完全に経営者のセリフですよ。感動分岐点を超えた感じ」と笑った。塚本さんは藤の木をなでながら「藤は『不死身』なんです。したたかで美しくて、戦略的に生きている」と語っていたが、それは塚本さん自身のことのように思えてならなかった。(ライター:okei)

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