世界に通用するビジネスマンになるその日まで。真摯に仕事と向き合う若手社員の想い | キャリコネニュース
おかげさまで6周年 メルマガ読者数
65万人以上!

世界に通用するビジネスマンになるその日まで。真摯に仕事と向き合う若手社員の想い

77381db31b67538e3252eb06cf519629c6141881

2017年に味の素株式会社へ入社した池田 遼。子供時代を海外で過ごした彼は「日本人として海外に影響を与えたい」という熱い想いを持つようになりました。そんな彼は入社後、どのように仕事に向き合い、成長をしてきたのか。数々の社内表彰とともに振り返ります。【talentbookで読む】

海外生活を通じて気付いた、日本人のプレゼンス

私の生まれはシンガポールで、そこでは2年ほど暮らしていました。

一度日本に帰ってきたのですが、小学生のころから再び海外生活になったんです。小学校1年から5年までがイギリス、そのあとは中学1年までスペインで暮らしていました。

スペインにいたときはインターナショナルに通っていましたが、そこで日本のプレゼンスの弱さを感じるようになりました。日本人はとても良いモノや良い考え方を持っているけれども、自分を主張するのが美徳な欧州では、存在感が薄く、悔しいと感じるようになりました。海外の友達には負けたくない、見返してやりたいという思いが常にありましたね。負けず嫌いな面は多少あると思います(笑)。

日本に帰国した後も、心のどこかで、いつか日本人として海外に影響を与えたいという想いを持っていました。

中学2年生以降はずっと日本で過ごしていましたが、一番思い出に残っているのは、大学から始めたよさこいソーランですね。一年間通して踊る演舞をみんなでつくり、全国に踊りに行くという活動にとても力を入れていました。

私は東京理科大学出身なのですが、大学内でも規模としては一番多く、200人ほどのメンバーが在籍するサークルだったんです。

私はどちらかと言いうといじられキャラだったのですが、1年目や2年目のみんなを盛り上げながら、真ん中に立つという経験もしました。

最高学年の3年生では代表を務めました。当時は自分中心にするのではなく、いかにメンバーを中心にできるかを思っていましたね。そして1年生や2年生と距離を近づけるために、一緒にふざける部分を見せつつ、言う事はハッキリ言うといった方向性で行動していました。

普段の練習のときは、雰囲気づくりも含めいろいろなことを常に考えていました。200人ほどいますので、どうしても濃淡が出てしまうのですが、年齢によってバイアスがないようになるべくコミュニケーションを取ろうと思っていました。

リーダーの目線で人と関わっていた経験は今でも役立っていると思います。

現在の私の仕事はいろいろな方と携わるので、その方々と濃淡がでないようにコミュニケーションを取ることや、その会社を知るという点で役に立っています。また200人の前で常に話していた経験がありますので、プレゼンや得意先様と話すときも自信を持って話すことができていると感じていますね。

熱い想いに惹かれて入社。苦節3年を乗り越えた

b0c7e4e8da465abaec26088406e1dd908215d42a

私の就活の軸は「日本人として世界に通用するビジネスマンになる」という想いでした。
それは今もぶれずに持ち続けています。

媒体は問わず食品や素材、情報や人材など、とにかく日本の企業で海外に攻めていける、また価値を見出せる会社に就職したいと思っていました。

私は面接で逆質問の際に、毎回「あなたの夢はなんですか?」と質問していたのですが、味の素株式会社で面接したとき、熱い夢を表現できる方が多かったんです。そこが魅力的でした。またインターンにも参加し、こういう人たちと働くんだなというイメージが湧き、最終的な決め手となりました。

ただ、入社してから3年目くらいまでは目の前の仕事に精一杯で、思うような仕事ができていかなかったので、将来のことを考えることができていなかったと思います。正直、楽しく仕事ができているわけではなく、辛いことばかりでした。

自分の納得できる仕事ができたなと感じたのは、3年目の10月頃。社内で表彰されたことがきっかけです。

ラグビーワールドカップがあり、それと連動させたメニュー提案や販促をするというものでした。

各国のラグビー参加国の食事に味の素㈱の調味料を使ってつくったのですが、南アフリカ大使館に直談判で提案しに行ったことが評価されたんです。

「今度来日する南アフリカの人たちにふるまってほしい」ですとか「当社の企業理念をプレゼンしてほしい」と言われるようになり、彼らとコミュニケーションを取りプレゼンをする機会をいただき、表彰されることとなりました。これまで当社では大使館との接点がほとんどなかったので、とても自信がつきました。

