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努力できない人もいる、結果が出ないこともある……努力できるのは才能だから「できて当然」はやめてほしい

環境にもまれ、特に苦労をすることもなく、富や名声を手に出来るタイプ。日々地道な努力を陰で続けて、少しずつ上り詰め、あるとき脚光を浴びるタイプ。

成功を収める人って、大抵このどちらかのパターンに当てはまっている気がする。世間は常に成功者にスポットを当て続ける。生まれが良ければ、あるいは努力を続けることができれば、夢は叶うと喧伝している。

前者の場合は万人に平等な条件とはいえない。が、後者の地道な努力というやつに関しては、誰もができることだと決め付けられている風潮がある。でも、本当にそうだろうか?(文:松本ミゾレ)

努力できるのも才能。できなくてもおかしくはないのでは?

努力するのも一苦労

努力するのも一苦労

先日「2ちゃんねる」に「『努力する才能』が認知されないわけ」というタイトルのスレッドが立った。このスレッドには、「努力することは誰にでもできる」という風潮に疑問を感じている人々の声が寄せられていた。いくつか紹介したい。

「努力って要は体力と集中力のことだからな。そら個人差あるよ」
「ある程度の努力は誰だってやろうと思えばできるけれども、常軌を逸した努力は普通の人にはできない」
「努力っていうか明らかにモチベーションの保ち方が上手いやつと下手なやつがいるよな 嫌なことやらせてもある程度こなすやつと一瞬でやめるやつ」

まあこんな感じに、「努力」を才能の一環と考えた場合に、目を引く意見というものはいくつかある。

もちろん、何かを成すには相応の努力なしにはありえないので、最低限の努力は欠かせないことは当然。努力をすること自体を否定するつもりはない。だけど、集中力にも個人の能力にも個人差はあるもので、無尽蔵の努力ができるメンタルとタフさを持っている人なんて一握り。

「できて当然」と「できなくて当然」。どっちが主流になった方がストレスのない社会になるかということなんだけど、生きにくい社会がお好きな人々にとっては、どうも「できて当然」の方がお気に入りのようだ。

しなくてもいいような努力を強いられ、それが実を結ばない社会

そもそも努力が実を結んだ人というのが、果たしてどれだけいるのか、その統計は誰も取りようがないし、メディアは努力によって成功した人々しか取り上げない。

恐らく世間には、死に物狂いの努力をしたものの、結果が出ずに埋没していった社会人なんて山ほどいるだろう。「努力をしても結果が出ないことがある」ということを無視して、努力は誰にでもできる、努力さえすれば結果は出るはずというのはどう考えてもおかしい。

加えて、「努力」という名の下に、「無駄な努力」を求められるのが気に食わない。僕が落ち目の某パチンコ企業の会社員時代の話になるんだけど、残業嫌いの僕に対して、主任は常に「残業が嫌だからって逃げてばかりいると、努力の放棄になるぞ」といってきた。その上、残業をしないと査定もマイナスになるとまでいってきた。

ではどんな内容の残業をするのかと聞いてみたら、自店の台を飾りつけるPOPを印刷して、ラミネート加工をしたあとに上手に切り取るとかいう「バイトにさせろ」としかいいようがない、無駄な努力だった。

未だに「あんなのが人事査定に影響するのか」とイライラしてしまうし、その査定目当てにいい社会人がバイトでもできる仕事を「喜んで!」とか言いながら”努力”をしていた光景がトラウマで仕方がない。しなくていいような努力までもが重宝され、そのくせ景気は悪い。努力、努力というけれど、その努力が実を結んでいないのが今の社会なんじゃないの?

それに、常に話題になるのは成功者。負け組がどれほどもがいて努力をしていようと、失敗すれば「それはお前の努力が足りない」と切り捨てる人の多いこの社会では、たとえ努力の才能のある人でも、結果次第では努力もしていない連中に貶されるのだ。

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