「女になるなんてアホだね」と言われた――性同一性障害の僧侶が都内で講演
東京都江戸川区の證大(しょうだい)寺が、日本の寺院業界として初めてLGBT問題に本格的に取り組み始めている。職員への研修会や当事者を招いた座談会を皮切りに、3月24日には、性転換をした高野山真言宗の僧侶、柴谷宗叔さん(63)を迎えて講演会を開いた。
当日は、證大寺・銀座道場に20人ほどの当事者と僧侶・職員が集まり、柴谷さんの講演に耳を傾けた。
「新聞記者時代、唯一心が休まったのは、ゲイバーで仲間と話しているとき」
柴谷さんは、自身の性別について「生まれたときは男だったようです」と語る。
「でも自分ではずっと女だと思っていました。男を演じて生きてきました。親元を離れて早稲田大学へ進学したとき、スーパーでワンピース買って着てみたんです。そのときは本当に嬉しかった。化粧をして町へ出たときは、これまで無理をして演じていたことから解放されたように感じました」
男という性別に違和感を持ち続けていた柴谷さんだが、当時は「性同一性障害(GID)」という言葉もない時代。GIDであることを告白すれば、まともな就職はできなかったという。
「仕方なく本当の自分を隠して読売新聞に就職しました。当時の新聞社は完全な男社会でしたから、自分を一切出せずに男を演じ続けました。唯一心が休まるのは、ゲイバーで仲間と話しているとき。でも最初の赴任地だった岡山にはゲイバーがありませんでした。仕方なく、神戸のゲイバーまで通っていました」
新聞記者だった柴谷さんが仏門に近づくきっかけになったのが阪神淡路大震災だ。
「岡山の次に神戸に赴任しました。阪神淡路大震災のときは、たまたま大阪にいて助かることができました。被災地にはしばらく入れませんでしたが、1週間後に取材と偽って規制をかいくぐり、自分の家のあった場所に戻ったんです。家はぺしゃんこで周辺全体が壊滅状態でした。
3か月後にやっとがれきの下から物を取り出すことができたのですが、観光で一回だけ行った四国八十八か所の御朱印帳が出てきました。そのときパーンと雷に打たれたような衝撃を受けました。『弘法大師様が身代わりになって私を助けてくれた』と思ったのです」
56歳のとき性転換手術「女になって、本来の自分を取り戻したかった」
「弘法大師に命を助けてもらった」と感じた柴谷さんは、お礼のために八十八か所を真剣に回ることにした。そのうちお遍路友達ができ、その友達に高野山大学大学院に誘われたという。最初は躊躇していたが、誘われるがままに大学院への入学を決めた。
「幸い、平日に休みが取れる仕事なので、働きながら片道3時間かけて週1回大学院に通いました。勉強はすごく楽しかったです。しかし真言宗は密教なので、僧侶にならないと受けられない授業がありました。しかし僧侶になるためには100日の修行が必要でした。これは働きながらではとても無理。そのとき会社がちょうど早期退職を募集していたので、会社を辞める決心をしました。51歳のときです。そして『これからは自分の心に従って生きよう』と心に誓ったんです。
当時は埼玉医科大学と岡山大学病院しかGIDの治療をしていなかったため、岡山大学病院へ行きました。すぐにGIDと認定され、半年後にホルモン治療を開始しましたが、手術までは時間が掛かりました。56歳のとき晴れて性転換手術を受けることができました」
会社を退職し、性転換も終えた柴谷さんは僧籍性別変更のためにも動き出した。
「僧籍の性別変更もしてもらいました。高野山真言宗では初めてのことでしたし、頭の固い人が多いので、認められるかどうか心配でした。高野山は明治の初めまで女人禁制だったくらいですからね。しかし理解のある人が本山にいたため、すんなり受け入れてもらえました」
性別適合手術も終え、僧籍の変更も済ませたものの、周囲からは心無い言葉をかけられることもあった。
「高野山は男性優位の社会ですから『女になるなんてアホだね』と言われました。高野山にはいまだに一部女性が入れない場所がありあますし、女性が参加できない儀式もあるんです。それでも女になって、本来の自分を取り戻したかった」
「性同一性障害」という言葉もなかった頃から、苦労してきた柴谷さん。今後は「悩んでいる当事者の相談にのりたい。大阪にLGBTの駆け込み寺を作りたい」という。
柴谷さんの講演終了後は、柴谷さんを囲んでの座談会となった。20代のゲイ男性に、講演の感想を聞いたところ
「LGBTという言葉がなかった時代に戦っていた人がいたんだと知り、勇気づけられた」
と語った。
また男性は以前、お坊さんに「自分はゲイだが、LGBTについてどう思うか」と聞いたとき「ありえない」と言われたという。「お坊さんですら偏見を持っているのだと思っていたのですが、今日の座談会に参加してLGBTを理解しようとしているお寺もあるのだと驚きました」と喜んでいた。
女性として生まれたものの、性自認は男性寄りの中間だという、20代のXジェンダーの人もいた。大手運送業者で働いているが、普段は「配達員の制服には男も女もないので楽」だという。柴谷さんの話を聞き、「参加してよかった。お寺に親しみが湧いた」と満足気な様子だった。