受賞した後は「ようやく認められた」と感じることができましたね。社内での自分に対する見え方が変わったように思います。

それまでは「まったくできない池田」でしたので、一人前として見られているという感じがしました。それまで結果を出していなかったので当たり前なんですが、期待されているからもっと頑張ろうと思うようになりました。

想いにひたすら向き合った「Yes We Canbutsu」プロジェクト

bfcf50a1f6820598b58ca7df219cf5b1f38a2c8e

その後も「Yes We Canbutsu」というプロジェクトで表彰を頂くことができました。

2019年の7月から大手の卸店の担当をすることになったのですが、最初にいただいたお仕事は「乾物を盛り上げたいので協力してください」というものでした。

私としてはその想いに協力することが使命であると認識し、ただひたすらに生活者のために、得意先と共に向き合った結果、表彰にいたったという感じです。

企画を立案する上で、乾物はそもそも直近で誰も注目していない商品であるという課題がありました。とにかく最初は乾物を知ってもらうために、メニューを社内の人と一緒につくりましたね。

それを展示会などいろいろな人が集まる場所で発信していきました。発信していく中で、スーパーの方などが気に入ってくださって「これうちでもやってみたい」と言ってくださることがあったんです。これはチャンスが意外にあるのだなと思いました。

そこからグループ会社であるアジコムと連携して、提案資料に必要な裏づけデータや調査データを集め資料をつくりました。それを社内でも発信しながら得意先にも同時に発信し、卸店のセールスさんにも落とし込めるようにしたんです。

直近データとして、乾物の使用頻度は増えていること、その理由としてお弁当に使われていることや、保存しやすいなどの根拠をもとに提案資料を作成します。しかし、スーパーの営業ですので、販促物や小さなポップがないと具現化できないという壁に直面しました。

そこでどういった販促物が良いのかを卸店セールスと話し合い、広告代理店とどのような表現が伝わるか、どのようなメニューブックが良いかという意見交換をしながらつくっていったんです。それにもお金がかかりますので、社内の然るべき立場の人にプレゼンをして社内調整をしながら、広告代理店とも一緒に案件を進めていました。

こうしてさまざまなタスクを同時に進めていき具現化できました。その乾物を機に、これまでとはまったく違う分野・種類のビジネスが展開できています。

たとえば、日配品を対象とする専用調味料を全国で配荷する施策や、DXを活用して売上を上げる施策を企画するなど、いろいろと幅が広がっていきました。

得意先様のさまざまな部署・階層の方々と良好な関係を構築できたことは成果のひとつであると思っていますね。

子供時代に描いた夢と新たな姿「優しい人間」であり続けたい

5bf5741671f2238f7181b285f38dde0f75e0ae15

2020年現在、私は卸店営業を主に担当しております。

卸店営業はただ単に物を売るという仕事だけではなく、情報をいかにいただくかなど人と人を結びつける仕事、自分が想像していなかったような多岐にわたる仕事を任せていただいております。いわゆるなんでも屋のように、得意先様のためにいろいろな人を結びつけたり、家庭用だけではなく業務用のお仕事もしたりと、さまざまな仕事ができるのでそこが醍醐味です。

すべての業務にやりがいを感じていますが、特にやりがいを感じるのは、「池田君が担当で良かった」、「味の素という会社のおかげだよ」というお声をいただけることです。それが自分のモチベーションや夢にも発展していると感じています。なので、生活者のためにもっと頑張って仕事したいとも思っていますし、それを教えてくれた得意先様には常に感謝しています。

これからの展望として、子ども時代を過ごした欧州で仕事がしたいと思っています。

イギリス法人を設立し、当社の製品を売って、社会的な価値を創造することは入社当社からの夢ですので、その夢に向かってこれからも努力し続けます。

一方で、優しい人間であり続けたいと思っています。優しさがあるから、さまざまな価値観・視点を持っている方たちを受け入れることができると思います。

そうやって人を集めて、ワクワクする仕事をみんなでつくれるビジネスマンになっていきたいです。

味の素株式会社

この会社にアクションする

アーカイブ